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毎日新聞2024/10/10 東京朝刊618文字
首相に指名され国会内の民主党控室で乾杯する鳩山一郎首相(左)=国会内で1954年12月9日、東京本社写真部員撮影
1954年の訪米時にマッカーサー元帥(左)と会見する吉田茂首相=ニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで
「ザ・キャッチ」は1954年の米大リーグ・ワールドシリーズでウィリー・メイズ外野手がセンターへの大飛球を本塁に背を向けたまま好捕した伝説のプレー。多くの記録を残したスターが6月に93歳で亡くなり、改めて話題になった▲70年前の同じ日にニューヨーク入りしたのが吉田茂首相。野球に関心が集まる中「時期の悪い訪米」と報じられた。飛行機と船を乗り継ぎ、欧米を回った外遊は9月から11月まで約50日間を要した▲この間、自由党の反吉田派は新党結成に動いた。首相帰国後に日本民主党を結党し、吉田内閣は総辞職した。鳩山一郎氏が後任の首相に就任したのは12月10日。吉田氏の外遊出発以来70日余の劇的な展開だった▲鳩山首相は翌55年1月24日に衆院を解散した。就任から解散まで45日間。この戦後最短記録を破ったのが3年前の岸田文雄首相だったが、9日に解散に踏み切った石破茂首相が更新した。就任から解散までわずか8日で岸田氏より2日短い▲政権を守った鳩山氏は自由党との保守合同に応じ、自民党が誕生した。それ以降なかった「大慌て」の解散・総選挙がなぜ続くのか。支持率低迷の前政権を引き継ぎ「鮮度が落ちないうちに」という理屈はわかるが、近年の政治の劣化が表れたようでもある▲グローバル化の反動や二つの戦争、さらに物価高で世界的に政治が不安定化する。かつては想像もできなかったポストシーズンの日本選手の活躍に心躍る一方、総選挙後の政治の行方に一抹の不安を抱く。