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前回、高齢になるほど運転能力や経営能力が落ちるのはうそだという話をした。
このコラムを書いているさなかにも94歳のウォーレン・バフェット氏が日本の商社株を買い増す意欲を示す「株主への手紙」を公表して話題になっている。その3日前にもバンク・オブ・アメリカの株を売却して、彼が率いる投資会社の保有現金が3000億ドル(日本円で45兆円)を超えたことが話題になった。
「87歳の方がフジサンケイグループの代表……。ちょっと異常だと思う」とテレビで公言した社会学者がいたが、この人はバフェット氏のことも、90代になっても活躍を続けたピーター・ドラッカー氏のことも知らないで社会学者をやっているらしい。
ついでにいうと、アメリカには年齢差別禁止法というのがあるからこの手の発言は原則公にできない。ヘイトスピーチと同じ扱いを受ける。
アメリカの投資ファンドが日枝氏に辞任要求をしているが、独裁者が40年近くも支配していることを問題視しているが、年齢のことには触れていない。
そんなことも知らない人間が社会学者を名乗り、テレビで堂々と年齢差別発言をすることのほうが私には「ちょっと異常だと思う」。
年を取っても知恵は伸びる
さて、1960年代に心理学者のジョン・L・ホーンとその師にあたるレイモンド・キャッテルが提唱した概念に「流動性知能」と「結晶性知能」がある。
流動性知能とは新しい環境に適応するために、新しい情報を得て処理し、操作するための知能で、要するに、その場その場の状況に対応したり、パズルの問題を解いたりするときに用いられる知能だ。
一方、結晶性知能のほうは個人が長年にわたって、経験や学習などを通じて獲得していく知能で、言語能力や理解力、洞察力などはこちらに含まれる。いわば知恵と呼ばれるものだ。
ホーンとキャッテルによれば、流動性知能は10代後半から20代前半にピークを迎えたのちは、低下の一途をたどるのだが、反対に結晶性知能は、流動性知能がピークを迎えてからも上昇し続け、高齢になってからも安定していて、さらに伸びることもあるとされている。
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このように年をとることで知恵と言われるものは伸び続けることさえある。
年をとるほど衰えるのは誤解であるという研究はどんどんなされている。
幸福度のピークは82歳から
もう一つの誤解に、年をとるほど不幸になるというものがある。
これも誤解であるという研究がある。
幸福のU字カーブと呼ばれるものだ。
人間の幸福度というものは、幸福度を縦軸に、年齢を横軸にとるとU字カーブを描くという話だ。
具体的には、人の幸福度は18歳から下がり始めて、48.3歳で不幸のピークに達すると、その後は上がっていき、82歳以上で最高値に達するということだ。
米ダートマス大のデービッド・ブランチフラワー教授らが、人生の幸福度と年齢との関係を調べた研究論文=出版社「シュプリンガー」のホームページより
アメリカのダートマス大学のデービッド・ブランチフラワーという経済学者らが、世界145カ国を対象にして、人生の幸福度と年齢の関係を調べたのだが、人生の幸福度が最高値に達するのは、なんと82歳以上だということがわかったのだ。
日本も例外ではなく、幸福度がもっとも低いのは49歳か50歳のときで、最も高いのは82歳以上という結果だった。
これは客観的に幸せになるということより、自分の価値観が変化するからだそうだ。
要するにいろいろなことに満足できる感覚が年をとるほど高まっていくということなのだろう。
若い頃なら普通に歩けるだけで満足するとか幸せを感じることはないだろうが、年をとってきて、自分と同い年くらいの人が歩けなくなっているのを見たり、知ったりすると、「自分はまだ恵まれている」と思えるだろう。
同年輩の知り合いが、ちょっとボケ始めたとか、最悪、がんなどで亡くなった話を聞くと、よけいそう感じるだろうし、「生きているだけで丸もうけ」などという気持ちになるのだろう。
逆に49歳とか50歳のときに一番幸福度が低いのは、周囲の昇進だとか、子どもの受験や就職や結婚の成功などの話を見たり、聞いたりして自分が負けていると思えば、自分が不幸だと感じるからだろう。
過去と比べない
心理学を経済学に応用し、何度もノーベル経済学賞を受賞している行動経済学の考え方に参照点というものがある。人間というのは富の総量でなく、参照点と比べて上か下かで幸せを感じるという考え方だ。
100億円の資産がある大金持ちは、100億円と比べて、自分の資産が増えたか減ったかで幸不幸を感じる。1万円でも損をすれば不幸に思うということだ。全財産が1万円の貧乏な人は1万円が参照点になるので、100円手に入れただけで幸せを感じる。
