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毎日新聞2024/11/8 06:00(最終更新 11/8 06:00)有料記事1900文字
観光名所になっているインドの首都ニューデリーのインド門を見学する女性ら=2023年5月2日午後1時3分、川上珠実撮影
生理による体調不良で就業できないときに取得できる「生理休暇」は、女性の社会進出につながるか。インドで、こんな議論が起きている。
インドでは長らく、生理について語るのはタブーとされてきた。2018年に日本でも公開された、インド映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」。生理が不浄とみなされ、生理中に家族から隔離されて部屋の外で過ごす女性たちの姿が描かれた。生理を話題にすることすら恥だとされる中、主人公の男性は、生理用品を安価に製造する機械を開発するために奮闘する。
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この映画は実在の男性がモデルで、舞台は01年のある小さな村だ。一方、現在のインドでは、市民や有識者など多くの人が公の場で生理休暇の是非を議論している。
「少なくともここ数十年、インドではタブーに挑戦する運動や対話が盛んに行われてきました」。そう説明するのは、B・R・アンベドカル博士大学デリーで、女性労働者について研究してきたシバニ・ナグ助教だ。
15年には、女子学生らが「Happy To Bleed(血を流すのは幸せなこと)」というスローガンを掲げ、生理を肯定的に捉えるキャンペーンをSNS(ネット交流サービス)上で広げた。最近のネット上の動画では、女性たちが自分のカバンの中身を紹介する際に、当然のように生理用品を取り出す姿が見られる。
インドの首都ニューデリーのマーケットを行き交う女性ら=2024年2月27日午前11時56分、川上珠実撮影
「彼女たちは生理が清浄か不浄かという視点に縛られず、生理にまつわる、さまざまな体験や問題を語っています」。「世代交代は間違いなく進んでいます。どこでもそうだとは言えませんが、議会でも議論されるようになったのは、大きな前進です」とナグ氏は指摘する。
インド議会では近年、生理休暇に関する複数の議員立法が提案されてきた。女性の労働環境を改善するとして前向きに捉えられている一方、女性特有の休暇を認めることで企業にとって女性を雇用するハードルを上げてしまうと懸念もされている。世界銀行によると、インドの女性の労働力率は33%(23年)で、世界平均(49%)と比較して低い水準にとどまる。生理休暇が女性労働者への差別を助長するとの見方は根強い。
それでも、ナグ氏は「どのような主張であれ、人々が自分たちの経験を明確にするのは、歓迎すべきことです。話題に上ることで、女性たちが表に出てきて自らの経験を分かち合えるようになるのです」と、議論が起きていること自体を評価する。
実際に働く女性たちからは、どのような声が上がっているのか。ナグ氏が研究を通じて話を聞いた複数の女性たちは、重い月経痛で有給休暇を使い果たしてしまうと打ち明けた。また、清潔なトイレがなく、安心して生理用品を交換できないという声や、職場に生理用品の自販機があれば助かるとの声もあった。
「仕事場は、男性が労働者であるという想定のもとに作られていますが、女性の労働者もいるという想像力が必要です」と説くナグ氏。「できる限り多くの女性の話を聞き、さまざまな経験や状況を理解しようとする。そして、すべての声を受け入れる方法を考えることが重要です」と説明する。
ちなみに、日本では1947年に制定された労働基準法で生理休暇が定められている。しかし、厚生労働省によると、女性労働者のうち、20年度中に生理休暇を請求した人の割合は0・9%にとどまった。私も働き始めて16年になるが、一度も請求したことがない。男性の上司には伝えにくいし、女性同士であっても生理痛の重さには個人差があるので、理解を得られないかもしれないとためらってしまう。日本社会にも目に見えないタブーは存在する。
インドの首都ニューデリー郊外にあるオフィス街=2024年5月1日午後1時45分、川上珠実撮影
ナグ氏は「何らかの法規定は必要でしょう。すべてを雇用者の良心には任せられません」と指摘する。その上で「規定は女性たちとの対話に基づき、女性たちのさまざまな経験を考慮したものでなくてはなりません。社会運動や開かれた対話も必要です。規定があったとしても、女性たちが利用をためらうものであっては意味がありません」と強調する。
インドの最高裁は7月、裁判所が生理休暇に関する決定を下すのは適切ではないとする一方で、政府に対して関係機関と協議し、生理休暇のモデルとなる政策を策定できないか検討するように求めた。
社会のタブーを破るのは想像以上に難しい。それでも、今まさに経済や社会が著しく発展しているインドを見ていると、議論を通じて何かが変わるかもしれないという期待感が芽生える。今後、女性たちの声がどのようにインド社会を動かしていくのか、注目したい。【ニューデリー支局・川上珠実】
<※11月9日は休載します。10日のコラムはニューヨーク支局の八田浩輔記者が執筆します>