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祖国よ輝け
1978年10月19日
午前七時 朝鮮ホテル孔雀の間にて
尊敬する各界指導者の皆様! 本日、朝、この意義深い集まりに私をお呼びくださいまして、国家中興の大課業に中枢的役割を担当しておられる皆様方に、お話を申しあげるこの機会をお与えくださいましたことに対して、心から感謝申し上げます。
私は海外において、さまざまな逆境の中で、ひたすら神の国実現のために宣教事業に没頭し、ついに二年半ぶりに、再びなつかしい祖国の土を踏みました。普通ならばその間において、何回か帰って来なければならなかった祖国! しかし今回は、二年半の間しつこく闘い、長びいたフレーザー委員会との熾烈な対決に、最終的決着をつけてまいりましたので、なつかしい祖国に帰るのが二年半ほど遅くなってしまったのであります。
フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党予選でついに落選しました。人間的にみる時、彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈祷せよ」と教徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いに負けました。その理由はなんでしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「順天者は残り、逆天者は亡ぶ」とあります。いわば、彼は今回、神の審判を受けたのです。
韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神のみ旨とは、正反対の努力でありました。神の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのであります。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割をする国であります。神は、共産主義の窮極的世界制覇を許されません。これは、神自身の敗北を意味するからであります。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は、神の選民として選びを受けたのです。それゆえ、その韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても天の前に容認しがたいことでありました。私は、神の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は逆天者の席に立っているので、いかに彼の威勢が盛んであっても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反して生き残った者がいないのです。したがって、今回のフレーザー議員の敗北は、神の審判であると言わざるをえないのです。
このように、こよなく韓国を愛される神を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道! 何回も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私をなつかしがらせ、故国同胞の温かい喜びは、私の霊魂をゆさぶりました。帰るやいなや私は、故国、錦繍江山(=韓国の異称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。我々の山川は、とりわけ青々と美しく、世界に類例をみない秀麗な江山でありました。その上、民族中興に向かって進む祖国の復興の姿は、十分満足して余りあるものでした。故国にいらっしゃる皆様、本当に大変御苦労様でした。我々の祖国、大韓民国! 我々は、ただ先進国家につき従って行くことに満足する国となってはいけません。我々の祖国大韓民国を通して、神は偉大な仕事を成し遂げようとされておられます。
二千年前、何も知らない小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。それがすなわち、イエスの思想でした。神は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動をおし進めてこられました。今、もう一度歴史は変わって、今後、共産主義の魔の手から世界を救出して、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神は、東方の小さな国、韓国を捜し求めてこられたのです。我々は、神が与えられるこの任務を、甘受せねばなりません。これはすなわち、我々の祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、光輝く道であります。
きょう、私は皆様に侍って、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思うものであります。
神の創造目的
世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神という、第一原因を認定するところから出発いたします。その神がいらっしゃるとするならば、その神は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神が、この世を心に描くにあたっては、そこに必ず創造目的が先行されました。その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。
神の創造目的は、「よろこび」であります。よろこびを得ようとして、人間と世界を造られたのです。ところで、そのよろこびは、一人では感ずることができません。よろこびを感ずるためには必ず、対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで授け受ける時、初めてよろこびを感じることができます。そして最高のよろこびは、愛を授け受ける時、感じることができます。そのように、神が我々人間を対象として造られ、その対象とともに無限なる愛を授け受けて、永遠によろこびを得ようとされたのが、創造の目的でありました。
このような創造目的を成すために、人間始祖として一男一女を造られ、聖書では彼らを「アダム」「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神の完全なるよろこびの対象となり、愛を授け受けて、善なる子孫を繁殖すれば、すなわち、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダム一族で充満し、この地上は神の善と愛を完成するよろこびの世界となったのです。この世界を、すなわち天国と称します。
その天国は明らかに成るはずだったのであり、その世界は、即、地上天国と言わざるをえないのです。この地上天国は、神を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟! そこには一つの伝統と一つの文化があり、これは明らかに、一つの統一世界に他なりません。そこには人種差別はありえず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相闘う戦争もありえません。
