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毎日新聞2024/11/2 東京朝刊有料記事1017文字
<do-ki>
「最大のモテ期(複数の、多くは異性から一度に好意を寄せられる時期)到来」と、国民民主党が浮かれている(ように見える)。衆院選で公約した「手取りを増やす」政策実現へ、自民党と政策ごとの協議を始めた。
「お付き合いしましょう」とはっきり約束せず、デートに誘われる度に「どうしようかな。今日はやめておく。またね」とじらしながら、自民党からの求愛をできるだけ引っ張る手練手管。
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これは長続きしない。自民党が政権を維持したいなら、早くどこかの政党を自公連立に加える必要がある。首相が誰でもやるべきことは変わらない。日本政治は新たな多党連立期に入った。問題は、誰がそれをするのか。
連立時代も30年たつが、実はこの間、連立政権を誕生させた政治家は限られる。小沢一郎、野中広務両氏が双璧だろう。
小沢氏は非自民・非共産8党派の細川護熙政権を作って「あっ」と言わせ、新進党、旧民主党など思い出せないくらい多くの政党連合を作っては壊し、時に政権を担ったが、小政党へ零落していった(現在は立憲民主党)。連立作りの剛腕より「壊し屋」の異名の方がしっくりくる。
破壊力は野中氏も劣らない。国会内外で細川政権を攻撃し「政界の狙撃手」と恐れられ、やはり「えっ」と驚かせた自民・社会・さきがけ連立で政権を奪還。
自民党政権が参議院で過半数割れに陥ると、政権運営に責任を負う小渕恵三内閣の官房長官として公明党との連立を決意する。
公明党は「昨日まで敵(かたき)のように戦ってきた相手と、急に仲良くするのは難しい。間に座布団を置いてほしい」と条件を付けた。
それには野中氏が「悪魔」とののしってきた小沢党首の自由党と組むしかない。官房長官記者会見で「個人の感情は別として、小沢さんにひれ伏してでもご協力いただきたい」と呼びかけた。
その後、自自連立→自自公連立→自公・保守連立→自公連立とたどった経緯は周知の通り。曲折と賛否はもちろんあるにせよ、自公連立が22年も続いた実績を思えば、野中氏を「連立の名手」と評価しないのは不当であろう。
だが、野中氏は今も「融通無碍(ゆうずうむげ)で激しすぎた」と敬遠される。連立結成時の公明党・創価学会幹部も感謝は口にしない。裏で新聞に書けない際どい押し引きがあったからだ。野中氏は連立相手とも戦った。「だって理念も政策も来歴も違う他の党と組むんですよ」。高潔さを追わず、変節を恐れない闘士だった。(専門編集委員)