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毎日新聞2024/10/5 東京朝刊有料記事2073文字
奈良県立図書情報館の「戦争体験文庫」。所蔵図書約5万点のうち約9割は自由に読むことができる=奈良市で、栗原俊雄撮影
読み進めるにつれ、私は息をのんだ。「これは……。とんでもない史料が出てきたな」。表紙には「極秘 二・二六事件ニ関スル記録」の文字。とじられた陸軍の罫紙(けいし)9枚には、反乱将校を早々に自殺させようとする戒厳司令部と、証人として身柄を確保しようとする憲兵側との攻防が生々しく記されていた。
陸軍の青年将校らが政府首脳を襲撃した1936年の2・26事件。「記録」は2013年秋、千葉県習志野市の老舗酒屋の蔵で見つかった。事件が起きた2月26日から、28日を除く3月2日までが記されている。事態収拾に奔走した憲兵司令部幹部、矢野機(はかる)・陸軍少将(当時、後に中将)が書き残した「戒厳機密日誌」だ。
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日本近代史上、最大のクーデター未遂事件は書籍や映画など数多くのメディアの題材となり、そうした現象は「2・26産業」とも呼ばれる。だが私がみたところ、この「記録」は取り上げられていなかった。毎日新聞は14年2月25日の朝刊1面で報じ、その後、国立公文書館(東京都千代田区)に納まった。重要な史料として国の「お墨付き」を得たと言っていい。
酒屋の蔵は、11年の東日本大震災で破損した。店主が修復のため中を調べたところ「記録」が見つかった。数人を介して、私に「どれくらいの価値があるものなのか判断してほしい」と依頼があった。
「記録」が残ったのは、店主が表紙を見て「重要なもの」と判断したからだ。酒屋は明治末期の創業で軍人との交流が深かった。矢野は千葉県出身だった。ただ「記録」が酒屋に伝わった経緯は分からない。
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今は故人となった店主によれば、他にも多くの資料が残っていた。だが大部分は廃棄してしまったという。私は正直なところ、「もっと早く相談してほしかった」と思ったが、「極秘」の記録を残してくれただけでもありがたい。
長く日本近現代史、戦史を取材し報じているせいか、私には史料や資料を「見てほしい」という依頼がままある。会ったことのない読者から、戦時中の写真アルバムや手記などが送られてきたこともある。戦争体験者が残した資料の多くが行き場を失い、廃棄されたり散逸したりしていると思われる。
資料の行き場の問題は、アカデミズムの世界でも深刻だ。日本近現代史研究の第一人者である吉田裕・一橋大名誉教授は6年前、大学を退職するにあたり、膨大な蔵書の処理で悩んでいた。自宅で所蔵できる量ではない。引き取り手を探したが「国内の大学は無理だと思いました。大学図書館にはお金がないし、人手も足りないから」。蔵書のスペースにも限りがある。
現在は東京大空襲・戦災資料センター館長を務める吉田さんが重視して集めたのは戦友会の記録や兵士、民間人の手記など「非売品、商業ベースに乗らないもの」だ。これらからは「公文書では見えないものが見えてくる」と言う。日本では敗戦に伴い公文書が大量に焼かれてしまったため、それを補う点でも重要だ。
「吉田蔵書」のうち約1万冊は、知人の韓国人歴史研究者と韓国にある石梧文化財団の仲介を得て韓国・嶺南大に納まった。だが、退職時にやむなく蔵書を捨てる大学教員は少なくない。本人が亡くなった後に「遺品整理」で処分されるケースも多いという。
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「日本には資料を収集、保管、公開する文化が育っていない」と嘆いていた吉田さんが、私に「ぜひ取り上げてください」と言って挙げたのが、奈良県立図書情報館(奈良市)の「戦争体験文庫」だ。満州事変(31年)からサンフランシスコ講和条約(52年発効)までを主な対象に、寄贈による資料収集を進めてきた。図書約5万点、文書などの非図書資料約7500点を所蔵する。
9月、情報館を訪れた。書架に整然と並ぶ大量の書籍群は壮観だった。市販されていない部隊記録や従軍記、戦時下での庶民の生活誌、絶版になり、高価なため購入をためらうような本も多数ある。原則として貸し出しはしていない。しかし手に取って自由に読むことができる。広く明るい館内の環境ともども、想像以上の充実ぶりで「30年前、戦史を学ぶ大学院生だった私なら毎日訪れただろうな」と感じた。
戦争体験文庫担当の佐藤明俊さん(56)によれば、柿本善也知事(当時)の肝いり事業として、96年に県福祉政策課で準備を始めた。01年に県立奈良図書館に移管され、05年の情報館開館に伴って本格的にコーナーが設けられた。「自費出版の体験記が集まりやすい」という。多くは、この受け皿がなければ捨てられたり散逸したりしただろう。
大日本帝国の戦争は、日本史上最大の事件だ。戦後何年が過ぎようとも、継承していくべき歴史である。関連資料の収集と保管、公開は国家事業として進める必要がある。いきなり大がかりな施設を造ることは難しいだろう。ただ、来年の戦後80年を節目に、貴重な史資料の廃棄や国外流出を防ぐための手だてを、官民が協力して考えなければならない。(第1土曜日掲載)