堕落した世界
このような神の理想世界を描いて、今日の現実を眺めてみるとき、我々は今日、神の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感いたします。
我々は今日、まず我々の一つの体の中にさえ、心と体の分裂をみることができます。今日の我々の世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂。このような分裂の中で、人類歴史は闘争と戦争と殺戮の連続でありました。これはどうみても、天国と言うことはできません。そうです。我々は地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダム・エバが堕落してもたらした結果です。堕落したということは、神に逆らったことであり、神から離れたということです。神が臨在することのできない歴史が始まり、人類歴史は、この神を拒む歴史の連続により、今日に至りました。
神のみ旨は天国復帰
私は、すでに、神の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると申しました。そうだとすれば、人類始祖の反逆から、もし堕落世界となったとしても、神の根本理念と目的は異なることができません。神は必ず初志を貫徹される方です。そうです。神は必ず、本然の創造理想を果たさねばなりません。人間堕落以後、神は無為無策であったのではありません。人間堕落以後の神のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。救援とはなんでしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。とすれば、病気のこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に元返しすることが、すなわち救いです。そして救いは、原形に帰ること、すなわち復帰です。
だから神は、直ちに堕落世界を清算されて、堕落以前の、神が計画された本然の理想世界に復帰する御業をされ、降りて来られているのです。
メシヤの使命は復帰完成
今から二千年前、神は、救世主イエス・キリストをメシヤとして、この世に遣わされました。彼を遣わした目的は、すなわち堕落人間の救いです。そして救いは、すなわち復帰でした。メシヤが地上を救われるということは、すなわち、この地上に天国を回復するということです。
ところで、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、未だにこの地上には、天国が建設されておりません。これは重大な問題です。イエスは、「天国は近づいた」と天国到来を宣言されましたが、その天国到来が成ったという痕跡はなく、むしろイエスは、罪人に問われて、十字架に釘打ちされた悲運を招来しました。これは端的に言えば、神がメシヤを遣わされたみ旨が、二千年前に完全に成されなかったことを立証するのです。その理由はなんでしょうか。
イスラエル選民の無知と不信
その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神がメシヤを遣わされる前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られる時、そのメシヤを迎えて、神のみ旨を成すことを願った意図からでありました。しかし、イスラエル選民たちは、いざメシヤが来られた時、神のみ旨を正確に知ることができませんでした。
彼らは、メシヤが来れば、ローマの虐政下にいる自分たちの、怨讐を討って、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。しかし、メシヤの天国理念は、武力で成すのではありません。神の天国理念は、真理と愛で成すのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られた方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせても、世界の救いを計ろうとして来られたことを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢みたイスラエル選民の前に現れた裸足のみすぼらしい無力なイエスの姿は、彼らの目からみれば、メシヤとしては落第生でした。イスラエル選民は、侍らなければならないメシヤを、ついに十字架にかけてしまいました。これは、神にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸であり、神の天国実現のみ旨は、その時点で成らず、将来のある時点に、再びメシヤを地上に遣わさざるをえない破局を招来したのでした。
神が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、我々は「再臨の日」と呼びます。神のみ旨は、イエスの時に完結をみることができず、再び再臨の日まで延長されてきました。イエスが十字架につけられたその日から、神は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。そして、それから歴史は約二千年が流れました。今は、まさに末世と呼ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待つ声は四海に充満しています。神は過ぎ去りし二千年間、どのような歴史を形成されたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。
メシヤの再臨のための第二イスラエル
神が第二のメシヤを遣わすためにまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遣わすことはできません。だからイエス・キリストの降臨の前に、神はイスラエルという選民を準備されたのです。結論的に申しあげれば、新たに来られるメシヤを迎えるための世界的選民、磨かれた土台が、すなわち世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムのまぐさ桶に生まれたイエスの教えは、過ぎ去りし二千年を下りつつ、世界的宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を見たいがために世界的な選民を造成されようとする、神の摂理からくる結果なのです。今日のキリスト教の使命は、神がメシヤを再び遣わされる時、そのメシヤを迎えて侍ることなのです。二千年前のイスラエル選民たちと違って、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの席につきました。
それのみか、神には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がさらにありました。
その一つは、高度の物質文明の発達です。神のみ旨が成るということは、すなわち地上天国が成るということであり、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園も意味するのです。ゆえに、メシヤの再臨と共に成就される高度の精神文明を入れることのできる器、いわば高度の物質文明の世界を準備される必要がありました。善なる神の理想世界は、世界が一つの国となることであり、この世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達して、全人類が一日生活圏内に住むことは、地上天国建設において誠に重大な要素です。これは統一世界、文化創造に必要不可欠な条件です。
