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毎日新聞2024/12/31 東京朝刊有料記事2312文字
警察などと合同捜査本部を組織する韓国の高官犯罪捜査庁(高捜庁)は30日、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領=職務停止中=に対する逮捕状を請求した。大統領の権限が強く、激しい権力闘争が行われてきた歴史を持つ韓国では、大統領が退任後に逮捕される事例は少なくないが、現職の逮捕状請求は初となるだけに、高捜庁は慎重に捜査を進めてきた。
当局、政治混乱で決断
尹氏による「非常戒厳」宣布(3日)から約4週間。高捜庁と検察は内乱と職権乱用の容疑で尹氏と周辺の捜査を進めてきた。尹氏は談話などで、戒厳令宣布は内乱罪にあたらないと強く反論。高捜庁は3度にわたり尹氏に対して出頭を要請したが、いずれも応じなかった。しかし、高捜庁が今回、逮捕状請求に踏み切った背景には、尹氏の度重なる出頭要請拒否に加え、これまでの捜査で立件に向けた証拠収集が一定程度、進んだと判断したこともあるとみられる。
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検察は27日、尹氏と事件を共謀したとみる金龍顕(キムヨンヒョン)前国防相を内乱などの罪で起訴。大手紙「朝鮮日報」によると、検察は起訴状に、国会議員が戒厳令の解除要求決議案を可決しようと本会議場に集まった際、尹氏が軍幹部らに「銃を撃ってでもドアを壊し、国会議員らを(議場から)引きずり出せ」と直接指示したなどと記した。また高捜庁と共に捜査をする警察は、尹氏の携帯電話の通話履歴を押収し、解析を進めていた。
高捜庁は検察とも協議したうえで、尹氏を逮捕した後に起訴するに十分な証拠をそろえられると判断した模様だ。
また、尹氏の事件を政府から独立して捜査する「常設特別検察官」に関する法案が国会で野党主導で可決され、任命手続きの状況を見る必要があったことも、逮捕状請求に慎重となる要因の一つになっていた。しかし、大統領代行として任命権を持つ韓悳洙(ハンドクス)首相に対する弾劾訴追案が国会で可決され、韓氏は失職。崔相穆(チェサンモク)経済副首相兼企画財政相が大統領代行に就く異例の事態となっている。さらに29日には南西部・務安国際空港で179人が死亡する飛行機事故が発生。国民の目からも事態収拾が政府の最優先課題となっている。こうした中で、もはや特別検察官の任命時期は見通せず、早期の事件解明のため高捜庁は、逮捕状の請求を決断した模様だ。
ただ、高捜庁の捜査能力については一部で経験不足などを指摘する声がある。
高捜庁は政府から独立した捜査機関で、大統領や国会議長、判事、検事ら高官による不正を取り締まるため、進歩系の文在寅(ムンジェイン)前政権下で2021年に発足した。今回は検事ら15人が捜査に当たる。
韓国紙「中央日報」によると、これまでに起訴したのは5件のみ。家宅捜索令状を申請し裁判所から令状を発付された割合は今年、59%にとどまり、検察の94%と比べても低さが目立つ。このため尹氏への捜査の行方は、高捜庁と検察が密接な連携を取れるかもカギになる。【福岡静哉】
韓国トップ「報復」の連鎖
韓国ではこれまでに、現職の大統領に対して逮捕状が請求された例はなく尹錫悦大統領が初めてのケースだ。ただ、大統領の権限が極めて強く、進歩系と保守系の対立構図も激しい韓国では、政権が代わると前政権の不正に対する捜査が強化される「政治報復」が繰り返されてきたとも指摘される。存命中の大統領経験者3人の中で、退任後に逮捕されていないのは文在寅氏だけだ。
記憶に新しいのは、保守系の朴槿恵(パククネ)氏だ。国会は2016年、朴氏が親友による国政介入を許したとして弾劾訴追案を可決。憲法裁判所もこれを妥当だと判断し、朴氏は失職した。
朴氏は失職後、収賄などの容疑で逮捕され、その後、最高裁(大法院)で懲役22年が確定した。健康状態が悪化したため、21年末に恩赦で釈放された。
朴氏の前に大統領を務めた保守系の李明博(イミョンバク)氏も文政権下の18年、収賄などの疑いで逮捕された。20年に最高裁で懲役17年が確定した。尹政権下の22年に恩赦となり、釈放された。
進歩系の大統領では、盧武鉉(ノムヒョン)氏が李政権下の09年、夫人らが不正に資金提供を受けた疑惑で検察から事情聴取を受け、その後、自ら命を絶っている。
さらに民主化前や民主化直後の大統領や大統領経験者も、本人や家族が厳しい立場に追い込まれた。
初代大統領の李承晩(イスンマン)氏は1960年の大統領選での不正に学生らが反発。大規模デモが発生し辞任した。結局、李承晩氏は妻とともに亡命に追い込まれた。
朴槿恵氏の父の朴正熙(パクチョンヒ)氏は大統領在職中の79年、側近に暗殺された。この際にクーデターで実権を握り80年に大統領に就任した全斗煥(チョンドゥファン)氏は退任から7年後の95年、クーデターの反乱首謀容疑で逮捕された。80年に軍が民主化デモを鎮圧し多数の死者を出した光州事件での責任も問われ、無期懲役が確定した。
全氏と共にクーデターに参加し、その後継者として88年に大統領に就任した盧泰愚(ノテウ)氏も秘密政治資金の存在が明らかになり、退任後の95年に収賄容疑で逮捕された。光州事件の責任も問われ、懲役17年が確定した。全、盧両氏とも97年に恩赦を受けて釈放された。
盧氏の後に大統領に就任した金泳三(キムヨンサム)氏は大統領在職中の97年に次男が、知人の会社社長らから不正に金を受け取ったなどとして逮捕された。金泳三氏の次の大統領の金大中(キムデジュン)氏も息子2人が02年、金銭授受の容疑で相次いで逮捕されている。ただ、金泳三氏と金大中氏は、自らは退任後に逮捕されないまま世を去った。【福岡静哉】