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毎日新聞2025/3/15 東京朝刊有料記事1967文字
3月1日(日本時間)のトランプ(米国大統領)=ゼレンスキー(ウクライナ大統領)会談の決裂を受けて、日本のSNSの一部ではトランプ大統領の「平和主義」と戦後日本の平和主義思想を重ね合わせる議論が展開された。
トランプ大統領の「平和主義」はウクライナ側に不利な条件をのませても、戦争の終結と平和の回復を優先させる。対する戦後日本の平和思想も、戦争を絶対悪とみなす立場から国際正義よりも平和を求める。両者には共通点があるのかもしれない。そこへ3月6日、トランプ大統領が日米同盟に不満を表明した。「我々は日本を守らなくてはならないが、いかなる状況でも日本は我々を守る必要がない」。トランプ大統領の「平和主義」に基づく日米同盟への不満にどう応えるべきか。戦後日本の平和主義を振り返りながら考える。
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日本国憲法の平和主義はアメリカを中心とする戦勝国の「押しつけ」である。憲法前文と第9条には占領当局による非軍事化・民主化が刻印された。日本国民の多くは、「戦争はこりごりだ。二度とあんな目には遭いたくない」との感情から「押しつけ」としてではなく、積極的に受容する。平和は絶対的な価値となった。敗戦国の国民は世界の片隅でひっそりと、しかし平和に暮らしていくはずだった。
そうはならなかった。1950年に朝鮮戦争が始まる。日本が戦争を放棄すれば、平和は続く。朝鮮戦争はこの前提を覆す。日本に戦争の意思がなくても、戦争に巻き込まれるかもしれない。新聞の世論調査が示すところによれば、国民の過半数は憲法改正による再軍備を容認するようになる。朝鮮半島における冷戦の熱戦化は「全面講和」対「片面講和」の講和論争に影響を及ぼす。国民の支持は「片面講和」に傾く。社会主義国を含む「全面講和」を求めれば、独立の回復が遅れることは明らかだったからである。
講和条約とセットで結ばれた日米安保条約・同行政協定は、不平等性がはなはだしかった。アメリカは基地を自由に使用できるのに、日本を防衛する義務がなかった。60年の改定によって、防衛義務が明記される。しかし行政協定に代わる地位協定の不平等性は残った。戦後日本のナショナリズムの感情は外国の軍隊の駐留を嫌った。
事実上の軍隊=自衛隊は容認されたものの、自主防衛では無理で、アメリカに依存するほかなかった。野党勢力は非武装中立論を唱えた。国民は政権交代よりも保守一党優位体制が続く方を選択する。非武装中立論が実現することはなかった。他方で多くの国民は憲法前文と第9条を擁護した。ここに改憲を党是に掲げる自民党を中心とする内閣の下で、矛盾するはずの憲法の平和主義と日米安保条約が併存していく。
この矛盾は90~91年の湾岸危機・湾岸戦争の際に顕在化する。事実上の軍隊を保有しているのに、平和憲法を盾に多国籍軍への協力を拒むことは、国際社会の理解を得られそうにもなかった。日米安保条約は、「人」=アメリカと「物」=日本の対等な条約であると強弁することはむずかしくなった。
国民の意識は短時日のうちに大きく変わる。90年の国連平和協力法案は廃案になった。しかし2年後のPKO(国連平和維持活動)協力法案の方は成立して、自衛隊がカンボジアPKOに派遣された。
さらに2014年になると、政府は従来の憲法解釈を改めて、集団的自衛権の合憲化を閣議決定した。この解釈の変更によって、日本が直接的な武力攻撃を受けていなくても、アメリカが武力攻撃を受ければ、日本への攻撃とみなして、アメリカとともに反撃できることになった。「人」と「物」との非対称的な日米安保条約は、対等な条約へ近づいた。翌年には政府は安保法制を整備する。「戦争法」との非難を受けながらも、日米関係は対等な同盟へとさらに近づいた。今では「台湾有事」のリスクや北朝鮮の核・ミサイル問題を踏まえて、防衛費の増額が許容されるまでに至っている。
以上の概観から得られる知見はつぎのとおりである。
敗戦国と戦勝国の関係を歴史的な起源とする日米同盟は、地位協定に示されるような不平等性が残存する。他方で日米同盟は相互性を強めている。今日の国際的な安全保障環境のなかで、自国の防衛を自国だけでまかなうことができる国はきわめて限られる。日本もどこかの国と同盟を結ぶ以外になく、その国とはアメリカである。
戦後日本の国民の過半数が支持したのは、このような現実主義に基づく安全保障政策だった。リベラル勢力は「草の根の保守主義」と批判するかもしれない。しかし「草の根の保守主義」が改憲を志向することはなかった。平和憲法の理想の実現をめざして、現実主義的な安全保障政策を積み上げていくべきである。(学習院大教授、第3土曜日掲載)