3>ローマ書の2章は悔い改めを強調した悔い改めの章である。要約
<ローマ書2:1-5>2025.10.5.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
多くの牧師たちがただ信仰のみを強調するため、教会の中には面目上の聖徒たちが多くて地獄(じごく)へ行く者たちが多いのです。ですから、ただ信仰なのか悔い改めと信仰なのかを詳しく分からねばならないのです。ローマ書は律法の行いによっては義とされる事ができず、信仰によってのみ義とされるというイシンチンイを強調しているのです。ところで、使徒パウロはローマ書の2章で悔い改めを強調したのです。ですから、ただ信仰ではなく悔い改めと信仰なのです。使徒言行録20:21節でも悔い改めと信仰であると証しているのです。ですから、神様に悔い改めイエス様を信じるべきなのです。しかし、不完全(ふかんぜん)な福音を聞いても救われる者たちがいるのだが、比率(ひりつ)が少ないという事を知らねばならないのです。それで、どの教会でも一部の真(しん)の聖徒たちが存在(そんざい)するのです。しかし、信じる者たちが堕落(だらく)し腐敗(ふはい)し味を失われた塩のようになる事を防ぐ事ができないのです。それは、ローマ書の2章で悔い改めを強調している事を分からず、ただ信仰のみを強調しているからなのです。ローマ書は福音を説明しているのだが、2章の全体では悔い改めの大事さを強調したのです。
1節ではユダヤ人、即ち信じる者たちが異邦人、即ち不信仰者たちと同じ罪を犯しているという事なのです。
3節ではこのような事を行う者、即ち異邦人<不信仰者>たちを判断(はんだん)しながら、自分たちもそのような罪を犯しているという事なのです。ですから、ユダヤ人や異邦人も皆悔い改めなければならないという事を強調したのです。5節ではもし悔い改めなければ神様の裁きの日、怒りから逃れられないという事なのです。怒りの反対(はんたい)はチンイなのです。チンイとは神様の裁きの日、怒りから救って下さる事なのです。最終的なチンイ、即ち義と認めて下る事なのです。
<ローマ書5:9>それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのはなおさらの事です。この御言葉は、悔い改めがチンイの条件であるという事なのです。また、2章の全体が悔い改める者と悔い改めない者とを対照(たいしょう)しているのです。また、神様は絶対的な主権を持って思うままに裁かれる方ではなく真理の通りに裁かれるのです。即ちおのおのの行いによって裁かれるのです。神様の怒りは罪を犯して悔い改めない者たちに下るのです。<ローマ書2:7-8>忍耐強く善を行い、栄光と誉(ほま)れと不滅(ふめつ)のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
この御言葉に、忍耐強く善を行う者とは悔い改める人生を歩む者たちを意味するのです。ですから、怒りと憤りは悔い改めない者たちに下るという事なのです。また、ユダヤ人やギリシア人を繰り返して強調した事は信じる者たちも、不信仰者たちのように神様の裁きには例外がないという事を強調した事なのです。
多くの牧師たちが信じる者たちは裁きを受けずに、お報いを受けるためにだけ裁きを受けると主張するため罪を犯しても悔い改めないのです。悔い改めなければ習慣的な罪になるため、罪が最も強くなり罪のため壊れて、地獄へ入れるのです。ところで、ユダヤ人たちも例外ではないのです。ですから、信じる者たちも続けて悪を行いながら悔い改めなければ神様の怒りから逃れられないのです。お金持ちと物乞いのラザロの話で、金持ちはユダヤ人であり神様を信じたのです。
それで、自分は天国へ入れると確信したのだが、死んで陰府(よみ)に陥ったのです。その時やっと、信じても悔い改めなければ天国へ入れないという事を分かったのです。それで、アブラハムにラザロを私の家に送って兄弟たちが悔い改めるように助けて下さいと頼んだ事なのです。今日(こんにち)の信じる者たちも自分の罪を悔い改めなければならないのです。ですから、13節では律法を行う者が救われるという意味は、心から悔い改める者が救われるという事なのです。心から悔い改めながら信じる者たちが最後のチンイ、即ち義と認められるのです。
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忍耐強く 悔い改める人生を歩みます聖霊様助けてくださいアーメン