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毎日新聞2024/9/30 06:00(最終更新 9/30 06:00)有料記事1919文字
久保山墓地で営まれた関東大震災時の朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式で、ラップ曲「Resurrection101」を歌うFUNIさん=横浜市内で2024年9月7日、和田浩明撮影
「101年たっても忘れません 我々虐殺されても死にません」
在日コリアンの詩人・ラッパー、FUNIさん(41)の重い声が9月7日、炎暑の横浜市・久保山墓地に響いた。
1923年9月1日に起きた関東大震災の混乱の中、流言飛語により民衆らに虐殺された朝鮮人犠牲者の慰霊碑がある場所だ。2024年も市民有志による追悼式が開かれた。
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招かれたFUNIさんが歌った曲の名は「Resurrection101」。虐殺事件から101年が経過しても、記憶をリザレクション(復活)させ引き継ぎ、自分ごととして考え続けたい。そんな思いを込めた。
歌詞には川崎市で生まれ育った自身が体験した差別や、戦前・戦中の日本による朝鮮半島の植民地支配、朝鮮人虐殺を含め過去の事実をなかったことにするような歴史修正主義に対する厳しい肉声の批判があふれていた。
「4歳からビリビリにfeelin 疎外感/砂場に書いた ハングルは消した」
「我ら奪われたrealname/群馬の森の慰霊碑もねぇ/創氏改名のちの通称名/勝手に変えたんだろって通用しねぇ」
「加害の歴史 向き合わなかった結果/カオナシのキンタロー飴(あめ)ばっかのTwitter」
そして、過去に在日コリアン差別から目を背けていた自分自身や差別者、歴史修正主義者を「偽善者」と指弾する。それでも、とFUNIさんは強調した。「日本を批判したくて作ったわけじゃない。誰が悪いとかじゃなくて、問題を自分に引きつけて考えてほしくて訴えました」
遠かった歴史に
「政治」や「歴史」にとりたてて強い興味を持っていたわけではないと、FUNIさんは言う。一時はIT企業の社長として成功を追い求めたこともあった。日本と朝鮮半島の関係や在日コリアンの扱い、虐殺問題などを積極的に学び世間に発信することからは、むしろ身を遠ざけてきたのだと。
そんな姿勢が23年以降、大きく変わった。関東大震災とその後の朝鮮人虐殺から100年。現代美術家・飯山由貴さんの映像作品「In-Mates」との出合いがきっかけだった。戦前の精神科病院に入院していた朝鮮人患者の境遇を描き関東大震災時の朝鮮人虐殺にも触れた作品で、FUNIさんも出演した。
飯山さんは、東京都人権プラザでの企画展で、この作品の上映を予定していた。しかし、都人権部は認めず、展示主催団体へのメールで虐殺があったことを認めないような言及をした。
このため飯山さんとFUNIさんらは都側に「歴史修正主義とレイシズムによる検閲だ」と抗議。震災発生日の9月1日には、都庁前で抗議の行進を主導した。
ラップ曲「Resurrection101」などが掲載された自作雑誌を掲げるFUNIさん=東京都内で2024年9月18日、和田浩明撮影
「(抗議活動に積極的に関わるのは)当初、自分でも意図していなかった。在日が前に出ると、(攻撃の)矢面に立つことになると思っていました。日本人が一緒にいると心理的に安心だと分かったところもあります」
24年9月20日にも、朝鮮人犠牲者への追悼文を都内の追悼式典に送らない小池百合子都知事の姿勢を批判する都庁前イベントに参加した。
過去と向き合う
23年は地元・横浜市で関東大震災時の朝鮮人殺害の記録が残る現場を民間研究者の山本すみ子さん(85)と一緒に歩いた。山本さんはこの年、神奈川県内で朝鮮人145人が殺害されたことを示す県作成とみられる文書の存在を明らかにしていた。それまで、公文書で確認できる県内の死者数は「2人」とされていた。
こうした出会いを通じ、FUNIさんは、「昔通っていたキリスト教会で聞いたこともあった虐殺の話を、復習することになった」と振り返る。
前面に出て行動するのは今でも心配が残るというFUNIさん。防刃ベストを身につけて舞台に立つこともある。ネットでの攻撃や街頭宣伝にさらされ、殺害予告も受けた在日コリアンの知人がいるからだ。同じく在日外国人であるパートナーから「あまり目立って攻撃されたら困る」とたしなめられることも少なくない。
それでも、「公共がやらないなら、社会に働きかけるラッパーが声を上げないと」と感じる。最近、思いをはせることの一つは、イスラエル軍報復攻撃による子どもや非戦闘員の犠牲が後を絶たないパレスチナ自治区ガザ地区の惨状。6年前に訪れ目の当たりにしたパレスチナの苦境は、差別され殺されてきた在日コリアンの状況に通じるものがあると強く感じる。
「パレスチナのジェノサイド(大量虐殺)は国際的にも認知されているが、関東大震災時の朝鮮人虐殺はそうではない。これは認められるべきだと思う」。2人の幼い娘のためにも、日本社会の変化を強く願う。【川崎支局・和田浩明】
<※10月1日は休載します。2日のコラムは社会部東京グループの川上晃弘記者が執筆します>