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毎日新聞2024/11/28 東京朝刊有料記事4385文字
1940年7月7日、「奢侈(しゃし)品等製造販売制限規則」が施行され(「七・七禁令」)、戦争遂行や軍需生産の拡大には直接貢献しない「ぜいたく品」の製造や販売が禁じられ、「ぜいたくは敵」となった。写真は街頭でパーマネントや〝華美な装い〞の女性に注意する警察官=大阪市で40年7月31日、国平幸男撮影
大日本帝国が米国など連合国に降伏し、第二次世界大戦が終結してから来年で80年を迎える。帝国は敗北が決定的になった後も戦争を続け被害が拡大した。なぜそんな長期戦が可能だったのか。小堀聡氏が経済史学の視座から分析した。森健氏は、近年の選挙戦で注目されているSNS(ネット交流サービス)について、急激な拡大の理由と課題を探った。福田円氏は米大統領選でトランプ氏の再選が決まる中、習近平・中国国家主席の動きに注目、日中「戦略的互恵関係」再建への課題を探った。(寄稿中敬称略)
◆日本の戦争支えた経済政策
人々の生活を犠牲に 小堀聡
少し気が早いが、来年は日本が第二次世界大戦で敗れてから、80年である。本紙でも、さまざまな企画が組まれることだろう。
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もっとも、来年で80年なのは、当時のさまざまな選択の末の結果である。もし降伏がもっと早ければ、戦後80年は今年であったかもしれないし、昨年であったかもしれない。
同大戦における日本人戦没者の9割が1944年以降に生じたといわれることを想起するならば、この違いの意味は大きい(吉田裕「日本軍兵士」)。44年7月にはマリアナ諸島のサイパンが陥落し、11月には同地を拠点とする本土爆撃が始まった。最も遅く見積もっても、サイパン陥落の時点で、日本の敗北は既に決定的であった。
なぜ、日本はかくも長く戦争を続けたのか。この問いには、軍部の暴走やそれを制御できない政治家などが、よく指摘される。むろんこれらは重要であるが、経済史学は別の点にも注目してきた。それは、戦争の長期化を支えた経済政策の存在だ。
結論から言うならば、為政者が戦争を継続できたのは、人びとの生活水準をできるだけ低下させる政策を断行したからである。要点は、次の二つだ。
第一に、日本の占領地における生活水準の低下である。40年以降、日本はそれまでの支配地域に加えて、東南アジア占領への関心を強め、大東亜共栄圏を掲げたが、その目的はあくまでも、日本による資源の独占であった。一方で、共栄圏外との関係を断ちつつ、できるだけ多くの資源を日本に運ぶと、占領地に残る資源は減少する。
このことを、日本の為政者は当初から自覚していた。しかも、占領地住民の生活保障については、全く考慮していなかった。安達宏昭によると、対米開戦を決定した41年12月1日の御前会議で、大蔵大臣の賀屋興宣は、「相当長期の間、現地一般民衆の生活を顧慮するの暇ほとんど無し」と明言している。
生活水準引き下げ
実際、戦況の悪化とともに占領地の物不足は深刻化した。日本は、植民地や占領地からの資源収奪によって、戦力を確保しようとしたのである。だが、戦局の悪化とともに輸送用の船舶が急速に減少すると、資源は日本に届かなくなる。その際にひときわ引き下げられたのが、日本国内の生活水準であった。これが第二の要点である。
そもそも37年の日中戦争勃発以降、日本では戦時統制経済が実施されていた。これは、市場の機能を制限し、政府が樹立する動員計画によって、物資、労働力、交通、お金などの流れを用途別に調節する仕組みだ。大まかな用途は、軍需、重工業設備投資、消費財である。
これらそれぞれについて、政府が需要を査定。その供給に必要な物資等を企業など生産者に配分した。著名な国家総動員法は、この配分を議会を通さずに、勅令(天皇の命令)などで円滑に実施するための法律だ。
戦時統制経済が意味するのは、消費財の査定を削れば削るほど、軍需生産やそれを支える重工業設備を拡大できるということだ。実際、消費財の供給は真っ先に削られ、戦況の悪化とともに一層圧縮されていく。
結局、第二次世界大戦中における日本国内の生活水準の低下は、同じ敗戦国のドイツと比べても、著しいものとなった。敗戦時の1人当たり消費財供給量は、日中戦争前の5割前後に過ぎない(中村隆英「『計画化』と『民主化』」)。
「国民努力」の悲劇
裏を返せば、当時の日本国民は、消費財のこれほどの圧縮に、適応したのである。それは、懸命な努力や工夫を通じてであった。たとえば食料不足の下、さまざまな代用食が編み出された。
こうした努力や工夫が悲劇的なのは、結局はそれが「消費財はまだまだ削れる」という自信を、為政者に与えたからだ。軍需生産の余力は、その分かさ上げされる。これがさらなる戦争長期化を支え、アジア太平洋一帯での犠牲や生活難を増大させていく。あくまでも結果論だが、因果関係は否定できない。
この戦時下の悲劇は、より普遍的に定式化しうるだろう。しんどい社会に適応しようとする個々人の自助努力は、時としてその社会の維持・強化を、結果としてもたらす、と。
今日も近所の書店に足を運ぶと、自己研さんやメンタルトレーニングの本が充実している。その一方で、各種の調査によると、国や社会を変えられることへの日本人の期待は、国際的にみて低い。閉塞(へいそく)的な社会のなかで、人々がまず重視しているのが、こんな社会でも生き抜くための懸命な努力であり、それに役立つ工夫なのだろう。
