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毎日新聞2024/12/22 06:00(最終更新 12/22 06:00)有料記事2014文字
取材を受けるホカリジンさん。都知事選に立候補しているものの本人の意向で顔は写さなかった。「写真うつりが悪いんですよ」と申し訳なさそうに言っていた=東京都世田谷区で12月18日、川上晃弘撮影
2024年7月7日の夜。東京都知事選に立候補していた広告プランナーのホカリジンさん(57)は都内にある自宅マンションで、いつものように500ミリリットルの缶ビールを飲んでいた。
午後8時過ぎ。仕事のため、たまたま開いていたノートパソコンの画面に「小池百合子氏当選」というニュース速報が流れた。
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「まあ、そりゃそうだろうな」
自身の「落選」が決まっても特にショックはなかった。
東京都知事選で当選確実となり、テレビ局のインタビューに答える小池百合子氏=東京都新宿区で2024年7月7日午後8時58分、前田梨里子撮影
テレビ各社の選挙特番では、小池氏をはじめとする有力候補者たちのインタビューが始まっていた。
満面の笑みを浮かべる人、不必要に怒りをぶちまける人、悔しさをにじませる人――。
大勢の記者に囲まれ、質問を受ける候補者の姿が次々と映し出されていく。
東京都知事選で小池百合子氏の当選が確実になり、厳しい表情で記者会見場を後にする蓮舫氏=東京都千代田区で2024年7月7日午後9時47分、宮武祐希撮影
当然と言っては失礼だが、「泡沫(ほうまつ)候補」であるホカリさんに特番への出演依頼はない。
投開票日であっても、1人暮らしの自宅には、いつもと何ら変わらぬ時間が過ぎていった。
3本目か4本目のビールを楽しんでいる最中、ふと供託金のことが頭に浮かんだ。
告示前、定期預金を崩して、全財産とも言える300万円を払い込んでいた。
小池百合子氏の再選が確実となり、支持者らの前であいさつする石丸伸二氏=東京都新宿区で2024年7月7日午後8時6分、猪飼健史撮影
「私ほど300万を無駄に使った人間はいないかも」
当選した小池氏の約290万票に対し、ホカリさんが獲得したのは560票だった。
「『反対』示すには立候補しかない」
幼い頃から東京で育った。
系列高校から日本大芸術学部に進学。卒業後は東京・四谷にある広告プロダクションに入社した。バブル経済絶頂の1989年のことだ。
小さなプロダクションだったが、働くのは好きだった。企業のPR雑誌の作成が主な仕事。取材に行き、夜遅くまで記事を書いた。
その後、いくつかのプロダクションや広告代理店を渡り歩き、40歳を過ぎてからは断続的にフリーのプランナーとして働くようになった。
ぜいたくができるほど裕福ではないが、独り身のまま、自由な生活を楽しんでいた。
取材を終えた後、小田急線下北沢駅に向かうホカリジンさん=東京都世田谷区で12月18日、川上晃弘撮影
政治的には典型的なノンポリで、選挙に立候補するなど頭の片隅にもなかった。
そんなホカリさんだからこそ、今回の出馬は家族や知人を大いに驚かせた。
「東京都の金の流れがおかしいと思ったのがきっかけです」とホカリさんは言う。
都の公金支出のあり方をめぐってはネットで問題視する声が出ていた。真相ははっきりしない。ただ、ホカリさんは都の対応が間違っていると確信していた。
「選挙に出ても勝てるとは思っていないですよ。何より、供託金の300万円がもったいない。でも、今の小池都政は明らかにおかしい。だったら、私自身が『反対』であることを示すには立候補しかないと考えたんです」
小池都政に反対することが、なぜ立候補に結びつくのか。
いくぶん唐突すぎる行動とも感じるが、ホカリさんの中で矛盾はなかった。何より自分の思いに素直に従いたいという気持ちが強かったようだ。
「小池さんが出馬しなければ私は出なかったんですけどね」
あくまで控えめな様子でホカリさんは言う。
ただ、そもそも当選を目指していないから、選挙が始まっても、ほとんど活動はしなかった。
選挙ポスターは一枚も張らず、政見放送は断った。街頭演説も一切していない。
唯一の活動らしい活動といえば、二つのネット番組で「公約」などを説明したぐらいだ。
お金も驚くほどかけなかった。
ネット番組に出演した際、手製の8枚のフリップを使ったが、その用紙の印刷代は1枚あたり8円で計64円だった。そのほかは出演するスタジオまでの交通費として数百円を使っただけ。
それが選挙費用の全てだ。
ホカリさんの都知事選は、立候補した時点でほとんど終わっていたのかもしれない。
300万円の供託金「後悔はない」
取材を終えた後、小田急線下北沢駅に向かうホカリジンさん=東京都世田谷区で12月18日、川上晃弘撮影
選挙から5カ月以上が過ぎたが、以前と変わらぬ日々が続く。
「都知事選に出てから、オレオレ詐欺の電話が5~6件続いた。あとは宗教の勧誘めいた電話があった。なぜそんな電話があったのか訳が分からない。違いと言えばそれだけです」
仕事はマイペースでやっているという。
ホカリさんによれば、広告業界はバブル期に比べて単価が大きく下がり、新型コロナウイルス禍でさらに打撃を受けた。
「そんななか、私は供託金を払って預金もなく、すってんてんですから」
自嘲気味に話すホカリさんだが、悲壮感はあまり見受けられない。
都知事選で獲得した560票のうち100票は都内在住の知人による「同情票」とみている。
「残る400票を入れた人は私の意見に賛同してくれたんじゃないかな。そう考えると少しうれしいです」
今後、選挙に出馬するつもりは一切ない。
「300万円は無駄だったかもしれないけど、それによって自分らしくいられたとも思う。だから後悔はないです」
供託金を払った際に受け取った領収書は、今も「記念」として持っている。【社会部東京グループ・川上晃弘】
<※12月23日のコラムはデジタル報道グループの國枝すみれ記者が執筆します>