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毎日新聞2024/10/20 東京朝刊有料記事2196文字
尾原宏之氏=手塚耕一郎撮影
<くらしナビ ライフスタイル>
2025年度から授業料を20%値上げすることを決めた東京大。学歴社会の頂点として東大生はテレビ番組でもてはやされる一方、ウェブでは偏差値を基準に一部大学がからかわれる状況が生まれている。東大とは何だろうか。東大生協の書店で6月、最も売れた人文書「『反・東大』の思想史」を記した尾原宏之・甲南大教授に、東大や対抗大学、学歴社会について聞いた。【聞き手・宍戸護】
東大の象徴、安田講堂=東京都文京区で、中村琢磨撮影
多様化する現実とずれ
――明治維新以降、東大はどんな役割を果たしてきましたか。
◆ちょんまげ結って生活していた人々が、近代国家を作り、産業を起こすため、さまざまな分野で国を指導する人を増やさなければなりませんでした。東大は国の問題を研究する国家学などを教えて、エリートを育成することが求められました。欧米の科学技術や法律といった多様な知識を吸収できる高い基礎学力が求められ、特に外国語や数学が重視されました。
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戦前、今でいう公務員試験を作成するメンバーは東大教授が多く、それだけ、官庁への就職も有利でした。また徴兵が猶予されたり、ある時期までは法学部の学生には裁判官や弁護士になる資格が無試験で与えられたり、特権もありました。
――東大に対抗する勢力はあったのでしょうか。
◆東大より先に創設された慶応大は当時資金力に乏しく、東大に人材を奪われていきました。創設者の福沢諭吉は米国ハーバード大との交流を深め対抗しようとしました。ハ大総長宛ての手紙で「慶大はハーバードの日本分校みたいにしたい」と記しています。実現はしなかったのですが、福沢は米国流の私学、商業・実業重視といった戦略を持っていたようです。
早稲田大は政界に進出するのが一つのモデルになりました。そのステップに新聞記者が位置づけられました。明治期に、新聞が政党機関紙と化した時期があり、創設者・大隈重信系の新聞社もありました。昔のメディアは賃金が安く社会的な地位も低かったのですが、卒業生がメディア・文学界に流れ込んでいったことが東大と慶大への対抗軸になりました。
学問で何とかしようとしたのは京都大です。草創期には教員が少数の学生を指導するゼミや卒業論文制度を導入しました。当時当たり前ではない大学図書館の本の貸し出しも始めて、自由な研究を重んじる学風をつくっていきました。
――東大の合格率が高い中高一貫校が人気です。学歴社会はどう見ていますか。
◆日本人はとにかくランキングが好きで、序列をつくりたがる傾向があるように見えます。福沢が著書に記した「権力の偏重」==という気風です。日本社会はどこででも上下関係ができやすい。家庭では父親、会社では上司、部活では先輩。最近はテレビのクイズ番組で東大生がもてはやされる一方、ウェブでは偏差値の低い大学を揶揄(やゆ)する動画があふれています。これらの情報は学歴で上下関係をつける社会を助長し、多くの若者の内面に影響を与えています。
所属する大学で普段学生と接していると「身の丈に合った」という言葉がキーワードとして浮かんできます。就職活動では上京して大企業に行きたいわけではなく、地元で就職してのんびり楽しく暮らしたいという希望が目立ちます。さまざまな序列が交じる人の群れに出されるよりも、「身の丈に合った」群れに入ると安心感があるのかもしれません。それ自体は悪いことではないのですが、社会の活力は生まれにくいと感じます。
新卒を減らして、中途採用増やせ
――どうすれば変わりますか。
◆米国では専門分野ごとに大学のランキングが変わります。いくつも頂点がある八ケ岳型といえます。しかし日本では全ての専門分野で東大がトップに立つ富士山型です。戦後に急激な民主化が進んだ状態になった時、個人や個性の尊重といった教育理念を持った私立大学がもっと育ってもよかったはずですが、国による支援も弱く、私立軽視と官立(国立)重視という価値観は大きく変わっていません。
東大を頂点とする学歴社会を変える方法の一つは、新卒一括採用を減らし、中途採用を増やすことだと思います。20代前半の学生を採用するために企業が大学名を重視するケースはあるでしょう。しかし社会にいったん出た人を対象とする中途採用となれば、学歴は評価の一部に過ぎず、その人の経験や実務能力が重視されます。人の能力を評価する際に大学名や偏差値を大きな基準にする風潮が依然見られますが、多様化する社会の現実に即しているとは思えません。企業は東大といった大学名ブランドに過剰に反応しないことが求められます。学生は自らを卑下せず、専門分野を学び、いろんな経験をして自己を高めればよいと思います。
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■ことば
権力の偏重
福沢が書著「文明論之概略」で記した。日本人は権力や権威に弱く、立場の強弱や上下関係に支配されやすいという考え方。人々の心が卑屈になり、権力への過度の従順や社会の停滞につながる。福沢はこれを批判し精神の独立を唱えた。
■人物略歴
尾原宏之(おはら・ひろゆき)氏
1973年生まれ。早稲田大政治経済学部卒業後、NHKなどを経て2022年から現職。博士(政治学)。専門は日本政治思想史。京都大非常勤講師。著書に「大正大震災―忘却された断層」など。