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毎日新聞2024/10/13 東京朝刊有料記事1705文字
=宮間俊樹撮影
時代とともに、倫理は変わっていくものだ。例えば、健康な女性の卵子凍結は推奨されていなかったが、自治体は助成金を出すようになった。以前は積極的に知らせる必要はないとされていた出生前診断は、国が妊娠・出産・育児に関する支援の一環として、情報提供を行うべきだと方向転換している。
着床前診断についても新たな局面を迎えた。今年8月、日本産科婦人科学会(日産婦)は、重篤な遺伝性の病気の有無を、受精卵の段階で調べる着床前検査の承認事例を発表した。これまでは重篤性の定義は「成人に達する以前に日常生活を著しく損なう状態が出現したり、生命の生存が危ぶまれる」状態になる疾患とされていた。しかし2022年に、日産婦はこのルールに「原則」という文言を追加。新しい基準のもとでの初審査では、成人後に発症する病気や、治療すれば命に影響することは少ない病気も承認された。
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変わりゆく倫理のはざまに陥った人はどのように感じたのか。今回の着床前診断の対象拡大は、大阪市の会社員・野口麻衣子さんの申請が契機となった。野口さんは網膜芽細胞腫という遺伝性の目のがんの当事者であり、生後間もなく病気がわかり右目を摘出した。長男は病気を受け継がなかったが、次男は生後3週間で同じ病気が見つかった。第3子を望んでいた野口さんは18年、着床前診断を申請したが、「生命予後に関わらない」と不承認になった。野口さんは納得せずに再申請し、日産婦がルールの検討を行ったことが改訂への道筋につながった。
今回の新ルールのもとで、野口さんの申請は認められた。しかし42歳になり、さらに網膜芽細胞腫との関連が疑われる肝臓がんが見つかった。すぐに子どもをもつかどうかの結論を出せない状況である。私は以前から野口さんに話を聞いてきたが、野口さんは「時間との闘いだ」と話していた。病気に関連する「2次がん」ができやすいことを懸念し、自分が新たながんを発症して、子を育てられないかもしれないと心配していた。申請から6年たち、それが現実になったのだ。
「着床前診断は法律違反でなく、技術もあった。選択を拒んだのは、倫理だったのです」
着床前診断だけではなく、結婚や出産、病気の治療など、人生は選択の連続だ。その時に、何が正解かの答えは、誰も持ち合わせていない。だからこそ、自分で納得し、選択すればどんな結果になっても「不幸に思わない」のだと語った。
確かに、着床前診断は学会のルールに従わなくとも法律違反ではない。技術はすでに確立されており、学会が承認しなくても、認定外の施設や海外で着床前診断を受ける人たちもいる。野口さんが認定外を選ばなかったのは、子どもが大きくなったとき、社会の選択肢が広がってほしいという一念だったという。
一方で、選別される命の存在を忘れてはいけない。なぜなら、自分の存在を否定されていると受け取る当事者もいるからだ。重い遺伝性疾患のリスクを抱える女性は「着床前診断は病気の人を否定している」と感じつつも、選択肢は必要だと話す。そしてこの問題が、どんどん歯止めが利かなくなる「すべり坂」にならないように、と警告する論調に違和感を覚えるという。着床前診断を望むことが何か悪いことのように捉えられている気がするからだ。当事者にとっては「倫理的な問題」などでなく、ただ健康な子どもが欲しいという切実な願いなのだ。
倫理とは何か、倫理は誰が決めるのか。あるいはこう言い換えてもいい。誰が命を決めるのか。何をもって重篤な疾患とするのかについては、現在も明確な基準はない。今回も、同一疾患であっても、承認されたケースとされなかったケースがあり、一律に医学的な理由だけで決められているわけでもない。個人の選択は、国や法律、社会からの視線によって規定されたり、誘導されたりもする。とすれば、一学会だけで決めるのは任が重く、国民の代表者から選ばれた国会で討議されるべき課題だろう。生命倫理の4原則は、自律性の尊重▽無危害▽善行▽正義――である。もう一度この原則に立ち返り、さまざまな当事者の選択に寄り添える議論を求めたい。=毎週日曜日に掲載