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毎日新聞2025/3/13 06:00(最終更新 3/13 06:00)有料記事1844文字
カナダ自由党の新党首に選出され、演説するカーニー氏=オタワで2025年3月9日、AP
二つの国で中央銀行トップを務めたカナダのマーク・カーニー次期首相(59)に対するイメージは国内外でギャップがある。
「中銀のジョージ・クルーニー」「ロックスターの銀行家」。派手な呼び名を好むのは英メディアだ。300年を超す歴史を誇るイングランド銀行で初めて英国人以外の総裁に抜てきされ、欧州連合(EU)離脱の危機対応で連日のようにメディア露出があったためだろう。離脱の是非を問う国民投票前には景気後退のリスクを警告し、政治干渉だとして離脱派から敵視された。
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対照的に、本国では地味で堅実な実務家とみなされている。カナダの専門家やメディアは、9日の自由党党首選での圧勝を伝える記事で、カーニー氏を「退屈な男」「頑固だが頭脳明晰(めいせき)な政策通」などと評した。カナダの多文化主義の基礎を築いた名宰相を父に持つジャスティン・トルドー首相に比べると、たしかに華やかさには欠ける。政治家としてのキャリアもなく、そもそも彼が何者かを知らない国民も多かった。
カナダ自由党のカーニー新党首(左)の選出を祝うトルドー首相=オタワで2025年3月9日、AP
一方、気候変動の政策決定者や専門家の間では、脱炭素金融の提唱者としてその名が記憶されている。
世界の金融界が気候変動への取り組みやリスク管理を本格化させたのは「時間軸の悲劇」と題した2015年のカーニー氏の講演がきっかけだった。気候変動を金融の安定性にとっての長期的なリスクと強調し、影響が出てから対策を始めても手遅れになると警告した。
それからカーニー氏は、脱炭素社会の実現を推進する金融機関の有志連合「グラスゴー金融同盟(GFANZ)」の発足(21年)をグテレス国連事務総長の特使として主導した。
一時は約50カ国・地域から700以上の金融機関にまで拡大したこの枠組みに今、大きな逆風が吹いている。米国のトランプ政権と共和党による「気候カルテル」との批判におののき、GFANZ傘下の業態別組織から脱退する動きが相次ぐ。カナダや日本の大手銀にも波及した。
カナダ主要3政党の支持率の推移
カーニー氏は、関税や併合の脅しをかけるトランプ大統領を相手に、脱炭素の取り組みでも正面から渡り合うことになる。
党首選に合わせてカーニー氏が発表した「メード・イン・カナダ産業競争戦略」と題した公約は、気候変動対策に比重が置かれている。注目されるのは「炭素国境調整措置」(CBAM)の検討を明記している点だ。
温室効果ガスの排出規制が国や地域によって違えば、ルールのゆるい場所に企業は生産拠点を移し、結果として地球全体の環境負担が増しかねない。CBAMはこれを防ぐため、温室効果ガスの排出規制が不十分とみなす国からの輸入品に事実上の関税をかける。脱炭素の加速と自国の産業競争力の維持を両立させる目的があり、国境炭素税とも呼ばれる。
名指しこそ避けているが、削減努力が足りないカナダの主要貿易相手国といえば、トランプ政権下の米国が真っ先に思い浮かぶ。地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」からの離脱を決め、さまざまな分野で排出規制の緩和が進むとみられる。米国との貿易戦争が長期化すれば、カーニー氏が対抗措置としてCBAMをちらつかせる可能性はある。
米国のトランプ大統領=ワシントンで2025年3月7日、AP
さらに公約では「国際的なパートナー」との協力にも言及している。26年から27年にかけてCBAMの本格運用が始まるEUと英国を念頭に置いたものだろう。気候対策の理念を重視する欧州とカナダが結託して、CBAMでトランプ政権を囲い込む――。そんな「貿易戦争2・0」が起きないとは限らない。
一方、カーニー氏はカナダ国内の一般市民を対象にした炭素税の廃止を掲げた。トルドー政権の目玉政策の一つだったが、不人気とみるや即時の撤廃を打ち出した。
これは完全な選挙対策だ。
カナダ保守党のポワリエーブル党首=オタワで2024年12月1日、AP
支持率で優位に立つ最大野党・保守党のピエール・ポワリエーブル党首(45)は炭素税廃止を意味する「アックス・ザ・タックス(Axe the Tax)」をスローガンに掲げてきた。カーニー氏は炭素税の廃止を約束することで保守党の機先を制し、したたかに争点を打ち消した。自由党の支持率は急回復し、その差を縮めている。
議院内閣制のカナダで、カーニー氏は議席を持たないまま首相に就く。「国難」のかじ取り役を担うには、遠からず国民の信を問う必要がある。「私の人生のすべての経験が、この瞬間のための準備だった」。9日の勝利宣言でそう語ったカーニー氏。一世一代の戦いはこれからだ。【ニューヨーク支局・八田浩輔】
<※3月14日のコラムは写真映像報道部兼那覇支局の喜屋武真之介記者が執筆します>