|
毎日新聞2024/11/8 東京朝刊有料記事1899文字
ノーベル文学賞の受賞決定後、初めて公の場に姿を現した作家のハン・ガンさん=ソウルで10月17日、AP
韓国の作家、ハン・ガン(韓江)さん(53)のノーベル文学賞受賞決定は、我が国の文学や出版の関係者、メディアの間で意外性を持って受け止められた。決して賞にそぐわないというわけではなく、過去の受賞作家のキャリアと比べたとき、「まだ早いのではないか」という見解で一致していたからだと思う。
韓国国内や欧米でも同様の反応であったと聞く。50代前半でアジア初の女性作家の受賞。ファンだけではなく、近年日本で急拡大した韓国文学の読者、およびそれに関わった人々が、身近に、どこか自分のことのように喜んでいる。意外であっただけ、祝う声は関係者の間でひときわ大きな波紋となり広がっている。
Advertisement
2016年、「菜食主義者」でアジア人作家として初の英ブッカー国際賞を受賞して以来、ハンさんは世界で最も注目される韓国の作家であった。現代韓国文学を代表する一人であり、別格の存在感を持つ。「菜食主義者」の英語版は、原作を読んだ一人の熱心な英国の女性が翻訳し、小さな出版社から刊行されたことで知られる。ブッカー賞受賞から始まるノーベル文学賞への道のりが、熱意ある女性の翻訳から始まったことは特筆すべきだろう。
海外でハンさんの作品を扱ってきたのも、比較的小規模な出版社だという。日本においてもおおむね同様で、韓国文学の人気をけん引してきた出版社「クオン」(東京都千代田区)の金承福(キムスンボク)社長は「どの国でも好きな人たちが翻訳して、クオンと同じように小さなところが出版しているんじゃないでしょうか」と話す。出版界の小さな一歩が、大きな賞につながったと言え、今回の受賞を関係者が自分のことのように祝い合うゆえんでもある。
喪失からの回復、身近な物語に光
さらに作家が持つ弱き者への一貫したまなざしが、共感の輪を強めている。ハンさんの作品は、社会的規範から外れたり、傷つき何かを喪失したりした人の回復と再生の物語を詩的な表現でつづる。繊細で静かな筆致の根底には、暴力や抑圧に対する揺るぎない姿勢を感じることができる。韓国近現代史の悲劇を正面から取り上げた「少年が来る」「別れを告げない」では歴史の痛みを引き受け、より先鋭的に人間が持つ暴力性への苦悩を表現した。
7年前、クオンが主催したツアーで、「少年が来る」の舞台であり、ハンさんの故郷でもある光州を訪ねる機会があった。同作は1980年5月、軍が民主化運動を鎮圧した「光州事件」をテーマにしている。墓地や遺体安置所などの作品の舞台に立つと、死者との交感を繊細に描き切った作者の強靱(きょうじん)な想像力を感じずにはいられなかった。
ハンさんの父親で作家、ハン・スンウォン(韓勝源)さんにも会うことができた。彼によると、家族が光州からソウルに転居したのは80年1月。その4カ月後に事件は起こっている。「運動で前に立つよりも、小説家は書くことで主張しなければならないと思った」との、スンウォンさんの言葉が印象に残った。「少年が来る」のエピローグには、父親が隠し持っていた事件の写真集を12歳のころに見た際の衝撃が書かれている。そこにはひどい暴行を受けた子どもの写真もあった。<私の中の、そこにあると意識したことのなかった柔らかい部分が、音もなく砕けた>
隣国の文学通し、自国の歴史直視
最新邦訳「別れを告げない」は、米軍政下の済州島で起きた住民虐殺「4・3事件」をテーマにしている。長編「火山島」などで長年「4・3事件」を小説の主題としてきた在日コリアンの作家、金石範さん(99)は、受賞への喜びを述べた後、書評で作品内容を知るのみとしながら「私は受難と同時に戦いとして事件を書いてきた。彼女は被害者の悲しみを受動的に描いているようだ。社会的な背景、世界観も違うが、4・3事件の悲劇が世界に知られるのは喜ばしい。イデオロギーを超越した作品として評価されるのだろう」と話した。
私はハンさんと同じ70年生まれ。多感な年ごろに軍の武力鎮圧や政治体制が覆るような劇的な出来事を経験していない。韓国の民主化宣言は87年。「光州事件」や「4・3事件」は近年まで公に語ることが難しく、朝鮮戦争は今も継続状態にある。隣国の同世代の作家たちが作品に込めた歴史を知ることは、私が現代の韓国文学を読む一つの理由でもある。
ただ、それは韓国だけにとどまらない。国内外で韓国をはじめとするアジア文学の出版が進むことを望む。日本の読者は、そこに日本の植民地支配や経済成長を支えた痕跡を見ることができるだろう。どの言語であれ、作品や作家に対し熱意ある翻訳者、出版社がさらに生まれてくることを期待したい。