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毎日新聞2025/3/9 東京朝刊627文字
狩野光男さんが描いた「言問橋炎上」。作品は6月からの企画展で展示を予定している=東京都墨田区の「すみだ郷土文化資料館」提供
現在の言問橋(手前)=2025年3月2日
東京大空襲で火災に遭った言問橋の縁石=東京都台東区浅草で2025年3月2日
東京・隅田川にかかる言問橋(ことといばし)は東京大空襲の際、おびただしい人命が失われた場所だ。1945年3月10日未明、米軍機による焼夷(しょうい)弾の大量投下に伴う火災から逃れた人々が殺到する中で、橋は猛火に襲われた▲惨事を伝えるものに画家、狩野光男さんの作品がある。当時14歳の狩野さんは隅田公園に避難し、言問橋の炎上を目撃した。体験を元にした絵画には欄干に張り付く人たちや、川に飛び込む人が描かれる。「昭和館」(東京都千代田区)のオーラルヒストリーには、「橋が燃えているように見えたのは、荷物や人間に火が燃え移ったためだった」という狩野さんの映像証言がある▲約10万人が犠牲になった東京大空襲と前後して、市街への空襲は全国に広がる。戦時中の政府は防空法の下、避難よりも消火に努めるよう国民に義務づけていた。焼夷弾を過小評価し「空襲恐れるに足らず」という虚構が押しつけられた▲民間人を標的にした無差別攻撃と、避難の軽視。命が軽んじられ惨禍を広げた80年前の全国での空襲である。体験者の高齢化が進む中で証言の記録や、資料の発見など地道な作業が民間、自治体で続く。ただし、国による体系的な資料収集や調査研究は行われていない▲米軍で東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ司令官には64年、航空自衛隊育成に貢献したとして勲一等旭日大綬章が授与された▲一方で、空襲被害者の救済を求めた議員立法はまだ制定実現をみていない。「3・10」は決して、過去の話ではない。