だから、英国から起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度の物質文明を起こすことも、神のマスタープラン内に計画されたことなのです。最近はアポロ十一号の月着陸を全世界人類が同時にテレビを通して見ることができます。これ自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神の時が近づいたことを意味するのです。
神が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨されることのできる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、やたらに人を捕らえて殺すことのできない法治制度の創建です。イエスの時代では、人の生命は権力者の前にハエの生命みたいなものでした。イエスは、為政者か権力者たちが願えば、いつでもハエ取りみたいに捕まえ殺すことのできた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫ぶ革新的なイエスのみ言は、その社会制度の下で容認されませんでした。イエスが十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情であったといえます。これを良く知る神は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をむやみに捕まえて殺すことのできない法治制度であることを知っておられたのです。このために、二千年間で準備された制度が、すなわち今日の民主主義です。
民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義は、少数派も多数派の中に生き残ることができる制度です。その自由が、すなわち言論、結社、出版、集会の自由です。その民主主義の代表国と呼ぶことができるアメリカの憲法をみれば、自由の中で最も絶対的な自由が、宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するどのような法も作ることができないようになっています。この制度は、すなわち、神の子がまた生まれて革命的な布教をしても、彼が再び十字架にかからずに生き残ることのできるためのものです。だから身近な例をあげれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、アメリカで、たとえ彼らに多少逆らっても、今日、アメリカが持っている法と制度は、彼らを十字架にかけることができません。そしていざ再臨の時が近づいて来れば、神は第二イスラエルの世界的版図の中から、一つの中心的なキリスト教国家を選ばれる必要があります。
これは、どういうことでしょうか。神が成そうとされる窮極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想であり、ある中心点から出発して、漸次世界に波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないのです。そしてさらに、言うまでもなく、末世にその中心的な神の摂理を充分担うことのできる国でなければなりません。こうしてかなり以前から予定されて、その予定にしたがって選ばれた国が、すなわちアメリカです。
アメリカは選ばれた国であり、神の摂理の中心国家
今しばらく、あのアメリカの国家形成過程をみつめてみましょう。アメリカは、あのように途方もない大陸であって、最近一五〇〇年代まで発見されないまま放置されていた大陸です。これは終わりの時に、神が特別に使おうと密かに隠しておいたと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が、移民からなる国です。言い換えれば、アメリカは主人が居ない国でした。原住民であるインディアンがいたけれども、インディアンは主人役を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神が主人であるということです。だから、神が選ばれた特別な人々だけが行き、住むようになった国です。ヨーロッパ大陸から、アメリカを新天地と呼んで、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求めて、神に侍ろうとしてきた人々でした。
旧世代の虐政下において完全に望みを失って、仮に大西洋の海で生命を失っても、ただひたすらに神に心を尽くして侍ることができる所に行こうと、悲壮なる心で出発して、メイフラワー号という小さな帆船に乗り、五十七日間の難しい航海の末に、アメリカ、ニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカ祖先たちのピルグリム・ファザーズでありました。彼らは航海途中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すのに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神と信仰を、生命よりももっと貴重に考える人々です。彼らが即、アメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカ建国の精神となったことが、偶然だということは絶対にできません。
「神に侍る唯一の国」というモットーが、アメリカの建国精神となったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎えるキリスト教国家の中心となさろうとした神のみ旨を、はっきりと立証するものです。そして、神が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神を信奉する五色人種が集まり、超民族的キリスト教国家を成したのは、これは、将来なる地上天国の模型なのです。
今、アメリカは、神のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神の歴史的願いである世界救援のみ旨を達成して、一つの世界家族を、そして統一文化を創建しなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、末世に起こる人類歴史最後の悪なる勢力、共産主義に備えるために、神はほんの二百年間に、この荒れた地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家に作られたのです。
