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毎日新聞2024/11/5 06:00(最終更新 11/5 06:00)有料記事1974文字
仕事と介護の両立で悩んだ時期を振り返る家弓安哲さん。若年性認知症当事者と家族の会「芽吹き」の代表も務めている=東京都内で2024年10月26日午後4時48分、銭場裕司撮影
認知症のある家族を介護するために仕事を辞めた方がいいのか……。そうした悩みを抱える人は多く、離職の道を選ぶ人もいる。
49歳の時に同い年の妻が若年性認知症になった東京都日野市の家弓安哲(かゆみやすのり)さん(62)も離職を覚悟したことがあった。精神的に苦しかった時期、会社や医師は家弓さんにどんな言葉をかけたのか。
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家弓さんは名古屋市出身。東京都内の大学院を出た後、ITベンチャーに就職した。会社はその後、大手精密機器メーカーの子会社となり、コンピューターエンジニアの仕事などを手がけた。
27歳の時に結婚した妻はしっかりもので陶芸などの趣味も楽しんでいたという。その妻の調子が優れず、アルツハイマー型認知症と診断されたのは2011年。まだ40代の夫婦にとってはまさかの事態で、ショックを受けた妻が涙を流すこともあった。
「介護費用を稼いできなさい」
仕事と介護を巡る思い出として、家弓さんは二つの印象的なやりとりを教えてくれた。
一つ目は診断からまだ間もない時期のこと。診察室で向き合った医師は、家弓さんが先行きに不安をにじませている様子をひしひしと感じたのだろう。話をする中でこんな言葉をかけられた。
「知識も経験もないのに(家弓さんに)介護ができるんですか。介護はプロに任せて介護費用を稼いできなさい」
医師からは「(素人に)介護される身にもなってみろ」という趣旨のことも言われた。安易に仕事は辞めるな、というメッセージを感じた家弓さんにとって、長く心に残る言葉になった。
退職も覚悟して伝えたこと
若年性認知症当事者と家族の会「芽吹き」の代表を務める家弓安哲さん。仲間とともに過ごす時間を大事にしている=東京都内で2024年10月26日午後5時5分、銭場裕司撮影
妻はその後、デイサービスや短期間の宿泊、訪問介護を状況に合わせて使える小規模多機能型の介護事業所を利用しながら、在宅での暮らしを続けた。
だが、15年ごろになると、買い物などの日常生活で失敗することも目立つようになり、家弓さんがなんらかの対応をする場面が増えていった。自身も仕事でプロジェクトリーダーを任されて多忙な日々を送り、精神的に追い込まれるようになる。
このままだと部下の指導や育成がおろそかになり、お客さんにも迷惑をかける――。そんな心配から思い悩むようになった。一番つらかった時期だ。
家弓さんは社長に事情を説明して「プロジェクトリーダーを抜けさせてください」と頭を下げた。退職もやむなしとする覚悟を持って切り出したという。
申し出を受けた社長はその日にプロジェクトに関わるメンバーや人事・総務部門の担当者を集めた。そこで家弓さんの妻の体調が優れないことを説明して、こんな話をしたという。
「社員は普段、家族に支えられて仕事をしている。家族の調子が悪くなった時にサポートするのは会社の役目だからね」
社長はその場で家弓さんが希望したプロジェクトリーダーの交代を発表。この対応で家弓さんの心は軽くなった。
もし辞めていれば……
その後、定年退職するまで同じ会社で仕事を続けられた家弓さんは、自分は恵まれた環境にあったと振り返る。家弓さんの要望に応えるために会社が無理をしていたとすれば、それが負い目になって自分から辞めていたかもしれない。
余裕のない中小企業や個人事業主などが同じような対応を取れるとは限らない。そのため、介護と仕事を両立させるには、公的な支援が必要不可欠だと感じている。
もし会社を辞めていれば、自分は精神的にもっと追い込まれていただろう、とも思う。収入源を失うこともなく、仕事の時間が介護からのリフレッシュになっていた側面もあった。
当時は気付けなかったこと
取材を続けていると、家弓さんはふと、こんな話をしてくれた。離職を悩んでいた当時、自分が十分に考えられていなかったことがあるという。
「当時は仕事を続けられるか悩みましたけど、妻にとって何が良いのかは冷静に考えられていなかったかもしれません。仕事を辞めて介護に専念したとしても、それは自己満足であって、妻にとって本当に良いことだったのかは分からない。やっぱり、それぞれが外とつながる時間も大切で、2人だけで家に閉じこもるのは避けた方がいい」
恩返しの気持ちで
妻は現在、長期療養型の病院に入院している。家弓さんは面会に通い、一緒に過ごせる時間を大事にしている。
若年性認知症当事者と家族の会「芽吹き」の代表も務めて10年になる家弓さん。メンバーと散策や食事に出かけたり、地域の子どもたちのために駄菓子屋を開いたりするなど、さまざまな活動をともにしている。
苦しい時期、同じ境遇にある人たちと交流できたことは自身の大きな支えになった。長く代表を続けるのはその恩返しの気持ちからでもある。会では、気楽に足を運べる雰囲気を大切にして、多くの仲間を迎えている。【社会部東京グループ・銭場裕司】
<※11月6日のコラムは学芸部の清水有香記者が執筆します>