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毎日新聞2024/11/23 東京朝刊有料記事1013文字
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初めて三八式歩兵銃を持った。見た目よりずしりとする。約4キログラム、長さ1・3メートル。鉄かぶとをかぶり、背のうを担いで山野を逃げるすきっ腹の疲れきった兵隊には、さぞ難儀だったろう。
福岡県のJR博多駅から電車で1時間。無人の小竹駅で降り、遠賀川沿いから坂を上ると、小さなプレハブ建物がある。
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「兵士・庶民の戦争資料館」の看板が見え、武富慈海(じかい)館長(75)が迎えてくれる。先月訪れた時は、毎年10月の恒例企画「レイテ島遺品展」の最中だった。
80年前の10月20日、フィリピンのレイテ島で日米陸軍の決戦が始まった。日本軍は誤った情報と判断で8万4000人を投じ、米軍20万人の猛攻を受け密林を敗走。約2カ月で壊滅した。戦死者8万人。遺骨が今も島に眠る。
館内には、現地で収集されたさびた鉄かぶと、飯ごう、銃弾が貫通した名前入りの水筒、歯ブラシ、お守り、弾丸、薬きょうなど200点余が並んでいた。
「手をふれて下さい 鉄帽はかぶり、軍靴ははいてみて、その重さ、堅さなど知って下さい」
初めに武富さんは、手書きの表示を掲げて呼びかける。父、登巳男さんが開設して以来45年間守っている運営方針だ。
「公共施設だと、触るな、写真もペンもダメと制約だらけ。物には使った人の魂が宿っている。目に見えない力がある。実物に触れ、戦争の実体を感じてこそ反戦につながる」と武富さん。
曽祖父は日露戦争、祖父は第一次大戦、父は日中・太平洋戦争の8年間全てに従軍した「兵士3代」の家系。父は戦地で多くの不条理と無慈悲を経験し、復員する時、二度と戦争しない日本にすると亡き戦友たちに誓う。
仕事の傍ら追悼文集を作ったが、やがて全国から戦争遺品を集め、退職後の1979年に自宅の一角で無料公開を始めた。
「体験談など言葉にはどうしても脚色が入る。物自体に語らせるのが一番間違いない」という信念からだったという。「戦争を語り継ぐ」正しい行いに潜む危うさに、早くから意識的だった。
遺品は15年で6000点を超え、雨漏りのする自宅から、大半を隣町の資料館に譲っていったん閉じたが、地元の寺が敷地と建物を提供してくれて再開した。
2002年に父は他界。後を守った母も19年に亡くなり、慈海さんが3代目を継いでいる。
「レイテ展」には1カ月余で120人、東北や東京からも訪れた。触れたい人たちはいる。行く当てが他にない。(専門編集委員)