愛勝日におけるお母様の証
1984年1月3日
ベルベディアで
皆様方は消息を通してよく知っておられることと思います。その間、全世界の精誠をこめた祈祷の祭壇を積んで下さったことに対して、母として真心から感謝いたします。お父様が後で原理的にいろいろと説明して下さることと思います。それで少し私が感じたことと、私を通して多くの人たちが証して下さったいくつかの点を、お話してみようかと思います。
今、私の心情は平穏であります。ただ一言で言ってそうです。シカゴでの科学者大会を終えられて、突然お父様から「私は韓国に行ってこなければならないことがあるがどう思うか」と言われた時、私としては、今年はどうかこの国で越えてゆかれたらいかがでしょうか」と、一番最初はそのように申し上げました。その理由は、私としてはもちろん感じる点がいくつかあり、予感がありましたし、また今年の冬こそはお父様と子供たちと一緒に過ごしたいという思いがもっと大きかったのです。そのように申し上げましたら、お父様は「どうしても行かなければならない」と言われたのです。すべてを説明されませんでしたが、行かざるを得ない御{み}旨{むね}を前にし、そのような大きな摂理があることを知ったとき、私は何も言わずにただ従いました。
韓国で勝共国民大会を宣布され、日程が定められた時、特別に精誠をこめて祈祷するすべての人たちの共通の話が、「お父様の身辺を注意しなさい」という言葉でした。ひと言で表現するならば、生命と関係する深刻な問題でした。そうして、予定通りに無事大会を終えてソウルに戻ってきた時、金氏より電話を受けました。
国民の積極的な反応と大会の勝利的な結果において、もちろん喜ぶ気持が大きかったのです。しかしながら、一方において、なぜかわかりませんが、重い陰があることをどうすることもできませんでした。(泣かれる)その日の午後五時頃ソウルに到着した時、二時間前にアメリカから電話があったと知らされました。それで「いつお母様が帰って来られるのか。もう一度電話する」ということで、電話の内容はどうかと聞いたら、説明はなかったのでよくわからないが、「急なことである」と言われたそうです。しかし、その翌日が丁度、恩進の誕生会を予定した日だったので、買物に出かけなければならず、しばらく外に行ってきました。家に帰ってから電話の内容を聞いてみると、「興進が交通事故によって、手術室に入っている」という話でした。
数日前にアメリカの家に電話をした時、仁進と通話をし、興進と通話した時、「あなたは冬休みに何をする予定ですか。」と聞くと、興進は「私は何をしたらよろしいでしょうか、お母様。お母様、私はお母様の願い通りのことを致します。」と言うので、「では、どこか外へ出て行くよりも、あなたは車を修理することにしているのですから、それをしなさい。」と言ったところ、「ベリータウンで誰かが自分にオートバイをくれると言ったので、そのオートバイを冬休みの間修理しながら家におります。」と言ったのです。それで私が「そうしなさい。」と言った、その言葉が最後の言葉でした。(泣かれる)
十二月二十二日が冬休みであり、冬休みになるとオートバイをチェックしたくて、友達二人と行って、帰ってくる途中で、そのような惨事にあったのです。その時間が丁度、お父様が光州大会を始める時間でした。皆様は韓国の報告をお聞きになってよく御存知であると思いますが、その光州の大会こそ深刻な大会でした。
今からは興進の事故に関して、霊通する人たちの証、その内容についてお話致します。韓国には、食口として、特別に霊界との関係を持っている人たちも多いですが、外部において、この世と関係をもって霊通する人たちが相当数います。その人たちが、こぞってお父様を証し、自分なりの精誠を尽くしています。その人たちがお父様に対して等しく表現するのは、「統一教会の食口であるならば、何よりも父母様の身辺に対し、生命を覚悟して守ってさし上げることが、父母様が何もなさらずにいらっしゃったとしても、それが統一教会と世界と人類と神様のための道となる。」ということです。一言で言えば、「統一教徒は、もちろん原理的に生活することも重要であり、自分の与えられた任務に、御旨の発展のためにいろいろと苦労することも、苦労ではありますが、先ず第一に、お父様にいかにして、この地上において永く侍ることができるか、それが急務である。」ということです。
昨年の十二月が、お父様にとっては深刻な月であるとみな証していました。教会内の霊通する人たちの話によると、今回興進がこのようになったのは、お父様の生命を狙っていた、数的にも三十六名のテロ団が、お父様に対して攻撃する機会を失ったので、その代わりに集中的に興進に襲いかかったというのです。私が考えてみるとき、それは世界のサタンが総結集して、いわば最後の攻撃であったと私は思います。興進が事故に遭うその当時を、証や物証を通して皆様がお聞きになれば、何か感じられるところがあると思います。
