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毎日新聞2025/3/13 東京朝刊有料記事3018文字
米連邦議会の上下両院合同会議で、2期目の就任後初めての施政方針演説を行うトランプ大統領=ワシントンで4日、AP
トランプ氏が米大統領に復帰して以来、世界はトランプ劇場に驚かされ続けている。第2期トランプ政権が第1期よりはるかにトランプ氏の意向に沿った方針をとることは大方の予想通りだったが、現実に起きていることの激烈さは、その予想すら上回っている。間違いなく戦後もっとも「異形」な米大統領を、我々は目撃している。
四つの同心円
米国の持つ力を考えれば、好むと好まざるとにかかわらずトランプ氏の世界観を無視することはできない。これまでの言動から彼の世界観は四つの同心円から成り立っており、自らに近い内側の円から重視していると推測できる。
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最も内側には米国内政という円がある。「アメリカ第一主義」という言葉通り、米国内において自らの価値観に沿った秩序を築くことが他のあらゆる政策に優先する対象である。それは連邦政府を縮小する理念を掲げつつ、連邦組織を選別して自らの価値観で統一しようとするものである。多様性、公平性、包摂性(DEI)=1=といった価値観を否定し、移民を追放し関税を用いて白人主導の製造業大国としての米国を取り戻す。トランプ氏はそれができると信じているようだ。
第二の円は北米大陸の支配らしい。カナダに51番目の州になれと圧力をかけ、グリーンランド(デンマークの主権下だが北極地図を見れば分かるように地理的には北米大陸の側にある)の獲得を図り、メキシコ湾をアメリカ湾と呼び換え、パナマ運河の管理権を取り戻そうとする。トランプ氏にとっては、北米大陸全域を領土ないし勢力圏に収めることが米国の重要な国益なのだろう。
第三の円はヨーロッパ、中東、東アジアといったユーラシア大陸の各地域だ。トランプ氏からすれば20世紀の間にこの地域のもめ事に巻きこまれ、世界の指導国とおだてられて富を流出させたことが米国衰退の原因である。彼にとってこの地域は「ディール」(取引)の対象であり、米国の権益を広げるべき地域である。ウクライナ支援の見返りとしてレアアースの提供を求め、ガザからパレスチナ住民を退去させて米国が所有し、リゾート地として復興させるといった発言は、トランプ氏の取引的世界観を示している。
もちろんそこには一定の戦略的計算は働いている。石破茂首相との会談でトランプ氏は気前よく日米同盟の約束を確認したが、これは最大の競争相手である中国に圧力をかける狙いがあるとともに、日本が大規模な対米投資を打ち出したからであろう。その一方でロシアを脅威と見なす欧州の言説には冷淡で、ウクライナに圧力をかけてロシアとの停戦交渉に持ち込み、欧州での安全保障負担を縮小して欧州に背負わせることを目指しているようだ。
第四の円は、人類とか地球とかいった普遍的世界であろう。国際法に基づく国際秩序や、地球規模課題解決のためのグローバルガバナンスといった観点はトランプ氏にとって全く響かない世まい言か米国を弱体化させる策謀にすぎないようだ。気候変動に関するパリ協定からの離脱は予想されていたものの、世界保健機関(WHO)からも脱退を表明し、イスラエルの要人を訴追した国際刑事裁判所(ICC)への制裁もちゅうちょしない。
さらに驚くべきは、米国際開発局(USAID)という政府機関を議会の議論も経ずに事実上閉鎖に追いこんだことである。ケネディ政権期に設立されたUSAIDは貧困や疫病、災害といった人道的、地球的課題解決に対する積極姿勢を示すことで、特に発展途上国と呼ばれた諸国の支持を獲得することを目指す組織であった。トランプ氏の委任を受けた世界最高の富豪、イーロン・マスク氏は政府効率化省(DOGE)なる組織を用いて予算を凍結し、またUSAIDの職員1600人を解雇した。
19世紀に逆戻り
改めてトランプ氏のよって立つ世界観は20世紀の米大統領が追求してきたものとは正反対と言っていい。興味深いのはトランプ氏が19世紀末から20世紀初頭の大統領マッキンリーを高く評価していることだ。マッキンリーは高関税を課し、米西戦争で米国の権益を拡大し、中国に関して門戸開放宣言を行った。
歴史的には、1901年にマッキンリーが暗殺され、後を継いだセオドア・ルーズベルト大統領以降の米国は世界を改革する志向を持ち始める。ウィルソン大統領は「民主主義の安全」のために第一次世界大戦に参戦し、フランクリン・ルーズベルト大統領は「四つの自由」=2=を掲げた。トランプ氏にとってはこうした歩みが誤りで、マッキンリー時代に戻ることが望みのように見える。
もちろんトランプ氏の政策の実現可能性は別問題である。恐らく彼の側近の多くもトランプ氏の世界観の矛盾や時代遅れな性質は理解しており、トランプ氏を利用して自らの政策目的――例えば対中強硬策や関税圧力による対米譲歩獲得など――を実現しようとしているのではないかと思われる。
しかしトランプ政権後に一定の揺り戻しはあり得ても、米国が世界の警察官を自任する時代は戻ってこないだろう。核兵器と米軍の前方展開による抑止力が機能した時代と異なり、混沌(こんとん)とした紛争地域を制御するには一定の人力が不可欠である。米国は世界最強国だが人口面では世界の5%以下しか持たず、人力には限界がある。実際、バンス副大統領や軍事安全保障に関与するウォルツ大統領補佐官(国家安全保障問題担当)、ヘグセス国防長官などはアフガニスタンやイラクでの従軍経験を持ち、米国が紛争地域の安定のために過重な負担を担うことの限界を認識しているのであろう。
高まる日本の役割
その意味で世界は新たな段階に入っているし、日本の課題は重い。米国が放棄しつつあるグローバルガバナンスでの役割を一定程度引き受け、米国との協力関係は維持しつつもそれ以外の友好国との協力関係を強化し、防衛力についても一層の努力が求められるだろう。他方で日本の人的、経済財政面での制約も明らかである。世界秩序が大きく変化する時、各国は国内体制の安定性、政治経済秩序の健全性、適切な対外安全保障戦略の全てを満たす解を求められる。現代はそういう時代である。
次回(4月10日)は酒井啓子・千葉大特任教授です
■ことば
1 多様性、公平性、包摂性(DEI)
「個々の多様性を重んじ」(多様性)、「国籍、性別、障害の有無などにかかわらず誰もが公平・公正な形で認められ」(公平性)、「互いを受け入れる」(包摂性)社会を目指すことなどと定義される。トランプ氏は大統領就任後、バイデン前政権が進めたDEI施策を廃止する大統領令や、連邦政府として認める性別は「変更不可能な男性と女性の二つだけ」などとする大統領令に署名した。
■ことば
2 四つの自由
「言論の自由」「信教の自由」「貧困からの自由」「恐怖からの自由」の四つ。第二次世界大戦中の1941年、フランクリン・ルーズベルト大統領がファシズム批判の意味を込めて、米国が守るべき自由として掲げた。戦後の自由世界の源である国連憲章にも、その精神が受け継がれている。
中西寛氏
■人物略歴
中西寛(なかにし・ひろし)氏
1962年生まれ。91年、京大助教授。2002年同教授。14~16年日本国際政治学会理事長。16~18年京大公共政策大学院院長。専門は国際政治学。著書に「国際政治とは何か」(03年、読売・吉野作造賞受賞)、「漂流するリベラル国際秩序」(24年、共著)など。