|
毎日新聞2024/11/6 06:00(最終更新 11/6 06:00)有料記事2216文字
雑居ビルの3階にある文校の教室。さまざまな人生を背負った人がこの場所に集まってくる=大阪市中央区で2024年10月10日、清水有香撮影
ここでは、さまざまな人生が交差する。
今年、創立70年を迎えた大阪文学学校(大阪市中央区)。通称「文校」は古びた雑居ビルの3階にある。
小説を書いてみたい、賞を狙いたい、執筆仲間がほしい、自分と向き合いたい。
みな何かを求めて文校の門をたたく。
どんな動機であれ「一人一人の思いに応える場でありたい」と、文校事務局長歴30年の小原(こはら)政幸さん(72)は薩摩なまりの柔らかい口調で語る。
30年以上前、自身は人生に迷える一人の生徒だった。
大阪文学学校の秋の入学開講式。事務局長の小原政幸さんは「今日は皆さんの新しい門出です」と新入生を祝福した=大阪市中央区で2024年10月6日午後2時29分、清水有香撮影
留年、挫折、逃走、勘当……
1989年秋の夜。
当時37歳だった小原さんはラブホテル街での改装工事を終えると、雨靴姿のまま文校に向かった。
目的は体験入学。行きつけの喫茶店で新聞の告知記事を目にし、これだと思った。
「書くことで自分を立て直そう」
日雇い労働者が集まる大阪・釜ケ崎の簡易宿泊所を寝床とし、もう4年が過ぎていた。
鹿児島県南端の町で農家の長男に生まれた。県立の進学校に入学し、医者としての将来を嘱望された。74年、石川県の金沢大医学部に入学する。
Advertisement
合評では、仲間の作品について率直な意見が交わされる=大阪市中央区で2024年4月23日、梅田麻衣子撮影
だが、授業そっちのけで部落解放運動に励んだ。
「医学の道はどうするのかと、常に葛藤はあった。でも両立なんてそう簡単じゃない」
留年を重ねて運動に尽くしたが、解放同盟の支部設立はかなわなかった。自堕落な生活を送った末、卒業試験も放棄し、11年以上暮らした金沢を逃げるように去った。85年11月、泊まり歩いていた富山のサウナでは、テレビがプロ野球・阪神の優勝を伝えていた。
それから誰とも連絡を取らず、釜ケ崎で身を隠すように生きた。パチンコと建設労働で日銭を稼ぐ日々。自分がふがいなく、毎晩のように泣いた。
「明日こそは鹿児島に帰って親にわびよう」
そう決めて宿代を日払いにするも、実家に電話する勇気すら出ない。やがて運転免許証の更新が迫り、意を決して帰郷した。
待っていたのは父親からの勘当宣告だった。
舞い戻った釜ケ崎で文校の入学募集記事を見たのは、その数カ月後だ。
対話の時間、生きるよすがに
文校は初代校長になった詩人、小野十三郎らが中心となり、54年7月に開校した。
文校の1956年の卒業記念写真。前列右端は作家デビュー前の田辺聖子さん=同校提供
戦後の民主化が進み、労働運動がさかんだった時代。自分の思いを自分の言葉で表現したいと渇望する若者たちの学び舎(や)として根付いた。生徒が互いに作品を批評する「合評」スタイルが、創立時からの特徴だ。
現在はオンラインでも参加でき、全国から老若男女が集う。
修了生は延べ1万3500人。64年に芥川賞を受賞する前の、まだ20代だった田辺聖子さんもいた。直木賞作家の朝井まかてさんも、今年、太宰治賞を受賞した気鋭の市街地ギャオさんも、デビュー前の時間を過ごした。
89年10月に入学した小原さんは、釜ケ崎から30分ほどかけて自転車で通った。
小説なんて書いたことはなかった。でも「とにかく自分自身のドキュメントを書こうと決めた。そうすれば、自分の駄目な部分を徹底的にのぞけるんじゃないかと思って」。
何より、人生にケリをつけたかった。
作品の前では、年齢も肩書も関係ない。チューターとよばれる講師も、生徒と対等な立場で議論に参加する。そんな対話の時間が、孤独と傷を抱えた自身の「生きるよすがになった」。
周囲の誘いで93年に事務局職員として働き始めた。翌年には事務局長に就く。その後、自らの半生を題材に小説を書き上げた。
今は執筆より、文校という場を作ることにやりがいを感じている。自らの来し方を振り返ればこそ、「書くことで生きる指針をつかもうとする人を大事にしたい」との思いは強い。
学ぶ人たちの「夢見る底力」
文校の歩みを支えたのは学ぶ人たちの「夢見る底力」だったと、半世紀の歴史を記録した「いま、文学の森へ 大阪文学学校の五〇年」(大阪文学協会理事会編・2004年)にはつづられる。
それは一編の詩を私に思い出させた。
<ぼくがなんかいうと じきにみなが 笑つてかかる 「夢みたいなことをいうな」と ぼくまでもが そうかなあと 思つてしまう(略)それでも夢を 捨てかねて ぼくは一人で もちあぐんでいる>(金時鐘さん「夢みたいなこと」)
今年3月に取材した70周年記念祭の最後、詩人で校長の細見和之さんが朗読した。「文校は一人で夢をもちあぐんでいるような人の集まりだと思うし、そうありたい」と細見さんは語った。
この秋も新入生47人が加わった。
出版社の就職活動や卒論執筆に行き詰まり、「今一度書くことに向き合おう」と決意した大学休学中の22歳女性。
闘病後のリハビリを続けながら、小説を書くという幼少期からの目標に向かって「人生の最期の最期まで悪あがきしたい」と意気込む55歳男性。
創立70周年記念祭では、文校を「わが母校」と呼ぶ作家、朝井まかてさんが講演した=大阪市城東区で2024年3月16日、三村政司撮影
「自分史のようなものを書けたら」と願う86歳女性。
現在、22~92歳までの約380人が在籍する。
小原さんは文校へ来てから「いろんな人間模様を見てきた」と言う。「結局ね、同じ志の人だけで合評してもつまらない。異質な者たちが出会って、交わって、そこから創作のヒントが生まれると思うんです」
一人ではどうしようもない「夢みたいなこと」も、生きる指針を求める心も、文校では知識や技術以上に書くことのつえになる。
それぞれが秘めた思いを持ち寄って、この場所から新たな人生の幕が上がる。【学芸部・清水有香】
<※11月7日のコラムは秋田支局の高橋宗男記者が執筆します>