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毎日新聞2024/12/14 東京朝刊有料記事2033文字
徳島県阿南市が基金で購入した債券。含み損を抱え、軒並み「塩漬け」になっている=井上英介撮影
人口約7万人の徳島県阿南市が2月、1世帯あたり10万円の現金を給付する物価高騰対策を実施し、私は本コラムでこれを批判した(2月10日朝刊「『選挙買収』やるなら堂々?」)。昨年11月に当選した岩佐義弘市長の選挙公約で総額は25億円。自治体の現金給付としては全国でも突出した規模だった。
25億円の原資は大災害などの際の出費に備える市の「貯金」(財政調整基金)だった。それでもなお、財調を含む基金の残額は150億円に上る。市内には世界的半導体メーカー日亜化学工業の本社や工場、王子製紙の大きな工場などがあり、豊かな税収が近隣自治体の羨望(せんぼう)の的となってきた。
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ところが、その阿南市がいま深刻な事態に直面している。
基金の60%約91億円を国債や社債などの債券として抱え、含み損で売ることもできず、現金が枯渇気味だ。これが今年10月に表面化。今後の税収減や諸経費膨張で事業ができない、予算も組めなくなると大騒ぎになっているのだ。基金を管理する会計管理者が独断で債券を買った可能性もあるとして、岩佐市長は調査委員会を設け、真相究明に取り組むと表明。事業の抑制や行財政改革を語る……。
いや待ってくれよ。それで25億円もばらまいたのか?
自治体が公費で債券を買うのは珍しくない。長く続いたマイナス金利で一般投資家と同様、銀行に預けず債券の利回りを狙う合理的な行動である。ただ阿南市の場合、債券の種類と購入額のデカさが災いした。
市が債券を買ったのは、前の表原立磨(おもてはらたつま)市長時代の2020~22年度。初年度に運用益が出て喜ばれ、次年度以降の会計管理者が買い増した。今年3月、日銀が利上げに転じると債券価格は大きく下落。市の保有債券の評価額は現在73億円で、2割の含み損を抱える。自治体の投資は怖い。公費を使うため1円の損失も許されず、元本割れでの売却は厳禁。元本が戻る満期まで15年以上の長期債券が大半で、当面は「塩漬け」だ。
総務省によると22年度、全国1741自治体のうち基金で債券を購入しているのは半数の869自治体で、基金総額に対する債券の比率は平均21%。阿南市の60%は高すぎる。関係者の証言を総合すると、市は証券会社に勧められるまま、長期ものをホイホイ買っていたらしい。それ以上に問題なのは、評価損が出る前に売らず、ぼんやり抱えていたこと。植田和男氏が日銀総裁に就いた昨年春から、利上げの空気は流れていた。
会計管理者を任命するのは市長だ。市の財政を担う平井琢二副市長(今年4月に徳島県から出向)は、当時の表原市長の任命、監督責任を問う。一方、表原氏は「21、22年度の債券購入は報告がなく、知らなかった。自治体の会計管理者は独立性が高く、その判断に市長はルール上関与しない」と話す。
だが、いま私が問いたいのはそこではない。基金がこんなありさまで、岩佐氏はなぜ現金給付を実行したのか。給付により基金に対する債券比率は51%から60%に悪化した。さらになぜ10月、急に慌てだしたのか。
岩佐氏は市長に就いた直後の昨年12月、給付実施の条例案を議会に提出した。このとき一部の議員が基金の債券比率をただし、さらには、現金が少なくて南海トラフ地震に対処できるのかと質問。市側は、大災害では県や国が面倒を見てくれる旨を答弁した(24年1月10日市議会総務委員会)。現金が足りなくなるという危機感はみじんも感じられない。
岩佐氏は基金の実情を知らずに10万円を配ったのか。それとも知ったうえでか。本人に問うと「就任後に知ったが給付は必要と考えた」。今ごろ騒ぎ出したのは「10月の議会決算審査特別委員会で(市政与党の)議員から指摘を受けたため」と語った。岩佐氏も市の幹部も当初、ことの重大性に気づいていなかったのではないか。徳島県庁で長く財政畑を歩いた平井副市長は、「債券91億円をないものとして今後やりくりする」と悲壮な声で私に言った。財政通の平井氏の登場で、やっと深刻さを認識したかに見える。
この阿南市現金給付問題。徳島県内では残念ながら問題視する報道をあまり見ない。だが、高知新聞幡多支社の富尾和方(かずまさ)記者(50)は、私のコラムより1カ月早く、今年1月9日の同紙コラム「地空(じくう)」で「まじか?」と題して取り上げた。彼は阿南市出身で正月に帰省し、岩佐氏の公約を知ったという。
<知人らに電話したが、(10万円給付を)歓迎する声はなかった。「市外の人に『お金で転んだ』と言われるのがつらい」「いつか南海トラフ地震も起こる。これだけの額を使うのは心配」。みんな戸惑っていた。高知で就職し、首長選を何度も取材した。ここまで露骨な公約は「まじで」記憶がない……>
見る人は見ているし、感じる人は感じているのだ。
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喫水線(きっすいせん)は、水に浮く船の側面と水面が交わる線。(徳島支局長・大阪本社元編集局次長)(第2土曜日掲載)