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毎日新聞2024/9/20 東京朝刊有料記事1872文字
店内に売り切れの案内札を掲示する米穀店。在庫は固定客の分のみだ=奈良県内で8月27日、山口起儀撮影
つえをついた高齢の女性が、ほぼ空の棚を見上げて固まっていた。8月下旬、首都圏にあるスーパーのコメ売り場。付き添いの女性が、棚の奥から数袋を引っ張り出し「一番安いから、これにしましょうか」と言った。5キロで約3000円。数カ月前は1000円台半ばだった。高齢の女性は何も答えなかった。
コメの品薄と価格高騰が広がり、大勢の人が困っている。そろそろ新米が出始めたとはいえ、いまだに空の棚は多い。しかし農林水産省は、日本全体で見れば必要な在庫量は確保されている、と言い続けている。大阪府の吉村洋文知事が同月下旬、100万トン近くある政府の備蓄米を放出するよう頼んだが、坂本哲志農相は「慎重に考えないといけない」と拒んだ。
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はなから放出を検討する気などなく、新米が出そろうまでの1~2カ月を静かにやり過ごす構えのようだ。各地のスカスカの棚やその前でぼうぜんとするお年寄りの姿など目に入らないのだろう。
生産態勢ギリギリ、小変動でも大混乱
そもそも今回の問題は政府のコメ政策に原因があるのではないか。混乱が起きたきっかけは昨年の猛暑による不作やインバウンド(訪日外国人)の需要増などとされる。だが、コメ事情に詳しい元農水官僚の山下一仁・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹は「主要な原因は減反政策だ」と、はっきり言う。
減反とはコメの生産を減らして市場価格を上げる政策だ。コメが余って価格が下がらないよう、政府は麦などに転作した農家に補助金を出している。このためコメの生産は年10万トン規模の需要縮小に合わせる形で減っている。
「ギリギリの生産態勢だから、訪日客が少し増えるなど、ささいな需要の変動ですぐ品薄となり、価格が高騰してしまう」と山下さん。減反政策が続く限り、同じ事態は繰り返される、とする。
日本は減反政策を50年以上続けている。こんな国は他にない。いったい減反は国民のためになっているのか。
ここ数年の値上げラッシュで家計は疲弊している。多額の税金を使ってわざわざ米価を上げる政策など、消費者には受け入れがたい。
安全保障上も問題がある。山下さんによれば、戦前にも減反の議論が浮上したが、旧陸軍省が反対した。「主食である米を減産するとは何ごとか」という理由だ。
ウクライナや中東など各地で紛争が起き、台湾有事も懸念されている。コメはほぼ国産で賄える唯一の穀物だ。有事には国民の食料になり得るのに、その生産を抑えることは安全保障に逆行する。
そもそも日本の食は危機的状況だ。今、オレンジジュースが買いにくいが、それは原産地のブラジルや米国の天候不順でオレンジの不作が続いているからだ。異常気象は世界中で頻発しており、オレンジだけが特別ではない。
しかし日本は食料の大半を輸入に頼ったままで、食料自給率はカロリーベースでわずか38%。農業問題に詳しい東京大大学院の鈴木宣弘特任教授は「食料は海外から安く買えばいいというのが日本の基本スタンスだった。しかし、お金を出せば食料はいつでも海外から安く買えるという前提は崩れている」と訴える。
コメ売る戦略必要 「輸出大国」目指せ
世界事情は激変している。一刻も早く輸入依存から抜け出すべきなのに、食料政策を転換する動きは見えない。それどころかコメは減らし続ける。ピーク時は年1400万トン超だったコメの生産は700万トンを切り半減している。
今、政府が行うべきなのは、コメの生産を抑えることではなく、生産したコメを売るための「出口戦略」を作ることではないか。農家にとっても、好きなだけコメを作り、適切な価格で売れるなら、その方が利益は上がるはずだ。
出口戦略として有効なのは輸出だ。海外のコメに勝てない、というのは固定観念で、日本米の評判は高い。米カリフォルニア州では同州産のコシヒカリが日本のスーパーより高く売れているという。そもそも増産して価格が下がれば、国際競争力は増す。
山下さんは「日本は年間1700万トンのコメを生産する実力がある」と話す。減反を完全に廃止し、収穫量の高いコメに変えれば十分可能だという。国内の消費分を除いた約1000万トンを輸出すれば、世界最大のコメ輸出国インドに並ぶ規模になる。
日本の国力は低下し、2025年には名目国内総生産(GDP)でインドに抜かれ、世界5位に落ちる見込みだ。そんな中、コメの輸出大国になれる可能性は明るい未来につながらないか。閉塞(へいそく)感を破るきっかけになる気もする。
半世紀以上漫然と続いてきたコメ政策を今、根底から見直すべきだ。