18>御恵みによって救われる事と行いとの調和。<1><要約>
<ガラテヤ書3:13-14>2024.12.8.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
御恵みによって与えられる救いと信仰の行いとの調和(ちょうわ)がとれる事が出来ないと正しく信仰生活ができないのです。
天の父なる神様の御恵みによって救われ天国へ入る事のみを考えれば救いが歪曲(わいきょく)されるのです。イエス様が十字架を背負われた目的を正しく分からなければ福音と信仰と救いに対して正しく伝えても受け入れられず真理を否定するのです。無条件に信じさえすれば御恵みによって救われるのに、なぜ従順を強調するのかと不平を言いながら受け入れないのです。今日の教会の中には救い派という異端(いたん)の教理が根深く居座っているため、多くの学者たちが指摘をしても受け入れず安っぽい福音を伝える者たちが多いのです。その結果、牧師と聖徒たちが堕落(だらく)し教会が力を失い崩れるのです。ですから、私たちがこのような攻撃(こうげき)に対応するためには次の三つの聖書の御言葉を正しく理解し、また引用すれば彼らを説得する事ができるのです。
1><ガラテヤ書3:13-14>-キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出して下さいました。木に掛けられた者は皆呪われていると書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、私たちが約束された霊を信仰によって受けるためでした。この御言葉は、キリストが私たちのために代わりに呪われ律法の呪いから私たちを救われたという贖いを意味するのです。また、アブラハムの祝福とはチンイ<救い>義とされたという意味なのです。救いが十字架の功によって与えられる神様の御恵みなのだが、それが、全てではなくイエス様の復活を通して聖霊を約束されたし、信じる者たちには内に留(とど)まる聖霊様が臨まれたのです。この聖霊様は私たちの内で聖霊の実を結ばせるのです。ですから、神様の御恵みによって罪が赦され聖霊の実を結ぶ事なのです。聖霊を通して新しい命を得て昔とは変わった人生を歩む事も神様の御恵みのお陰(かげ)なので行いを強調する事ではないのです。イエス様を王様と救い主として受け入れれば神様の御恵みによって罪が赦され、聖霊を賜物として与えるのだが、この聖霊様は実を結ばせるのです。
2><ローマ書6:14>あなた方は律法の下(もと)にあるのではなく、恵みの下(もと)にあるので、罪に支配される事はないからである。この御言葉は、イエス様を信じる者たちは律法から解放されたという意味なのです。ところが、大勢の牧師たちがこの御言葉を正しく理解せず律法から自由になったので、これ以上律法が私たちに罪があると定める事ができないと主張しながら罪を犯しても罪人であると定められず天国へ入れると勘違(かんちが)いするのです。ですから、御恵(みめぐ)みの下(もと)にいるとしたとしても罪を犯して良いという事でしょうか。決してそうではないと強調しているのです。人々は誰に従順するのかによってその者の僕になるのです。罪の僕(しもべ)になると地獄へ行く事になり、従順の僕になると天国へいけるのです。アダムの時代には律法がなかったのだが、神様の命令を破ったので不従順の罪を犯したが、モーセの時代以後には律法が与えられたので律法を破った者は罪を犯した事になるのです。不従順であったり罪を犯したりする事も全て罪の対価は死であるため死の奴隷になった事なのです。アダムの不従順によって罪がこの世に入って来たのだが、イエス様の従順によって罪の赦しと罪に打ち勝てる聖霊様が天の父なる神様の御恵みによって与えられたのです。
<ローマ書5:21>-こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、私たちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。この御言葉は、二つの部類の王が出て来るのだが、一つは罪の王であり、また、もう一つは御恵みの王なのです。ですから、結論は御恵みによって救われるのだと言って無条件に信じさえすれば救われると思わずに、聖霊が自分の内に臨まれ実を結ばせる事を悟り信仰生活をせねばならないのです。
첫댓글 https://youtu.be/AA8jQUsyMrs?si=zCO-VdPgjavy7QPf
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イエス様の復活を感謝しますアーメン、聖霊様は私の内で聖霊の実を結ぶ事助けてください感謝しますアーメン、