つまり、参照点が高いところにある48歳くらいのときは幸福を感じないが、年をとって参照点が低くなると幸福を感じられる。
この場合、気をつけたいのが、過去を参照点にすると幸せが逃げていくということだ。
周囲と比べると一人で普通に歩けるだけで幸せが感じられるのに、自分の過去を参照点にすると、「前はもっと疲れずに歩けた」とか「昔は、競技に出られるくらい脚が速かったのに」という話になりかねない。これでは幸せは感じられない。
この理論を援用すると、過去に大成功者だった人も、老いに苦しむ人が多いことになる。
たとえば大企業の社長だった人が、入居金5億円で、毎月50万円も払って、超高級老人ホームに入ったとしよう。
食事は毎日5000円くらいのものが出るし、スタッフも多く、介護などのサービスも行き届いている。
でも、自分が社長だったころと比べると、毎日のように会食で懐石料理や星つきのフレンチなどを食べていたのに、今の食事は貧相に感じるかもしれない。まして、味より健康に気遣って塩分控えめにされていたりすると、なんで死ぬ間際にこんなまずいものを食べないといけないんだと惨めな気分になることだってあり得る。
介護スタッフがいくら親切にしてくれても、社長時代は、みんなが命令に従ってくれるのだから、それに感謝したり、ありがたいと思ったりできないこともあるだろう。
こういう背景があるから、高齢のトップが地位を手放そうとしないのかもしれない。
大事なのは自分の意識の持ちよう
逆の場合を考えてみよう。
ずっと非正規雇用で、毎日の生活にも事欠くような収入しか得られず、その上、雇い主から威張られても耐え続けたような人がいるとしよう。配偶者にも子どもにも恵まれず、孤独を感じることもしばしばだ。
年金もわずかだし、老後も苦しい生活が続く。
社会の底辺の人間として惨めな気分でいたら、要介護状態になった際に、ケースワーカーが動いてくれて、特別養護老人ホームに入ることができた。年金が少ないのも生活保護で補われることになり、ホームの入居費用もそれでまかなわれる。
すると、栄養を考えた3品くらいのおかずの出る食事に毎食恵まれ、スタッフの人も親切にしてくれる。
これまでずっと苦しい生活だったのに、年をとってこんなに幸せになれるなんてと思うかもしれない。
この人の場合、昔の貧しい暮らしのために参照点が低いから、今の生活が幸せに感じられるわけだ。
前述のように年をとるほど、通常は、この参照点が下がってくる。
周りも一緒に衰えるから、その人たちが参照点になり、普通に歩けるとか、ちょっとおいしいラーメンに出会えるとかで幸せを感じるようになる。
このような参照点というのは、自分の意識の持ちようで変えることができるものだ。
年をとっても豊かでいたいとか、人から尊敬されるようになりたいと肩ひじ張って生きていると参照点がどうしても高くなるし、「ま、こんなものか」と老いを素直に受け入れられるようなら、参照点を低くすることができる。
認知症になりたくないという人が多いが、認知症になることで周囲のことを気にしなくなるし、過去を忘れてそれと比べることがなくなるから、参照点は自然に低くなっていくのだろう。
多くの場合、認知症というのは、重くなるほど、ニコニコしていることが多い。
好きに生きた方が幸せに近づける
参照点というのと別の文脈で考えると、高齢者が幸福になる理由として、いろいろな縛りから自由になるということもある。
もともとは定年退職すると、会社の上司や同僚、部下などの意向や目を気にしなくて済むから楽になるはずなのだが、つい気にしてしまうから、気楽な定年後生活を送れない人が多い。
ところが80歳をすぎると、さすがにもう気にしなくていいやと思う人が増えるのも82歳以降が幸福度のピークになる理由なのだろう。
女性にしても、会社に勤めていた人は同様のことが言えるだろうし、ママ友そのほかとの関係が本格的に薄くなって、気にしなくていいと思えるようになるのがそのくらいの年齢かもしれない。
だとすると、なるべく早いうちから、周囲の意向や目を気にしなくて、好きに生きたほうが、幸せに近づけることだろう。つまり、老後と言われる時期を少しでも幸せに過ごしたければ、早いうちに開き直って、自分の好きなように生きると決めたほうが幸せになれるということだ。
これについても、元の社会的地位が高い人のほうが、この手の開き直りは難しいのかもしれない。
ということで過去や周囲へのこだわりから解放されれば、高齢になっても、というか高齢になるほど幸せになれるというのが現在の学説である。
そして、そうはいっても、まだ同じ年代で、現役で元気な人が多い70代のうちはなかなかそういう開き直りができないが、82歳を超えるとそれが自然にできる人が多いというのが、この調査結果の妥当な読み方なのだろう。
少なくとも、年をとると最終的に今より(主観的に)幸せになれると信じて損はない。