アブラハムの信仰で救われ祝福が得られる。<要約>
<コリント第一15:1-5>.2026.4.26.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
創世記12章で神様がアブラムを呼ばれたのです。そして、アブラムに現れ故郷を離れて私が示す地に行きなさい。そうすれば、祝福を与えると約束されたのです。すると、アブラムは直ちにおいのロトを連れて故郷を離れカナンの地方に着いたのです。ところで、二回目に神様が現れ私がこの土地をあなたとあなたの子孫に与えると約束されたのです。すると、そこに祭壇(さいだん)を築いて神様に礼拝を捧げたのです。そして、創世記15章で神様がアブラムと契約(けいやく)を立てました。
子供が産めないアブラムに空の星を見せながらあなたの子孫がこのように多くなると約束されたのです。アブラムがそれを受け入れ信じたため彼を義と認められたのです。そして、17章でアブラハムが99歳の時、神様が現れて来年には息子が産まれるようになると約束され割礼を命じられたのです。そして、21章で約束の子であるイサクが産まれたのです。そして、22章で17歳になったイサクを神様に生贄(いけにえ)として捧げなさいというご命令に従った結果、神様の祝福が得られたのです。これが、アブラハムの信仰なのです。アブラハムは信仰の先祖(せんぞ)と呼ばれているのです。アブラハムは単に心で信じ口で告白して救われた程度ではないのです。アブラハムの信仰は死んだ者を生き返らせる神様の力を信じ、神様のご命令に従う信仰だったのです。ですから、イエス様を信じさえすれば無条件に天国へ入れる事ではないのです。信じる者たちは神様の御言葉に従い礼拝を捧げなければならないのです。復活の信仰には三つがあるのです。
1>過去的な復活があるのです。即ち、イエス様が死者の中からまた生き返られた事を信じる事なのです。イエス様をまた生かした神様を信じるという事は、イエス様が復活されたという歴史的な事実を信じる事なのです。
<コリント第一15:1-5>この御言葉は、使徒パウロが自分が伝えた福音をしっかり守って無駄(むだ)に信じなければ救いが得られると強調したのです。それは、イエス様の十字架の死と復活を意味するのです。使徒パウロはイエス様の十字架の死と復活は聖書に書いてある通り成し遂げられたと強調したのです。<ローマ書4:18-25>この御言葉は、神様がアブラハムを義とされた事はアブラハムが希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱(いだ)いて信じたからなのです。
自分の体が衰(おとろ)えており、妻サラの体も子を宿(やど)せないと知りながらも必ず成し遂げられる事を信じたのです。また、信仰が弱まるどころか疑う事はなく神様に栄光を捧げながら、神様が約束された事が成し遂げられる事を確信していたのです。それで、神様がアブラハムの信仰を義と認められたのです。
これが、復活の信仰なのです。ところで、アブラハムのためだけでなく、私たちのためにも記されているのです。それは、私たちもイエス様を死者の中から復活させた神様を信じれば義とされる事を得られるという事なのです。ですから、義とされる事を得られるためには必ず死者を蘇らせた神様を信じイエス様が復活されたという事を信じる者にならねばならないのです。
2>未来的な復活があるのです。イエス様が再臨(さいりん)される時、私たちも復活するという事を信じる事なのです。救い、即ち義とされる事を得られるために必要な復活の信仰は、未来に私たちの体も復活するという事を信じる信仰が必要なのです。
<コリント第一15:20-23>この御言葉は、使徒パウロがイエス様の復活は死者の中から初穂(はつほ)となられたという事なのです。即ち、眠りについた人たちの初穂となられたという事なのです。それは、イエス様を信じ死んだ者たちが復活するという事なのです。自分が復活する事を信じ信仰生活をせねばならないのです。
3>現在的な復活があるのです。イエス様の復活を信じる事で満足(まんぞく)せず自分の霊が生き返った事を信じなければならないのです。これが現在の復活と言うのです。
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