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毎日新聞2025/1/30 07:00(最終更新 1/30 07:00)有料記事2612文字
小惑星ベンヌの試料が入ったカプセルを処理する米航空宇宙局(NASA)のスタッフら=米ユタ州で2023年9月24日撮影(NASA提供)
米航空宇宙局(NASA)の探査機オシリス・レックスが小惑星ベンヌから地球へ持ち帰った砂や石から、DNAとRNAを構成する5種類の核酸塩基がすべて見つかったと、NASAなどが29日、英科学誌ネイチャーの姉妹誌に発表した。核酸塩基を検出したのは、NASAの初期分析チームから依頼を受けた日本の研究者たち。その証言から、検出成功までの舞台裏に迫った。
<主な内容>
・潮目が変わる
・NASAから白羽の矢
・小惑星探査が生んだ価値
「心臓止まりそう」な緊張
2023年冬、札幌市にある北海道大のクリーンルームで、大場康弘准教授(宇宙化学)は真っ黒な粒を実験用スプーンの先端で慎重にすくっていた。「心臓が止まるんじゃないか」。高まる緊張で、手はぶるぶると震えたという。
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1969年にオーストラリアに落下したマーチソン隕石を持つ大場康弘・北大准教授=本人提供
すくっていたのは、同年9月にオシリス・レックスが地球に持ち帰ったばかりのベンヌの試料。「真っ黒な中に、白い塊がある砂も。非常に興味深い特徴があった」。光学顕微鏡のモニターに映った地球外物質は、まさに期待にたがわぬ「宝の粒」だった。
不遇の時代
私たち地球生命の起源をたどると、どこに行き着くのか――。その研究は長らく、地上に落ちた隕石(いんせき)の分析を主たる手法としてきた。「隕石は宇宙から地球に供給された物質の証拠。地球外で化合物がどのように生まれたのか。地球ではすでに失われてしまった貴重な情報も隕石には記録されている」。大場さんはそう語る。
しかし、隕石に含まれる物質の中に生命の材料となる核酸塩基を探し出す研究は、過去60年以上、めぼしい成果を上げられなかった。
はやぶさ2の小型探査ロボットが撮影した小惑星リュウグウの表面=宇宙航空研究開発機構(JAXA)提供
20年12月に日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウの砂を持ち帰った際も、分析の優先度は低かった。「核酸塩基は大して含まれておらず、大切な試料を使ってまで分析することはできない。そう思われていた」と、大場さんは振り返る。
試行錯誤の末に
ところが22年、潮目が変わる。
大場さんらの研究チームが、1969年にオーストラリアで採取された「マーチソン隕石」から、DNAとRNAを構成する全5種類の核酸塩基を世界で初めて見つけ出したのだ。質量分析計の性能が近年向上したことに加え、分子を壊さずに成分を抽出する方法を編み出した試行錯誤のたまものだった。
奈良岡浩・九州大教授=相模原市で2023年3月、幾島健太郎撮影
「試料に余裕があれば分析させてください」。手応えをつかんだ大場さんは、リュウグウの分析チームに声をかけた。九州大の奈良岡浩教授らの有機物分析チームはリュウグウの試料分析を順調に進め、すでに20種類を超えるアミノ酸を含む2万種類もの有機分子の検出に成功していた。奈良岡さんは応じた。「ちょっと残っているから、やってみますか」
大場さんは、リュウグウの試料を浸したわずか数十マイクロリットルの水溶液を手に入れた。そして、RNAを構成する核酸塩基の一つ、ウラシルの検出に成功した。その後まとまった試料を配分され、解析結果は今後論文として発表する予定だ。
NASAから白羽の矢
ベンヌ試料の初期分析を担当するNASAの研究者から、大場さんらの元にメールが舞い込んだのはこの頃だ。「あなたたちのチームにサンプルを渡すので、解析してくれないか」。隕石やリュウグウ試料から核酸塩基を見つけ出した実績を買われ、白羽の矢が立った。
探査機オシリス・レックスが持ち帰った小惑星ベンヌの砂や石=米航空宇宙局(NASA)提供
23年12月、大場さんはベンヌの試料を受け取った。核酸塩基の解析は九大で行う予定だった。この貴重な「宝の粒」17・75ミリグラムを約1400キロ先にどう運ぶか。「途中でなくしたら大変。あれほど緊張したことはないかも」。頑丈なアタッシェケースに入れることも考えたが、目立つのも良くない。大小のプラスチック保存容器で何重にも包み、緩衝材を敷いた保冷バッグに入れた。飛行機内では離着陸時以外ずっと抱きかかえた。
九大には地球外物質を分析するためのクリーンルームが備わっている。大場さんらは、無事に届いたベンヌの粒を高濃度の塩酸に浸し、含有成分を調べる装置「液体クロマトグラフィー」にかけた。そして、DNAとRNAを構成する5種類の核酸塩基、シトシン▽チミン▽アデニン▽グアニン▽ウラシル――の検出に成功した。
相違点と共通点
マーチソン隕石やリュウグウ試料などと比較すると、興味深い特徴もみえてきた。ベンヌ試料の核酸塩基はマーチソン隕石と比べ、アデニンとグアニンが非常に少なく、シトシンとチミンは逆に多いという。
違いの理由は不明だが、星間分子雲を再現した模擬実験で、化学反応によって生成された核酸塩基の構成比と似ているという。大場さんは「生成された環境が低温だったことが関係しているかもしれない」と指摘する。
アミノ酸には「左手型」と「右手型」がある
また、検出された33種類のアミノ酸の構造を調べると、リュウグウ試料との共通点が浮かんだ。アミノ酸には、化学式は同じだが構造が反転している「左手型」と「右手型」がある。地球の生物は左手型だけを使うが、ベンヌ試料のアミノ酸は左手型と右手型がほぼ同数だったという。リュウグウ試料でも同じ結果が出ており、地球生命との違いは謎のままだ。
小惑星探査が生んだ価値
今回の成果は、地球に接近する軌道を持つベンヌやリュウグウなどの炭素質小惑星の破片が、隕石に混じって地球に運ばれ、生命の材料となる有機物をもたらしたとする説を強く裏付けるものだ。見つかった核酸塩基について、大場さんは「生命に直結するかは分からない」と前置きした上で「存在しているということは生命誕生の最低条件になる」と説明する。
小惑星ベンヌの試料を解析する研究者=2023年12月20日(大場康弘・北海道大准教授提供)
どこから飛来したか特定が難しい隕石と違い、「生い立ち」が分かっている小惑星の試料は、分析で得られる情報の価値も高い。大場さんは「有機物そのものだけでなく、星全体から得られる情報や、太陽からの距離の違いによる影響などの議論がしやすい。小惑星探査は一歩進んだ新たな情報を運んできてくれる」と語る。【垂水友里香】
ことば「核酸塩基」
生命の設計図であるDNAは、その基本単位である化合物「ヌクレオチド」が鎖状につながり、2本集まって二重らせん構造を作っている。ヌクレオチドは、アデニン(A)▽グアニン(G)▽シトシン(C)▽チミン(T)――の4種類の核酸塩基が糖やリン酸と結びついてできている。RNAのヌクレオチドはTがウラシル(U)に置き換わる。4種類の核酸塩基の並び方で遺伝情報は表現され、たんぱく質の性質や働きが変わる。