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今春、肥満症治療の自己注射薬「ウゴービ(一般名セマグルチド)」の製造販売が承認された。肥満症治療のための新薬は1992年に登場したサノレックス(マジンドール)以来。肥満症の予防を目的とした市販薬の飲み薬「アライ(オルリスタット)」も同時期に承認されており、今後、両剤が発売されれば約30年ぶりに肥満症治療の選択肢が広がると注目されている。一方、肥満を巡って近年、痩せるために糖尿病薬を処方するビジネスが横行し、問題となっている。薬による肥満症・糖尿病治療の最前線はどうなっているのだろうか。
BMI25以上で健康障害があると「肥満症」
ウゴービは肥満症の患者に対して医師が処方する医療用医薬品に当たる。そもそも肥満症とは肥満とどう違うのか。
日本肥満学会の横手幸太郎理事長は「BMI(体格指数)25以上で脂質異常症や高血圧などの健康障害がある人が肥満症に該当する」と説明する。
BMIは体重[kg]/身長[m]²で算出する。18.5以上25未満が適正とされ、18.5未満は痩せ過ぎ、25以上は肥満にあたる。「世界保健機関(WHO)では25以上30未満を過体重、30以上を肥満としているが、日本人の場合30にならなくても糖尿病や脂質異常症になりやすい。一方、25以上でも元気なスポーツマンもいる」と横手理事長。そこで同学会では、肥満に伴う11の健康障害を挙げ、BMI25以上に加えてこれらの健康障害がある人などを肥満症と呼ぶ。その治療は公的医療保険の対象となる。
では日本人のどれくらいが肥満症に該当するだろうか。国民健康・栄養調査(2019年)によると、BMI25以上は男性の33.0%、女性の22.3%。しかし11の健康障害がある割合まではわからないため、肥満症人口は正確には把握できていないという。
糖尿病薬に体重減少効果
長年、唯一の肥満症治療薬とされてきたのがサノレックスだ。この薬は食欲抑制薬で、BMI35以上の人などを対象に3カ月を上限として投与される。投与期間が限られる理由について、横手理事長は「現在のように充実した治験がなされていない時代に承認されており、覚醒剤の仲間と似た構造を一部有するため、長期間の投与に伴う問題が懸念された。それで3カ月以上は使わないという指導が付いた」と解説する。だが慢性的な病態である肥満症治療では使い勝手が悪い。食事療法、運動療法に加えてサノレックスを使って減量しても、3カ月たって薬をやめると元に戻ってしまうという不便さがあった。
サノレックス以後も米国を中心に数々の肥満症薬が開発されてきたが、効果が不十分だったり、心筋梗塞(こうそく)やうつなどの深刻な副作用が見られたりと、ことごとく失敗してきた。その中で登場したのがウゴービだった。
ウゴービは、週1回投与の糖尿病薬「オゼンピック」と同じセマグルチドという成分を使ったGLP-1受容体作動薬と呼ばれるタイプの注射薬だ。GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)は体内にあるホルモンで、食べ物が小腸に達すると分泌され、血糖を低下させるインスリンの分泌を促す。ウゴービ、オゼンピックの成分であるセマグルチドはGLP-1によく似た構造を持っており、注射すると生体内のGLP-1同様にインスリン分泌を促進し、血糖値を下げる。
実際に糖尿病治療に使用する中で、GLP-1受容体作動薬には、体重減少や食欲抑制の効果があることがわかってきた。それにより肥満症治療薬としての開発が進んだ。臨床試験を通じて、糖尿病治療で投与する量よりも高用量を投与すると高い体重減少効果が確認されたため、同じ週1回投与でも、肥満症薬のウゴービの投与量は糖尿病薬オゼンピックよりも高く設定されている。
投与の対象は肥満症患者の中でもさらに限定される。高血圧、脂質異常症、2型糖尿病のいずれかがあり、食事療法・運動療法で十分な効果が得られないことを前提に、BMI35以上あるいはBMI27以上で肥満に関連する二つ以上の健康障害がある人が対象だ。横手理事長は「これまで高度の肥満には胃を小さくする外科手術があったが、食事・運動療法という一般的な治療と外科治療の間の治療法がなかった。使いやすい治療薬の登場で、減量をサポートできれば患者の健康やQOL(生活の質)が改善する。薬の登場で高血圧や脂質異常症の治療が進んだように肥満症の治療も前進する」と期待を寄せる。
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一方のアライはダイレクトOTC薬と呼ばれる市販薬だ。体内に脂肪が吸収されるのを防ぐ働きがあるとされ、18歳以上で、腹囲が男性で85cm以上、女性で90cm以上であり、生活習慣の改善に取り組んでいることが服用の前提になる。薬剤師が対面、指導した上で販売する要指導医薬品に位置づけられている。