今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神の祝福が、アメリカのためだけの祝福でないことです。この祝福は世界のためであり、神のみ旨を成し遂げるための祝福であることを、はっきりと悟らなければならないのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装され、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからない決意に燃えていなければなりません。そして神の前において、アメリカが持つ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護して、窮極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力とならなければなりません。
選ばれた国アメリカに起こる不吉な徴候
ところで、そのアメリカは去る一九四五年、第二次大戦の勝利から今日に至るまで、神本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候がみえているので、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるをえないのです。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを言います。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において話したことです。誰かがアメリカを悟らすために、このことを言う必要がありました。
初めに、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神であり、また、アメリカをして世界国家型である国際連合を編成させたのも、神のみ旨でありました。神のみ旨からみれば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国家が結束する本営とならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神のみ旨ではありませんでした。また国連は、勝戦後、戦後処理をよくしませんでした。二次大戦に勝利した連合国と、敗戦した同盟国家が統治した国々まで正当に保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神のみ旨をそのまま知っておれば、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神のみ旨の中で全世界を復帰することのできるよい機会となっていたのです。しかし、アメリカは当時、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に押し出し、韓国とドイツを両断させる悲劇を招来しました。
二次大戦の勝利は、神が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたことだったのですが、結果的にアメリカは、青年たちの血の犠牲を空しくして、神を否定する不倶戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。青年たちの怨恨と血の訴えが、今も止んでいないことを知らなければなりません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムとともにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産国へ祭物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際威信は地に落ち、怨みの声は日に日に高まっていきます。今日アメリカは、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっているのです。
それだけでしょうか。アメリカでは、いろいろな尋常でないことが日毎に増えています。人種問題がすなわち、それであり青年たちを堕落させる麻薬問題がそれです。青少年淪落と家庭破綻、日毎に激増する暴力犯等、それらのどの一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人主義的人生観と価値観から肉的享楽に走るアメリカの現社会、このままでは神は彼らから離れ、アメリカが神の所産とその計画を、失敗に導くことは、火を見るより明らかです。この時点で、神は、どうされるでしょうか。
光は東方から
神は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。どうみても、神はアメリカがこのようになると予想された、と言っても過言ではありません。なぜなら物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を惹起することは、必然的な結果といえます。物質文明は、どこまでも体であり、心ではありません。今日のアメリカが神の造られた体なら、この体に入る心は、元来、東洋から起こることを計画された神です。そして東洋の心と西洋の体が合わさり一つとなる時に、初めて我々の世界は、欠点のない人の役目を果たすように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。
ここでちょっと、英国の碩学アーノルド・トインビー博士の予言をみつめてみましょう。彼は、透徹した有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の歴史観はあまりに鋭敏に未来を予見するので、彼は歴史家の領域を脱して、一人の預言者としてみなされ尊敬を受けた人です。トインビー博士は、はたして驚くべき予言をしました。
「キリスト教を中心とする西洋文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」。このように、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段であった」と。言い換えれば、トインビー博士は、歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることではなく、文明はどこまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展だけが歴史の目的だ、と言ったのです。そして彼は、没落する西欧文明を救う新しい高等宗教は、東洋から期待されると言いました。「光は東方より……」、この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。
今朝、私は、革命的な発言になるかもしれませんが、トインビー博士が言われる「光」、世界を救うことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現するであろうと躊躇なく宣言するものです。いや、その精神革命の烽火はすでに韓国からあがり、すでに世界に向かって赤々と燃えています。いや、すでに西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数千、数万、数十万の青年たちの胸に火がともりました。彼らには、すでに新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されております。
