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毎日新聞2024/11/10 06:00(最終更新 11/10 06:00)有料記事1790文字
ワシントン・ポストの本社=ワシントンで2024年11月5日、八田浩輔撮影
米国の新聞は大きな選挙が近づくと、社説で特定の候補者への支持を表明する。日本の業界にはない慣習だ。その「事件」は米大統領選の11日前に起きた。
名門紙ワシントン・ポストは、今回の大統領選から候補者の支持表明をしないと発表した。オーナーであるアマゾン創業者の大富豪、ジェフ・ベゾス氏の意向だった。ポストは1976年以降の大統領選で、1度の例外を除いて民主党候補を支持してきた。今回も論説委員会はカマラ・ハリス副大統領を支持する草稿を準備していたという。
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それから1週間足らずで25万人以上が電子版の購読を解約した。全購読者の約1割に相当する衝撃的な数字だ。ベゾス氏の決定に反発し、ピュリツァー賞受賞者を含む複数の論説委員も辞任した。元編集主幹のマーティ・バロン氏は「臆病で民主主義を犠牲にした」と古巣を批判した。
ワシントン・ポストの本社=ワシントンで2024年11月5日、八田浩輔撮影
こうした動きを受け、ベゾス氏は遅れてオーナーの肩書でポストに寄稿した。その中で特定候補の支持は「偏向の認識」を生み出すと主張し、今回の措置はメディアに対する信頼を取り戻すための「正しい方向に向かう意義ある一歩」だとした。
経営からの編集の自由への介入を擁護するつもりはない。ただ、分断が進む社会で信頼度が低下するメディアの現代的な役割を再考すべきだとの主張に、私自身はさほど違和感を抱かなかった。
ワシントン・ポストの本社が入るビル=ワシントンで2024年11月5日、八田浩輔撮影
古くからの愛読者の見方は違う。「私にはベゾス氏があの候補者の報復に恐れをなしたように見えます」。大統領戦後にハリス氏が敗北を認めたワシントンの演説会場で話を聞いた70代の男性は怒っていた。「あの候補者」とはもちろんドナルド・トランプ次期大統領のことだ。
男性は抗議を投書にしたためたが、ポストの購読は続けている。「ベゾス氏の判断を罰したいのであれば、ポストの購読をやめるのではなく、アマゾンでの買い物をやめればいい。変わらずいい新聞ですから」
テンプル大学のデービッド・ミンディッチ教授=Joseph V. Labolitoさん撮影
ジャーナリズムに関する複数の著書があるテンプル大学のデービッド・ミンディッチ教授によれば、米国で新聞は政党のPR紙として発展した。新聞が政治的な独立性を獲得したのは1830年代に入ってからだ。大衆向けの「ペニープレス」と呼ばれる安い新聞が普及し始め、選挙のたびに支持する政党を変えるようになった。それは幅広い読者層を取り込むための販売戦略の側面もあったという。
今回の大統領選では、西海岸を代表する有力紙ロサンゼルス・タイムズや全国紙USAトゥデーなども支持表明を見送った。
「報道機関を敵視し、怒りをぶつけるよう国民にたきつける大統領を前にすれば、用心深くなるかもしれない。しかし、優れたジャーナリズムを保証するものは勇気です」。ミンディッチさんは新聞による支持表明は継続すべきだとの立場だが、「この時代においては、意味をなさないと判断する新聞が出てくることは理解できる」とも言う。
新聞には客観的なニュース記事と意見を表明する社説を含むオピニオン記事を隔てる明確な壁がある。紙の新聞では通常、ページが分かれて区別されているが、オンラインではその境界はあいまいになる。読む側にはニュースとオピニオンの機能の違いはますます認識されにくくなり、「偏向」との批判を生む土壌となっている。
米ジャーナリズム史が専門のイリノイ大学のメリタ・ガルザ准教授によれば、支持表明には以前から賛否あったが、地域に複数の新聞が存在する時代には大きな問題にはならなかったという。多様な論が展開されていたためだ。
イリノイ大学のメリタ・ガルザ准教授=本人提供
ところがインターネットの普及で地方紙の廃刊が相次ぎ、生き残った新聞の支持表明の重みが変わった。同時にニュースソースが多様化し、新聞から情報を得る消費者がもはや少数派になっている現実もある。ガルザさんは、「混乱を招く一要素」である新聞の支持表明は、役割を終えたのではないかと考えている。その上で「さらに深刻な問題」を提起するのだった。
「ニュースを見る人々の冷笑的で不信の目が、新聞という存在をさらに時代遅れにさせています。バイアスのない客観的なニュース記事をすべてプロパガンダとみなし、正当なニュース源とそうでないものを区別できない人々とどう向き合えばいいのでしょうか。私にとってそれは、大統領選の支持よりもずっと大きな問題です」【ニューヨーク支局・八田浩輔】
<※11月11日のコラムは写真部兼那覇支局の喜屋武真之介記者が執筆します>