痩身目的も一因となった在庫不足
正規に肥満症治療薬として承認されたGLP-1受容体作動薬がある一方で、近年問題となっているのが、美容クリニックなどが痩身目的のためにGLP-1受容体作動薬を販売するケースだ。
「コロナ禍もあってオンライン診療が普及し始めた2020年ごろ、自由診療でGLP-1受容体作動薬を出すクリニックが出てきた」
近畿地方の総合病院で糖尿病患者らの診療に携わる循環器内科医は、痩身目的のクリニックが増え始めた時期をそう振り返る。それらのクリニックはインターネット上にホームページを設け、「GLP-1ダイエット」や「メディカルダイエット」といった言葉で関心のある人を引きつける。「自由診療なので薬の代金がすごく高い。オンラインで形だけのカウンセリングをして通販で薬を売っている」と驚く。
事態を受け、20年8月に医薬品医療機器総合機構(PMDA)、同9月には国民生活センターが注意喚起の文書を公表した。同センターの発表によると、オンラインのクリニックがGLP-1受容体作動薬を痩身目的で販売するケースが増加し始めたのは17年ごろから。本来、医師から糖尿病の診断を受けて処方される薬が、不十分な説明や問診を経ただけで販売され、副作用が生じても適切に対応されないトラブルが起きているという。同センターの担当者は「利用者は糖尿病の薬とは知らず『痩せるための薬』と思って申し込み、トラブルが起きている。錠剤タイプのGLP-1受容体作動薬[注:リベルサス(セマグルチド)]が出てからは自己注射より服用しやすくなったため、さらに安易に手を出す人が増えている」と話す。
横手理事長も事態を憂慮する。一つは医学的な側面だ。「GLP-1受容体作動薬はその人が良い痩せ方をするために処方するべきなのに、肥満ではない人が使うことを医師が助けてしまっている。正常血糖の人が使用すれば低血糖となり失神するケースもある。若い女性が痩せ過ぎると感染症にかかりやすくなったり不妊になったりする」
さらに薬の供給にも影響する。「痩せ薬として使われてしまうと、本来使うべき人たちが使えず、糖尿病が悪化する事態になりかねない」と話す。
実際にGLP-1受容体作動薬の在庫逼迫(ひっぱく)が起きている。日本イーライリリー(東京都港区)などは、3月にGLP-1受容体作動薬のトルリシティ(デュラグルチド)、7月にはマンジャロ(チルセパチド)の出荷制限を発表した。マンジャロは6月に発売された「GIP/GLP-1受容体作動薬」と呼ばれる新薬だ。またノボノルディスクファーマ(東京都千代田区)でもオゼンピックが出荷停止や出荷制限の状態になっている。
北里大北里研究所病院の山田悟・糖尿病センター長は「3月にトルリシティの出荷が制限され、新規処方だけでなく、以前から使っている患者への継続処方も別の薬への切り替えが求められた。トルリシティは他のGLP-1受容体作動薬よりも痩せにくい特徴があるため、痩せさせたくない高齢の患者の治療に適していたが、オゼンピックは痩せてしまう懸念があり対応が難しい。さらに今はオゼンピックの新規処方も止められ治療選択が難しくなっている」と影響を打ち明ける。
GLP-1受容体作動薬の在庫逼迫は世界的な需要増のため、とメーカーは説明する。しかし臨床の医師の間には、痩身目的の適応外使用も一因との見方が広がる。
前出の医師は「今年に入ってGLP1受容体作動薬が足りなくなっており、糖尿病内科の医師に対しては新規の患者への処方は控えるよう制限がかかっている。肝心の保険診療の臨床に薬が足りない本末転倒の状況が起きている」と話す。
厚生労働省は7月28日に出した事務連絡で、GLP-1受容体作動薬が真に必要とする糖尿病患者に供給されるよう、買い占めなどを控え適正使用に努めるよう求めた。
左から横手幸太郎・日本肥満学会理事長、北里大北里研究所病院の山田悟・糖尿病センター長=いずれも本人提供
ウゴービなどの肥満症の新薬は発売日が決まっていない。横手理事長は「今後、肥満症治療薬が発売されると、さらに若い女性など痩せたい人が飛びつくことが懸念される。発売の際には、薬による治療が必要な肥満症とはどういう状態か、という点などをきちんと啓発する必要がある」と話す。
特記のない写真はゲッティ
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高野聡
毎日新聞 医療プレミア編集部
1989年入社、メディア情報部、船橋支局、千葉支局などを経て96年、東京本社科学環境部。埼玉医科大の性別適合手術、茨城県東海村臨界事故など科学環境分野のニュースを取材。2009年より大阪本社科学環境部で新型インフルエンザパンデミックなど取材。10年10月より医学誌MMJ(毎日メディカルジャーナル)編集長、東京本社医療福祉部編集委員、福井支局長などを歴任。