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毎日新聞2026/7/16 20:30(最終更新 7/16 22:44)有料記事1989文字
日本人初のノーベル生理学・医学賞の受賞決定後、講演などのため米国から一時帰国し笑顔で手を振る米マサチューセッツ工科大学の利根川進教授=成田空港で1987年11月23日
ノーベル生理学・医学賞受賞者で米マサチューセッツ工科大(MIT)教授の利根川進さん(86)が11日死去した。「大御所」と呼ばれるのを嫌い、科学界最高の栄誉に輝いた後も新たな研究分野に挑戦。免疫学と脳科学の研究者として最後まで現役を貫いた。若手との研究談議を好み、ユーモアのあるメールを送るチャーミングな一面もあった。
40代の若さでノーベル賞
利根川さんは幼少期、紡績会社に勤めていた父親の転勤に伴い、富山県や愛媛県の自然に囲まれた環境で育った。その後、東京都立日比谷高校に進学。同級生の多くが東京大を目指す中で、「自由な学風がある」と京都大理学部を選んだ。
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当時、黎明(れいめい)期の学問で、遺伝子など分子レベルで研究する「分子生物学」に興味を持った。先端を走っていた米国で博士号を取得。その後、スイス・バーゼル免疫学研究所でノーベル賞につながる成果を上げた。
日本人初のノーベル生理学・医学賞の受賞決定後、講演などのため米国から一時帰国し記者会見する米マサチューセッツ工科大学の利根川進教授=千葉県成田市のホテル日航成田で1987年11月23日
病原体などから体を守る免疫機構の抗体の多様性について、その遺伝学的な原理を発見した。現代のように自動で遺伝子の配列を解読する機器はなく、膨大な手作業で解明した。1976年夏に成果を米国の研究所で発表。持ち時間の20分を過ぎても話し続け、発表が終わると大きな拍手がわき起こった。そこから10年あまり、40代の若さで87年にノーベル賞をつかんだ。
研究対象を脳科学に
しかし「大御所と呼ばれたくない」と、MIT教授に就任後の90年代には、研究対象を脳科学に移した。
2018年に奥山輝大・東京大教授の論文が米科学誌サイエンスに掲載された際、利根川進・米マサチューセッツ工科大教授と撮影した写真=奥山教授提供
MITピカワー学習・記憶研究所の研究室に2013年から約5年間、ポスドク(博士研究員)として在籍した東京大定量生命科学研究所の奥山輝大教授(行動神経科学)は「サイエンスにすべてをささげていた人。土日も関係なく論文を書き、熱量は半端なかった」と、利根川さんという「サイエンスお化け」の熱量に押されながら、ごりごり戦った日々を懐かしそうに振り返った。
ラボには40人近い研究者が在籍していたが、利根川さんは自由に研究させるスタイル。研究室への来客対応よりも、メンバーとの研究談議を優先したという。
その中で「これはものになる」と直感した瞬間、一気にスイッチが入る。「ある日突然、週末にけたたましく電話が鳴り始め、続けざまにメールが届いた。『このパーツが足りない、論理が飛んでいるからこの間をみる実験が必要だ』と怒濤(どとう)の指示が来た」と振り返った。
ただ、やり取りするメールには愛嬌(あいきょう)があった。奥山教授は論文の最終段階にある図の説明を送り忘れたことがあった。すると利根川さんからは「あなたがやっていることは、すごく美味(おい)しそうなステーキをテーブルの上に置いて、ナイフとフォークを用意していないようなものだ」と返信があったという。
「早く説明を送れという催促だが、彼なりのユーモアが利いている」。こんなやり取りを通じ、奥山教授は「師匠であり、父みたいな存在。彼がいなかったら今の僕は間違いなくない」と悼んだ。
利根川さんは、07年に理化学研究所の称号・フェローを初めて贈られた。「外国で45年研究を続けてきたが、年をとって日本の役に立ちたいと思った」と、09年には理研の脳科学総合研究センター長に就任した。
謙虚な勉強家、組織内序列もなくす
米マサチューセッツ工科大の生物学研究室で取材に応じる利根川進教授=同大で1983年
同時期に副センター長を務めた岡本仁名誉研究員は、「若い才能のある人を選ぶところで、センスを発揮していた。組織内の序列もなくした」と振り返る。
好奇心が旺盛で、10代の学生が参加する海外での集中講義に学生として出席していたという。「学生は利根川さんがノーベル賞受賞者と知らず、『あいつなかなか良い研究をやっている』と評価していたそうだ。非常に謙虚な勉強家。天国でも研究を続けていただけたら」と言葉を掛けた。
「理研を国際化してくれた」
01年のノーベル化学賞受賞者で日本学士院長の野依良治さんは、利根川さんにフェローを授与したときの理研理事長だった。「昨年11月に来日されて会食したときはお元気だったのでびっくりした」と話す。理研のセンター長としてリーダーシップを発揮した利根川さんについて、「抜群の名声によって、理研を格段に国際化してくれた。世界最高の研究者がたくさん理研を訪れ、真正面から議論し、評価してもらう開かれた体制をつくってくれた。情熱を注いで母国の科学の発展に貢献いただいた」と感謝した。
利根川さんと同じ免疫分野で18年のノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大特別教授は「長年の免疫学の課題であった、なぜ無限とも思われる抗体の多様性が作られるのかという謎を解き明かした。若くして100年以上にわたる謎に解明を与えた功績は、言葉では表せないほど大きい。私もその競争の一端を近くで垣間見た者として、感慨深い」とのコメントを出した。【垂水友里香、木許はるみ、寺町六花】