その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動です。この精神革命がまさに、アメリカの物質文明と接ぎ木されれば、これは心と体が合う瞬間です。その瞬間、アメリカは心に会うので望みがあり、韓国は体に会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが合わさり一つの身体となり、世界救援運動に携わる時、世界は望みがあります。この精神革命の力は、世界共産主義に勝つことができる力です。
この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次の実例をあげて申し上げましょう。
アメリカで多くの物議をかもした私に対するその非難の第一点は、アメリカの青年たちを洗脳するということです。我々の精神運動の衝撃がそれほどまでに大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、自分たちを洗脳している、と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、米下院議員たちの前で講演した時に、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンド・ムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは明答を得たということでした。
アメリカ統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく捜し、レバレンド・ムーンが洗脳工作に使う薬瓶捜しに血まなこになったということです。そしてついに、どんな薬を飲んで洗脳するかを知ったようです。実はそのようにして、一和人蔘茶の瓶を捜し出したのです。「ああ! これだ!」と言って、持って行って、いくら飲んでみても、いかなる精神的な変化も起こらず、体調だけが良いということです。
アメリカの青年たちは、私が持っているその薬を飲んで洗脳されたのではなく、神が私にくださったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。そうです。韓国の地を通して神がくださった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。ひどく利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神には生命を捧げて奉仕しようとする、高貴な人格者となります。のみならず、彼らが共産主義を神の怨讐として認識して、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。
なぜ韓国を選ばれたか
なぜ、神は、地上を救援される最終理念を、我々の祖国韓国を通して、現すのでしょうか。韓国にどんな資格があるので、終わりの日に、このように選びを受ける国となったのでしょうか。一言でいえば、韓民族は「神の事情を知れる民族」だからです。歴史の中で、神が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る者がいませんでした。神は、創世期から子息を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子息を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神は、かわいそうな父でした。このかわいそうな父において最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを代身する息子です。韓民族が即ちそのような位置で選びを受けるのです。
韓国の五千年歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力からいじめぬかれる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に出会ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子息を見て嘆息される神の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。したがって、涙の神を理解できます。韓国人は古来から悲劇を好みました。それがとりもなおさず、堕落という悲劇をみつめる神に同情できる資格です。ことわざに、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。我々は、喜びと栄光の中に権勢を享有される神であることを知っていますが、その神は、知ってみれば子息を失いある時は哀切して孤独な父だった……。その神の心情を慰労する真の孝行息子となることを信じ、神は我々を捜し求めてこられたのです。
韓国人は古くから、忠孝の精神が高い民族です。国軍の日、五・一六広場に招待され、国軍の威容を見て満足に感じました。ところで、その国軍将兵が査問台の前を過ぎつつ叫ぶ「忠孝」という標語は、本当に印象的でした。神が選ばれる民族として叫ぶ号礼は、あまりにも啓示的でした。世界のどの国で、このような号礼を叫ぶ軍人がいるでしょう。韓国は最終的に、神に忠誠を尽くして孝道なる民族となり、その忠孝精神が今日、国家の中心思想となるのです。沈清の父母のための忠誠、春香の夫のための烈、鄭夢周の王様に侍る忠誠、柳寛順の殉国精神。このような忠孝の精神は、古今東西、そのどこにも類例をみない韓民族のものです。このような忠孝精神と松竹みたいな精神は、将来成る地上天国の中枢的な精神と思想になることでしょう。天国は神の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神は人類の父なので、その父に永遠に孝行しなければなりません。世界のいろいろな民族をいかに試験してみても、韓国のように、その思考の魂と精神の高い国がないので、神は韓国を選ばれて捜し求めてこられたのです。
韓国は平和を愛護する白衣民族です。我々は一度も誰をも侵犯したことのない人々です。このような平和愛護の民族が、五千年の固有の歴史を通過し、忍んできたこと自体が、奇蹟と言わざるをえません。これは、偏に神の保護の下にのみ可能だったのです。俗に言えば、我々は神を“バック”に持つ民族です。五千年の歴史において、さまざまの強大な大国が、何回か我々を横領しましたが、いつも我々を食いものにして、消化不良を起こさなかったことがありませんでした。食べれば、必ず吐いていかなければなりませんでした。これは誰の力ですか。神の力です。八月十五日の解放は、誰がもたらして下さいましたか。神の力です。六・二五動乱の時、共産軍の南侵を防ぎ、止めたのは誰の力ですか。神の力です。
六・二五当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かったら、我々はすべて釜山の前の海へ突っ込んでいたことでしょう。韓国動乱の時、国連軍の派兵は国連安全保障理事会で、ソ連の拒否権があるので絶対不可能なことでした。ところが韓国派兵問題を討議した時、ソ連代表は欠席しました。その間に派兵案は、一瀉千里で可決をみたのです。国連外交史では、その時ソ連代表がなぜ欠席したのか、今なお何もわかりません。これは、誰がそのようにしましたか。神の能力でいらっしゃいます。韓国は、この神の特別保護があるので、誰であっても、指先ひとつびくともしない韓国を害しようとする勢力は、神の力によって一つ一つさえぎられております。今回、米議会で韓国をつぶそうとするフレーザー議員の敗北は、そのよい例です。
