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毎日新聞2024/10/15 06:00(最終更新 10/15 06:00)有料記事2476文字
記者会見する韓江氏=ソウルで2023年、韓国聯合ニュース・ロイター
今年のノーベル文学賞の受賞が決まった韓国の作家、韓江(ハン・ガン)さんは詩人でもあり、独特のか細い、やさしい声で、自身の作品を朗読することで知られる。韓国では共感する読者が、同じように静かに朗読会を続けてきた。人間の根底には「暴力にあらがう愛の力がある」と信じる人たちによる、祈りのような世界だ。
理不尽な暴力に傷ついた魂に触れる
作家の一貫したテーマは、人間が抱える暴力性にどう向き合うか――。国家や社会、家庭内で、理不尽な暴力によって傷ついた人々の記憶を呼び起こし、その魂に触れる作品が多い。
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英ブッカー国際賞を受賞後、ソウル市内で記者会見する韓江さん=2016年、韓国聯合ニュース・ロイター
特に次の3作品が日本を含む世界各国で翻訳され、国際的に注目されている。父や夫の暴力にさらされた女性が人間に絶望して木になりたいと願う「菜食主義者」(韓国発表2007年)▽韓国軍が民主化デモを鎮圧した1980年の「光州事件」を題材にした「少年が来る」(同14年)▽朝鮮半島分断の過程で起きた米軍政下の民衆虐殺「四・三事件」を描いた「別れを告げない」(同21年)。
「『菜食主義者』と『少年が来る』は表面的には違ったテーマに見えますが、私の内面の奥底では、(暴力に対して)潔癖なまでに倫理的に悩み尽くそうと努力する姿を描いたという点では共通しています」(16年、KBSのインタビュー)
「『少年が来る』を書いた時、こんなに苦しく、胸が痛いのは、人間の心の奥底に愛があるからだと気づきました。だから次の作品(『別れを告げない』)は、人間の愛について書こうと決めていました」(21年、文学トンネのインタビュー)
作家の中では、人間の暴力性を問う作品を通じて問いが深まり、次の作品が生まれる。3作品は問題意識として根底でつながっている。
光州事件の犠牲者を哀悼する朗読会
韓江さんのノーベル文学賞受賞決定を祝ってワインで乾杯をする出版関係者ら=東京都千代田区神田神保町1の韓国文学ブックカフェ「チェッコリ」で2024年10月10日午後9時7分、木原真希撮影
「菜食主義者」が英ブッカー国際賞を受賞した16年、朗読会は活発化した。ソウル市内の小さな独立系書店では、光州事件で市民が最後の抵抗をした5月18~27日に合わせて毎晩、「少年が来る」の朗読会が行われた。約束もなく、5人程度が集まって、順番に朗読する。一冊読み終わったら最初に戻り、また読み続ける。涙があふれると分かっているので、テーブルの真ん中にはティッシュがある。
3巡目にさしかかったある日、地道な朗読会の存在を知った韓さんが、書店を突然訪れた。店主は驚きながらも、「本はお持ちですか」と静かに椅子を差し出し、朗読の順番に作家を加えた。
作家の人柄が感じられるエピソードだ。韓さんはこの朗読会について語ったインタビューで、対価を求めずに、暴力にあらがい続けるこうした市民の存在が、執筆活動の支えになっていると明かした。
「世界が滅びるのを防いでいるのはこういう人たち。絶望に陥るのは、その事実を忘れる時。薬のように、この夜の記憶を思い出して服用しています」(16年、ネイパーTVのインタビュー)
韓国ソウルの書店で韓江さんの著作を手に取る人々=2024年10月10日、韓国聯合ニュース・共同
「セウォル号事故」機に変わった韓国文学
韓国の文学界は、修学旅行中の高校生を含む300人以上が死亡・行方不明となった14年4月の旅客船「セウォル号」沈没事故以降、大きく変わったと言われている。個人が直面する葛藤を外に向けて国家や社会に問う流れから、犠牲者や遺族ら傷ついた人々の内面に触れ、精神世界を繊細に描き、読者と葛藤を共有しようとする作品が増えた。韓さんは、その流れを進めるエンジン役を果たした。
韓さんの「少年が来る」が出版された14年5月は、セウォル号事故の直後。そして光州事件の犠牲者に対するヘイト活動が社会問題化していた時期だった。ブッカー賞を受賞した16年5月、韓国ではソウルの繁華街のトイレで20代女性が無差別殺人によって亡くなるという衝撃的な「江南事件」が起きた。
10年代半ばに韓国社会が直面した課題は、相次ぐ痛ましい事件そのものだけではない。真相究明や再発防止を求める過程で、犠牲者や支援者が暴言や攻撃にさらされるという事件の余波、ネット社会が生んだ新たな暴力との闘いだった。痛みを訴える遺族の声まで「被害を政治利用している」と非難された。
ノーベル文学賞の受賞が決まった韓江さんの特設コーナー=東京・新宿の紀伊国屋書店新宿本店で2024年10月10日、共同
「韓国は犠牲者への哀悼すら思い切りできない」。韓さんは19年にスウェーデンで開かれたブックトークで、セウォル号事故を巡る論争について語った。犠牲者の声がかき消される社会的風潮の中で、痛みにまっすぐ向き合う韓さんの作品は、事件や時代は違っても、傷ついた人たちの救いになったのだろう。
出口ではなく、人間の根底を直視
韓さんの作品は、暴力を止める解決策も、苦痛から脱する出口も示さない。「私にできることは、この身体と感情を(傷ついた人に)ささげ、一緒に感じること」と言い切る。だから読んでいて苦しい場面は多々ある。作家自身も「少年が来る」の脱稿後、悪夢と片頭痛に悩まされたという。それが、人間の根底にある愛というともしびを見つけた「別れを告げない」を書き終えてからは、眠れるようになったという。
近現代史のひずみ、個人史の中で封印した痛みを正面から受け入れることで、カタルシス(心の浄化作用)が起き、人間の本来の力を回復しているのかもしれない。
作家のファンである記者も、本を読みながら涙を流し、個人的な記憶の奥底にある傷まで見つけ出して混沌(こんとん)として泣き続けた後、ふと気づくと、違う世界にいると感じたことが何度もあった。過去の痛みに起因する暴力の連鎖が現在まで続く中で、人間は未来もこの連鎖の中にいたいのだろうか。絶望を突き抜けて心の底へ底へと導かれている気がする。
「別れを告げない」では、日本の植民地支配からの解放後に民間虐殺が済州島で起きたことについて、台湾や沖縄でも虐殺はあったと、孤立した島で暴力が集中する構造を想起させるくだりがある。朝鮮半島の近現代史のひずみは、日本が封印した闇と直結する。韓江文学は日本の読者にとっても、同時代を生きる人間として、不条理な世界で傷つきながらも、心の奥底へと旅する機会になるだろう。【外信部・堀山明子】
<※10月16日のコラムは古河通信部の堀井泰孝記者が執筆します>