|
|
毎日新聞2024/12/12 06:00(最終更新 12/12 06:00)有料記事2026文字
非常戒厳の解除後、国民向け談話を発表する尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領=ソウルの大統領府で2024年12月7日、大統領府提供・聯合・共同
「国会は犯罪集団の巣窟」「北朝鮮に操られた反国家勢力を一挙に撲滅する」
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が3日午後10時23分、おどろおどろしい言葉で非常戒厳を宣言した後、真っ先に軍が入ったのは国会でも放送局でもなく、ソウル郊外の選挙管理委員会だった。
緊急談話が終わったわずか3分後の午後10時半すぎ、近くに待機していた約300人が複数の選管の庁舎に到着した。国会にはヘリが午後11時48分に到着し、約280人が投入された。
Advertisement
異例の選管占拠の理由
韓国で非常戒厳が宣言された2024年12月3日夜、ソウルの国会に進入した戒厳軍の兵士ら(画像の一部が加工されています)=国会事務局提供・共同
非常戒厳を出した直後の標的がなぜ選管?
周りの韓国人に聞いても選管占領には首をかしげる。現行の非常戒厳は国会を規制の対象外としているので、国会への軍投入は違憲だが、昔の発想で強権を発動しようとする意図は想像できる。放送社や新聞社の職員は言論弾圧から報道を守ろうと、深夜、職場に走ったが規制はなかった。
選管が公開した監視カメラの映像には、兵士数人が事前登録の選挙人名簿を管理するシステムサーバーや配線装置を撮影している様子が映っていた。3時間20分後に撤退したが、国会議決で非常戒厳解除の流れができたからで、もし議決されなかったら、サーバーが持ち出されていた可能性がある。
非常戒厳を全体的に指揮した金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相は韓国メディアの取材に「国民に不正選挙疑惑が広がっており、捜査の必要性を判断するためだった」と説明した。
陰謀論を信じていた?
不正選挙疑惑は極右系のユーチューバーが訴えている主張で、2020年と24年の総選挙で進歩系の「共に民主党」が圧勝した背景には、北朝鮮に操られた勢力の操作があるという見方だ。中国からきた朝鮮族が偽造の投票用紙を印刷したり、北朝鮮が選管の選挙人名簿をハッキングしたりするなど諸説あるが、韓国メディアによると、これまで120件以上の訴訟が却下された。
韓国で非常戒厳が宣言された直後、ソウルの国会に進入した戒厳軍兵士が持つ銃を素手でつかみ、抗議する市民=2024年12月4日、聯合ニュースTV・AP
つまり、疑惑は保守系団体関係者で信じる人はいても、大手メディアは「陰謀論」としてあまり報じなくなっている件だ。
22年の大統領選で尹氏を支援した関係者によると、大統領候補の時から周辺に「検事時代に選挙管理委員会を徹底的に調査しようとしたが、できなかった」と不正選挙疑惑を唱えていたという。尹氏は陰謀論を信じていた節がうかがわれる。
尹氏は大統領として、国家情報院に選管のセキュリティー管理の点検を命じたり、国軍防諜(ぼうちょう)司令部に不正選挙を捜査する権限を与えたり、1年以上かけて疑惑解明の努力をしてきた。しかし、核心的証拠は得られなかったようだ。
だから非常戒厳に踏み切ったとしたら? 陰謀論の信者に事実をいくら並べても説得はできないと言われるが、そういう状況だったのかもしれない。
保守系に広がる選挙不信
韓国で非常戒厳が宣言された2024年12月3日夜、ソウルの国会内部に侵入する戒厳軍に消火器を使って抵抗する国会議員補佐官ら=聯合ロイター
保守系の「週刊朝鮮」が23年10月に行った世論調査によると、「過去の選挙で外部勢力のハッキングで投開票が操作されたことがあったと思うか」という質問に、思うと答えた人は38・2%。政治傾向で差が大きく、自身を保守系と考える人に限定すると、思うが52・5%にのぼる。民主主義の先進国である韓国の国民が、民意を反映する土台である選挙を信じられなくなっているというのは皮肉だ。
弾劾訴追案が不成立になった直後の7日、私が登録していた政策勉強会のグループチャットにメッセージが届いた。「大統領が入手しようとした証拠は、次のニセ国会議員の不当当選を立証するサーバー操作の痕跡だった」
文書には、46人の国会議員の名前と選挙区が書かれている。勉強会には教授ら知識人が多く参加しているが、メンバーの一人が尹氏を擁護する狙いで「言論(メディア)が報じてくれないので共有希望」と投稿した。それに対する反応は起きていないものの、選挙不信は極右だけでなく、思ったより身近な問題だと肌で感じた。
「ポスト真実」時代の民主主義
客観的な事実より、感情的な訴えのほうが社会的な影響力を持つ状況を「ポスト真実」という。オックスフォード英語辞書が16年に「今年の言葉」に選び、世界中に広まった用語だ。
尹錫悦大統領への弾劾訴追案の採決を控え、国会前で大統領退陣を訴える市民=ソウル市内で2024年12月7日午後5時41分、堀山明子撮影
米大統領選を例にあげるまでもなく、日本の首長選挙でも、フェイクニュースをただす記事に有権者が関心をもたない社会現象は生まれている。格差や分断が広がる社会、インターネットなどITが進む社会ほど「ポスト真実」は浸透するという。
韓国で非常戒厳が宣言されたのは1979年以来だが、45年前に戻ったのではない。IT先進国で保革対立が激しい韓国が、民主主義とポピュリズムの葛藤の中で、「ポスト真実」の世界観でそのまま動く大統領を生み出したのではないだろうか。
韓国のセルフクーデターとその後の安定政権樹立までの道のりは、新たな対立と紆余(うよ)曲折が予想されるが、世界中の民主主義が直面している最前線の実験のように見える。【外信部・堀山明子】
<※12月13日のコラムは古河通信部の堀井泰孝記者が執筆します>