事故当時、体が昏睡状態にある時、興進の霊が韓国のある人の所に来て「私は行くが、お父様の代わりに行くから」(□□)という三つの言葉を言ったのです。その時、その食口が「行かれてはなりません。どうか行かないで下さい。」と言うと、興進は「私は前もって祝福を受けないで行くのが、少し淋しい。」という話をしたそうです。その意味は相対者を持っていなかったということです。興進が直接現われて話をした人は、興進が霊界へ行かれることを話したし、そのほか、内外の人たちは、「興進の生まれつきの運命は、そのように悲惨に亡くなられる方ではない。絶対にそのように行かれることなく、神様が愛する息子である。」と証しています。
今、お話したいことは多くあるのですが、今朝ここに来る前に受けたお話だけを申し上げます。今朝、私は韓国から電話を受けました。私を呼んだ人は祈祷中に神様から特別のメッセージを受けて、アメリカに電話するように命じられたのです。そのメッセージというのは次のようなものでした。「今、父母様の心情はとても穏やかそうに見えますが、(特にお母様の立場を説明しながら)私が伝える言葉がお母さんの慰めになればよい。」と言われたのです。
興進は一言で言って、生まれつき男らしく、すばらしく成長し、その反面非常に細心な面があって、父母の心情を読みとって、どうにかして楽にしてさし上げたいと努力していたその例を一つ一つあげながら、神様が説明して下さったのです。
「興進は父母に対して犠牲の道理を果たして行かれた」と言われます。それが第一であり、第二に「兄弟間の和睦の道理を立てた」といいます。そして弟として兄に「対する愛を尽くした」ということであり、その言葉はアベルの責任を果たしたということです。興進は今、満で十七歳で韓国の年では十八歳ですが、すっかり成人になりました。サイズから見ても、壮健な成長した男性、洋服のサイズが四十二ですから、そのように神様が興進を年齢に比べて、急成長させた理由があるそうです。彼がこうなることによって、更に使命が定まったのです。イエスはいわば真の父母のみ旨を成さずに行かれたでしょう。しかし興進は、地上に真の父母を通して、イエスの立場を完成した位置に立ったというのです。興進がきょう三日に発つと、韓国到着が五日になり、八日が昇和式であり、その日から三日後、だから一月十日から四十日間に「神様が特別なる復活の役事をなさる」と言われました。言わば、実体の復活と同じであるというのです。
その前にもう一言だけつけ加えると、事故の状況からみれば、興進は本当はその事故当時に逝くしかなかったのでありますが、十日も生命を延ばして、お父様の祈りと、兄弟たちの切なる祈りと精誠と、皆様の祝福と精誠を一身に受けたのです。私がその時、一つの希望があったとすれば、お父様が、行くしかない立場でこのように生かしておいて下さるのだから、それでも興進を生かすこともできるのではないかという希望から、切なくやるせない気持でした。ところが、私たちが八三年十二月三十一日、病院に行ってみると、容態はとても難しそうでした。それでつらくてたまららなかったのですが、"神の日"は越えてほしいという気持で一杯でした。その時、また、神様が直接ある一人を通して、私にメッセージを下さったのです。
神様が私をとても気の毒に思われて、「お母さんの精誠と多くの人々の精誠を見れば、私の心も興進を生き返らせたいのだが、その後にお父様に更に一つの危険があるとしたら、私はどうしたらよいか。私が興進をつれていくしかない。それでこのように直接、興進を尋ねてきたのである。」とおっしゃるのです。
私はその時心を決めて、興進に心から感謝の言葉を述べました。彼が生まれる時も三日間の仮死から生き還ったのです。それもアベルの立場において、お父様の代わりにそのような死の過程を経たということでありましたし、そして最後に行かれるのも、父母に最も孝行をして行かれたのであると思ったのです。(泣かれる)
興進が行くことによって、霊界と肉界が更に一層直接的に父母様と一つになって、表現できないほどの拍車を加えていくことのできる神の祝福があることを知りました。また彼によって、お父様は兄を再び探し求めることができるというその慰めが、昨日最後に送る場で私の心を安定させることができたと思います。
興進は決して死んだのではありません。皆様と共にもっと大きく活動するでしょうから、私は、皆様が興進の過去と、今お聞きになった話を通して、より一層、忠誠と孝道を天の前に尽くして頂きたいと願う気持から、しばらくの間お話を致しました。ありがとうございました。 (拍手)