天一国安着のために - 18. 環境
環境創造は、神様の天地創造のときだけにあったのではありません。復帰摂理の過程においてもあったのです。私は後代のための環境創造を一生懸命にしました。皆さんの父母はどうだったでしょうか。責任を果たしましたか。皆さんのための環境創造をしてくれましたか。二世の皆さんは、今統一家の中心に立っています。皆さんは、根をはっきりと知らなければならず、環境を創造しなければなりません。
環境創造とは、簡単に言えば伝道です。伝道しなければならないというのです。その道だけが、皆さんが讒訴を受けない道であり方法です。
(天一国経典『天聖経』第12篇・第4章・第3節・27)
家庭を見るとき、家屋が良く、その周囲の環境が良いといって、良いわけではありません。反対に、いくら環境が悪くて家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のあらゆる基準を結びつけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いのために思いやる心情があります。これが追憶の本郷であり、あらゆる生活の動機になるので、私たちの生活で幸福を左右する基礎になります。
(同 第5篇・第1章・第1節・10)
人にとって幸せな環境とは、どのようなものでしょうか。幸せな環境にある人とは、父母の愛を受けられる立場に立った人です。その次には、夫婦の愛を互いに授け受けできる立場に立った人です。その次には、子女を愛せる立場に立った人です。その次には兄弟の愛が分かる立場に立った人です。そのような内容が分かってこそ、国家と世界を発展させることができます。したがって、幸福の母体になることができるのは、完全な家庭の円満な父母と夫婦、そして子女を中心とした愛の基盤なのです。
(同 第5篇・第1章・第4節・6)
人にとって一番良いものとは何でしょうか。父母が一番良く、その次には「私」であり、その次には子女です。このようにして歴史が継承されます。このような内容が集約された所とはどこでしょうか。私たちの生命を結びつけ、生命に連結されたその環境を中心として愛が花咲く根拠地が家庭だというのです。
(天一国経典『天聖経』第5篇・第1章・第4節・8)
統一教会は観が明確です。ですから、今日、統一教会の理念をもってどこに行っても引っ掛かりません。このような自信をもってあすの天国を建設しなければなりません。生活天国は「私」の手から、心情天国は「私」の家庭からつくっていこうというのです。
すなわち、「私」の家庭を中心としては心情天国をつくり、「私」の手を通しては環境天国をつくろうというのです。
(同 第5篇・第4章・第6節・32)
天の国は、どのような所かといえば、善の所であり、義の所です。そのような環境が広がる世界です。そこは、好きなもの、うれしいもの、愛するものがいつでも満ちあふれた所です。それでは、天国に入れる人とは、どのような人でしょうか。その環境に合う内容を備えた人にならなければなりません。これは、当然の結論です。私たちは、そのような天国を見つめながら進んでいるのです。
(同 第12篇・第1章・第1節・11)
真のお父様は、蕩減復帰摂理を完成、完了してくださいました。天一国を開いてくださったのです。しかし、天一国のための環境は今、私たちがつくらなければなりません。
すぐに天地開闢(かいびゃく)になるのではありません。私たちが精誠を尽くして、どれほど私の兄弟と私の氏族、私の国と隣人を愛で抱いたかということが重要であり、それが伝道の実として残るのです。食べて寝ることを忘れ、一つの生命でも天に捧げようと思いなさいというのです。
(天一国経典『天聖経』第12篇・第4章・第3節・28)
息子、娘は、自分自身を身代わりする実りです。ですから、愛さなければなりません。自分自身を愛するので、神様の息子、娘である人間も、神様を身代わりするのです。永生は愛によって連結されます。それで、永生の環境を形成するには、愛の環境を中心として生活しなければなりません。愛の実体圏をもつには、愛を中心として実体的な体恤をしなければなりません。
(同 第7篇・第3章・第1節・21)
隣人を自分のように愛することより、さらに大きな愛はないと言いました。それが一番の愛です。父母を愛せなかった恨(ハン)が残っているなら、父母の前に孝行する以上の愛をもって隣人を愛するようになれば、必ず孝行できる環境が展開し、孝行のような愛の環境が展開するときは、その人がたとえ父母の前では孝行できなくても、天倫は孝行した以上の価値を分かってくれるのです。
(同 第11篇・第1章・第3節・16)