|
毎日新聞2024/11/17 東京朝刊有料記事949文字
<滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>
ホスピス財団と毎日新聞の共催シンポジウム「大切な人を亡くすとき ―どうしたらいい? 孤立と悲嘆―」が11月10日、大阪府内で開催された。当日は司会役で会の進行に追われたが、いま、大事なテーマをつらつら思い返している。
家族だけじゃない。長い付き合いの仲間、愛しているその人ともう会えないという重い事実を、どう受けとめればいいのか。絶望する人、心を失う人、泣き叫ぶ人、涙すら出ない人……。登壇した坂口幸弘・関西学院大教授、田村恵子・大阪歯科大教授、池山晴人・大阪国際がんセンターがん相談支援センター長の3人は、それぞれの立場から発言した。
Advertisement
死別に伴うグリーフ(悲嘆)ケアの専門家である坂口さんは、回復ではなくて適応を目指すべきだ、と語りかけた。「立ち直ることなんて遺族にはできません。元に戻る『回復』というイメージではなく『適応』。故人がいないという状況とどう折り合っていくか、という話です」
がん看護専門看護師の田村さんと、医療ソーシャルワーカーの池山さんは、期せずして同じ「予期悲嘆」という耳慣れない専門用語を取り上げた。悲嘆は人の死から始まるのではない。診察や病状説明の前後から、動揺したり、食欲をなくしたり、怒りが抑えられなくなったりする。さらに残された家族の経済的なことなどで本人の不安は募っていく。しかも予期悲嘆をケアしても、そのあと実際の死別の負担が軽くなるとはいえないという。
かなしみは十人十色、百人百様なのだ。録音データを聞き直しながらそう感じた。年齢、性別、家族環境、経済状態、人生観などで異なってくる。黙り込む人がいる一方で、話さずにはいられない人もいる。長患いだった人の遺族と、病態が急変するがん患者の遺族とは悲嘆反応は違う。いや、これも百人百様か。定番のマニュアルなどない。
「ほんのわずかであっても『納得』に近づけるお手伝いがしたい」。池山さんは遺族に接するときそう思う。正解はないのだから、せめて周りの人たちが「精いっぱい、やり遂げた」と思える、そんな支援をしたいと。そして最後のスライドにはこんな言葉が。「大切な悲嘆の時間をすごすために」。そうか。悲嘆は避けられない正常な反応。だからこそ、大切な時間と考えたい。(専門編集委員)