皆様! 我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神の寵児です。我々は、長い間の苦難の末に、ついに新しい時代の王者として登場する時がまいりました。この時、我々は帰らなければなりません。韓民族を神が召命されていることは、神が韓国のみをよくしようとするのではありません。世界救援のためです。韓国は世界救援の仕事のため、召命された国であることを悟らなければなりません。我々は神に召命を受けたので、神の世界救援の仕事のため、誰よりも、最も先に、自分を犠牲にさせることのできる愛の王者とならなければなりません。このみ旨のために死んだことは必ず生きるでしょうし、苦労したことは、必ず栄光の席へ登る道でしょう。イエスの「私のために死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という意味が、すなわちこのことであります。
韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例をみない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本とかドイツの復興がついてこれない記録です。加えて、このような急速度の成長を、虎視眈眈と南侵をねらう北傀金日成の目前において、成しとげたことは、大いに意義があります。
アメリカ人たちは、私を見て、朴正煕大統領とどんな密接な関係があるのかとこじつけていますが、これは笑いものです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、よくするのを見て、よくやると言わなければ、これは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者だと、私は確信します。この方でなければ、金日成の赤化野望から、復興どころか、もちこたえることさえ難しかったと私は考えます。
ところで、天がこの歴史的な時点に、このような指導者を送り、我が祖国を急速度に復興させる理由があります。今、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たのです。その韓国が、今より以上の苦難の中に、貧しく苦しむのはまずいからです。いわば神は、韓国を今、全権特命大使として世界に送られるわけですが、その大使は、ぼろぼろな雑巾みたいな衣を着ては出かけられません。礼服で盛装させ、世界の前に立たせようとするのが神のみ旨であります。韓国は名実共に、世界指導者像を持たなければなりません。今、韓国は、どの面をみても世界各国に模範となり羨望の対象となり、彼らの尊敬を、受けなければなりません。我々の朴大統領は、このような課題を成就させるように、神が祝福された方です。
ところで、韓国のセマウル運動は、我々も一度よい暮らしをしてみよう、という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界が良く住めるようにする運動として昇華されねばなりません。そのようなセマウル運動が、新しい精神運動として前進したのは、あまりにも神のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動なら、セマウム(新しい心の)運動は、自分の霊魂をよく生かす運動であります。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたので、このセマウム運動が世界に出ていく時、世界は我々から真実の忠孝精神を学ぶでしょう。ところで、このセマウム運動も、もう一度、もっと前進しなければなりません。さらに我々が窮極的に始める運動は、「セサラン(新しい愛)運動」です。セサラン運動は、神を父として愛して頭にのせてあげる、自分の体と同じように愛する運動です。愛の極致は犠牲です。世界と国と同胞のために犠牲となることを知る運動として、昇華されなければなりません。
キリストの窮極の教えが、すなわちこれです。さらにキリスト教歴史は、このセサラン運動をするところからいつも失敗しました。自分だけ生き、自分のためにする運動は必ず滅びます。自分を殺して相手を生かすようにする運動だけが、永遠に生き残ります。イスラエル選民たちが、すなわちこのような悟りがなかったので、イエス・キリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛時期を享有するローマが、自分を中心にした利己主義に暴れまわる時、その帝国も内部から崩壊してしまいました。
ある時期、神は英国を祝福しました。その当時英国は、「英国領土に、日が沈む日がない」とおごり高ぶり、その威勢が全世界に広がりました。しかしながら、神の真の祝福のみ旨を忘れて、世界植民地政策が自己中心となったとき、英国の衰退は秋の木の葉と同じでした。彼らも、セサラン運動をしそこなった時に衰退したのです。今日、アメリカも、ローマ帝国など羨ましくない程の、権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動をよくして、セマウム運動もよくやりました。ところで、世の終わりの日に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動をしそこなえば、アメリカの今後も暗澹たるものでしょう。
韓国も、この神の原理をのがれることはできません。我々が窮極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にして、自分の国を犠牲にしても共産主義を防いで、世界がよく生きられるようにしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、我々もやはり、一度はよい暮らしをしたとしても、今の先進国が落ちた落とし穴に共に陥ることになるでしょう。統一教会は、今、そのセサラン運動を五大洋六大州に、百二十カ国に拡げているのです。そしてこの運動は、神が共にされる運動です。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となり、理想が実践されだしております。そして統一教会が導くセサラン運動の本郷地は、我が祖国、大韓民国です。
「私の愛する祖国よ輝け! おまえはついに神の召命を受けたのだ。世界を生かすセサラン運動の本郷となった」。
これが本日の朝、皆様に申しあげる私の証言の全部です。我々韓民族の急務は、「覚醒」です。悟ることです。我々は悟らねばなりません。我々が神の召命を受けたことを悟らなければなりません。我々が選民となることを悟らなければなりません。自分をよく生かすための選民ではなく、世界をよく生かし、造る選民であることを、悟らなければなりません。この使命を悟ったところから団結し、このことを実践する時、神の祝福は永遠に我々の祖国と共にあり、我々は神の王子となる席で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光は、永遠無窮でありましょう。
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