天一国安着のために - 19. 真の父母に侍る
私たちが抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に侍ることを心から希望しなければなりません。侍るには、勝利の基盤が形成されたのち、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった立場で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることを願わなければなりません。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることができなかったことを、先祖たちは恨(ハン)と思っています。
真の父母に侍ることを、全人類は心から希望するのです。ですから、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。
(天一国経典『天聖経』第2篇・第2章・第1節・5)
皆さんの理想は何ですか。真の父母です。統一教会は、歴史が求めてきた中心である真の父母に侍るところです。時代が要求する中心である真の父母に侍るところです。未来の起源になることができる真の父母を、「私」が相続することができるのです。したがって、私は歴史的な実です。私は時代的な中心です。未来の起源になり、先祖になるのですが、真の父母の心情と一致できる関係を結んでこそ、そのようになるのです。このような心をもってこのような祈りをすれば、恥ずかしくありません。
(同 第2篇・第4章・第5節・6)
皆さんが真の父母と完全に一つになるとき、国家もあり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体基準が、真の父母です。
真の父母を世の中のお金と取り替えることができますか。自分の生命と取り替えることができますか。ですから、昔とは違うのです。皆さんがどこに行こうと、真の父母に侍らなければなりません。皆さんの息子、娘も、千代、万代の子孫たちも、そのようにしなければなりません。
(同 第2篇・第1章・第1節・14)
皆さんは、神様の悲しみを知らなければならず、神様の悲しみが大きければ大きいほど、私たちを祝福したいと思う心が切実だということを知らなければなりません。復帰過程にいる皆さんは、まず真の父母に侍り、その次に、再びその関係を連結して、天上世界まで収拾しなければなりません。このような立場で、皆さんに天地を相続させてあげ、宇宙を相続させてあげ、万民を相続させてあげたいと思うのが、神様の心情です。
したがって、皆さんは、神様の代わりに、真の父母の代わりに、真の息子、娘の使命を果たして、神様のみ前に立てられる真の子女の栄光の基盤を備え、神様が「忠臣だ」と言える基盤を備えなければなりません。
(天一国経典『天聖経』第2篇・第4章・第5節・9)
統一教会は、何をする所なのでしょうか。縦的には神様に侍り、横的には真の父母に侍って、完全に共鳴した場で、真の愛を受け継ごう、相続しようというのです。この真の愛の属性には、愛に同参できる同参権と相続権があります。その次には、同じ立場に立てる同位権があります。
また、愛を受けるならば、どこでも一緒に行くことができるのです。どこに行っても同参する権限があるのです。このように、真の愛の属性の中には三大属性があるのです。愛の関係を結ぶようになれば、同位権、同参権、相続権をもちます。すぐに同じ立場に立つのです。
(同 第3篇・第1章・第3節・8)
父母に孝行しなければなりません。孝子にならなければなりません。父母を中心として国の忠臣にならなければなりません。父母が、国を率い、世界を率いてきたからです。忠臣になる前に孝子にならなければならず、孝子になる前に真の兄弟を誇れる家族にならなければなりません。家族とは、兄弟間で褒めたたえることができる圏内を中心とする名称です。
昔、男性と女性が結婚して夫婦となり、家庭を率いて父母の前に孝行した以上の孝行をしなければなりません。結婚しなければ、真の孝子、孝女になることはできません。真の孝子、孝女には、結婚したのちに初めてなることができるのです。結婚して夫婦となり、その父母の前で、夫の孝行の心に妻の孝行の心をプラスして、父母に侍る孝行の心の基盤を備えてこそ、真の孝道圏を成立させることができるのです。
(同 第3篇・第2章・第4節・14)
神様は縦的な父母です。永遠に離れることはできません。家庭で父母に侍るのは、永遠の世界で神様、すなわち縦的な真の父母に侍るための訓練です。そして、天の国は愛の世界です。愛の世界は空気が愛からなっています。そこに適応するために訓練する所が家庭です。真の愛の概念には、与えるという意味が入っています。思いどおりにするというものではありません。それは皆さんが家でするように、容易なことではありません。難しい道なのです。
(天一国経典『天聖経』第5篇・第1章・第4節・26)
真の父母に、なぜ侍らなければならないのでしょうか。霊界と神様を代表しているからです。その次に、第一父母、第二父母、第三父母が心情的紐帯(ちゅうたい)を結び、愛の中で束ねておいたので、これを代表できる、心情的勝利圏に同参できる資格を得るためです。
(同 第7篇・第3章・第2節・34)
侍義時代とは何でしょうか。神様に侍って暮らす時代です。聖書における第一の戒めも、「神様を愛しなさい」というみ言ではないでしょうか。後天時代には、神様御自身が真の父母の姿で万民の前に顕現されます。したがって、真の父母に侍る統一教会の立場は、世の中のいかなる力や勢力とも比較できない天の権勢として現れるのです。
(同 第12篇・第3章・第3節・13)
父母から「やりなさい」と命令されてやるのではなく、自分の意志によってやり、父母の心を知って、その理想に対しても責任を果たそうと立ち上がることのできる子女が現れなければなりません。そうして初めて、全人類のお父様として復帰摂理全体に責任を負った神様の秘密を相続させることのできる基盤が、地上に立てられるようになるのです。
(『文鮮明先生御言選集』29-96、1970.2.25)〈『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』43-44頁〉
神様と最高の人に侍ることができ、最高の父母に侍ることができる、その位置以上にもっと良いものがどこにあるでしょうか。私たちの最高の願いとは何かというと、神様と失ってしまった真の父母をお迎えし、天の愛のもとで、その平和の場で、その父母の膝下(しっか)で永遠に暮らすことです。それが私たちの最高の幸福です。
(同151-204、1962.12.15)〈同42頁〉
完成時代は子女の時代なので、父母に侍らなければなりません。父母が苦労しているのに、自分ばかり楽をしようとするのは親不孝者です。父母の苦労を代わりに自分が責任をもとうとしてこそ、父母を守護することになるのです。
(同52-235、1972.1.1)〈同43頁〉
孝子は、百年たとうと千年たとうと、父母を離れてはいけません。「一緒にいたい」と思わなければなりません。父母に「できるならば、千年、万年一緒にいたい」と思わせる、そのような父母の心を引きつける子女でなければ、孝子ではありません。父母の愛には、いくらなっていない子女でも、「その子と一緒にいたい」という思いがあるのです。
(同147-292、1986.10.1)〈同44頁〉