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毎日新聞2026/7/16 21:13(最終更新 7/16 21:13)有料記事839文字
利根川進さん=文部科学省で2015年2月24日、宮間俊樹撮影
生物の複雑な免疫の仕組みを解き明かし、1987年に日本人で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した、米マサチューセッツ工科大(MIT)教授の利根川進(とねがわ・すすむ)さんが11日、死去した。86歳だった。15日、MITが発表した。
名古屋市生まれ。京都大理学部を卒業後、分子生物学を学ぶために渡米し、免疫の研究に励んだ。
ヒトなどの高等生物では、免疫細胞が産生する「抗体」がウイルスや細菌などの異物から体を守っている。抗体は異物(抗原)に結びついて、毒性を弱めたり無毒化したりするが、その数はヒトの遺伝子数をはるかに上回る100億以上もある。抗体の多様性は、長年「生物学上の謎」とされていた。
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利根川さんはスイスのバーゼル免疫学研究所に所属していた70年代、幕が開けたばかりの遺伝子工学の手法を駆使し、抗体の遺伝子を解析。抗体遺伝子の部品がさまざまに組み合わさって「再構成」されることで、多種多様な抗原に対応していることを突き止めた。
「遺伝子は進化の長い過程でしか変わらない」という従来の常識を覆す発見で、後にノーベル賞や数々の著名な国際賞の受賞につながった。
81年にMITの教授に就任。その後は研究対象を脳科学に広げ、記憶のメカニズム解明などを目指した。脳に誤った記憶ができる過程や、思い出せなくなった記憶を呼び起こす仕組みを、マウスを用いた実験で再現することに成功した。
83年にガードナー国際賞、87年にラスカー賞を受賞。84年には文化勲章に選ばれた。
利根川さんが教授を務めていたMITピカワー学習・記憶研究所は「免疫学と神経科学の両方でまったく新しいフロンティアを切り開いた」と業績をたたえた。MITによると、葬儀は近親者で実施。京都で埋葬するという。
京都大の湊長博学長は「利根川先生と何度も研究の議論を交わす機会をいただいたが、強烈な熱量に圧倒されたことを今でもよく覚えている。志を受け継ぎ、一層研究に邁進(まいしん)する」などと追悼するコメントを発表した。