こうした工夫自体を否定する気は全くない。筆者自身も、仕事や生活に役立てている。とはいえ、個々人の自助努力の集合が果てしなく積み上がっていくとしたら、その先にはいったい、どんな社会があるだろうか。
80年前の日本国民が懸命な努力をするしかなかった背景には、戦争を遂行する為政者を更迭するための制度がそもそも存在しない、という事情があった。だが、幸いにして、今は違う。では、どうするか。これもまた先の大戦からの問いだと、筆者には思える。
◆選挙とSNS
情報の公共性議論必要 森健
選挙における情報が国内外で揺らぎ始めている。米大統領選で事前報道はトランプとハリスは接戦と伝えていたが、結果はトランプの圧勝だった。なぜ大きくズレたのか。米ギャラップの調査では、マスメディアへの信用度は民主党員で54%、共和党員は12%だった。そのため共和党支持者は世論調査を拒否していたのではという指摘がある。では、有権者はどこから情報を得ているのか。米ピュー・リサーチ・センターの調査では54%の人がニュースをSNSから得ているという。カギはSNSだ。
日本でもSNSによる影響が大きくなっている。夏の東京都知事選では前安芸高田市長の石丸伸二が165万票で2位につけたが、推進力になったのはSNSだった。ネットコミュニケーション研究所の調べでは動画を自由に編集する「切り抜き動画」が石丸を対象に急増した。関連するアカウントは50以上に及び、それら関連動画の総再生数は2億回近くに及んだ。なぜ切り抜くのか? 狙いは政策より収益のようだ。石丸関連の切り抜き職人は再生数の収益で月数百万円稼いでいた可能性がある。
同じような切り抜き現象が、衆院選では国民民主党の玉木雄一郎、兵庫県知事選では斎藤元彦で起きた。いずれも大きく得票を伸ばしたことは周知の通りだ。
公選法では候補者が支援に対価を支払うと罰せられる。だが、いま対価は再生数で保証され、そちらに群がる人がいる。選挙における報道とSNSという情報の公共性。そのあり方を議論すべき時期が来ている。
◆日中関係
「戦略的互恵」再建への道 福田円
長らく迷走してきた日中関係に前進の兆しが見られる。両国首脳は、昨年に引き続きアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の機会を利用して会談を行い、「戦略的互恵関係」を推進することを確認した。
第1次安倍政権期に「戦略的互恵関係」の構想づくりに関わった垂秀夫前駐中国大使によれば、これは中国を日本の側に振り向かせる「魔法の言葉」であった。しかし、この構想を両国が共有した後、地域における中国の現状変更志向は強まり、日本は2022年末の安保3文書でこうした傾向が「戦略的挑戦」であると認めた。
両国が「戦略的互恵関係」を再確認したことは、互いが再び向き合い、具体的な歩み寄りを積み重ねることを意味する。しかし、尖閣諸島・東シナ海、台湾海峡などの安全保障問題はもちろんのこと、水産物輸入停止問題など昨年の首脳会談で確認した懸案事項に関する交渉もまとまらなかった。それどころか、中国経済情勢の悪化、邦人拘束、日本人学校児童殺害事件などの影響を受け、これまで日中関係を支えてきた日本経済界の熱意すら冷めはじめた。
しかし、トランプ当選は中国側の姿勢を変えた。今回の首脳会談で習近平は水産物の輸入解禁に言及し、会談後には日本人への短期滞在ビザ免除措置再開も発表された。ただ、日中間の課題は上述のように山積し、歩み寄りは容易でない。この機運を生かすためには、日本国内で望ましい対中関係について議論がなされ、さらなる外交努力が行われる必要がある。
◆今月のお薦め4本 小堀聡氏氏
■大東亜共栄圏(安達宏昭、中公新書)政治的・経済的実態を史料に基づいて解説。
■「日本被団協」ノーベル平和賞受賞が持つ「大きな意味」(篠田英朗、現代ビジネス11月1日)80年前の自らの姿と重ね合わせつつ、ガザの子どもたちの苦境に涙を流す。この普遍的な平和主義に、被爆者運動の偉大さを見据える。
■防衛費膨張が意味するもの(河音琢郎、世界12月号)米国の対外政策によって進められてきた過程を分析・批判。
■真珠湾奇襲 山本五十六名将伝説を検証する(文芸春秋12月号、保阪正康ほか)作戦の経緯とその後への影響をめぐる座談会。
◆今月のお薦め3本 森健氏
■アメリカ「オルタナティブな現実」が覆う未来(竹田ダニエル、世界12月号)報道に不信の時代。
■「エビデンスに基づくポピュリズム」の時代(杉谷和哉、Voice12月号)石丸氏と蓮舫氏に共通項。
■解雇規制が大量の非正規を生んだ(大竹文雄、文芸春秋12月号)解雇の問題はルールが不透明で裁判所に委ねられていること。
◆今月のお薦め3本 福田円氏
■特集・視えない中国(吉岡桂子・梶谷懐・斎藤淳子・毛利亜樹、世界12月号)重要論点の深層。
■沖縄に襲い掛かる中国の浸透工作(益尾知佐子・安田峰俊、Voice12月号)中国をよく知り、その力を利用して身を守る発想が重要。
■日中関係の低迷打破のため「戦略的互恵」のアクションを取れ(垂秀夫、霞関会HP)知恵が必要。
■人物略歴
小堀聡(こぼり・さとる)氏
京都大准教授。大阪大大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。著書に「日本のエネルギー革命―資源小国の近現代」「京急沿線の近現代史」。1980年生まれ。
森健(もり・けん)氏
ジャーナリスト。1968年生まれ。
福田円(ふくだ・まどか)氏
法政大教授(アジア国際政治)。1980年生まれ。