聖霊の実を結んで行く事が信仰生活です。<要約>
<ガラテヤ5:22-24>2026.5.10.<主日>愛する教会、金好日牧師。
私たちがイエス様を信じる前には悪魔の僕(しもべ)として歩んだため悪魔の姿に似ているのです。そのような、私たちがイエス様を神様の御子として受け入れれば、聖霊様が私たちの内に臨まれ九つの聖霊の実を結ぶ事を望まれるのです。なぜなら、聖霊の実とは神様の品性(ひんせい)であり、この実を結ぶ事がイエス様の品性に似て行く事だからなのです。また、聖霊の実とは、私たちが死んだ後に裁きを受けるのだが、それが行いの裁きなのです。行いの裁きとは、私たちが聖霊の実をどれほど結んだのか、また、聖霊の実を結ぶためにどれほど努力(どりょく)したのかを裁かれるからなのです。<ガラテヤ書5:22-23>これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
この御言葉は、聖霊の実の九つを紹(しょう)介(かい)しているのです。ところが、聖霊の実の一つ目は愛です。愛がなぜ大事なのか。愛が何なのかを詳(くわ)しく分からねばならないのです。神様は愛であられるため愛で満たされた方なのです。それで、聖霊様は一番先に愛の実を結びたいのです。愛は神様の品性であるのだが、憎(にく)しみと怒(いか)りと妬(ねた)みと偽(いつわ)りは悪魔の性質なのです。
ですから、私たちが神様に仕える時、愛が足らないと正しく仕える事ができないのです。愛が足らない事を悔い改めて愛の実を結ぶため切に祈り努力せねばならないのです。では、愛がなければ何が問題なのか。<コリント第一13:1-3>たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒(さわ)がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かす程の完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。この御言葉は、愛がなければただやかましくて、信仰も無駄になり、救済と献身も自分自身にとって何の祝福にもなれないという事なのです。ですから、まず愛が必要であるという事なのです。では、愛とは何でしょうか。
<コリント第一13:4-7>愛は忍耐強い、愛は情け深い、妬まない、愛は自慢せず、高ぶらない、礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨(うら)みを抱かない、不義を喜ばず、真実を喜ぶ、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。この御言葉は、愛が何なのかを言われているのです。愛は忍耐強い、柔和な者になる事です。妬まない、自慢しない事です。高ぶらない、無礼に行わず、自分の利益のみを求めないのです。愛はいらだたず、不義を思わない事です。
また、全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える事が愛であると強調しているのです。愛の
一つ目が忍耐強い事です。耐え忍ぶ事が愛なのです。親は子らを愛するため心が痛くても耐え忍び待ち望むのです。耐え忍べないので不平不満を言うのです。ですから、各自の心の内に愛の部屋を大きくする事が信仰生活なのです。耐え忍び、また、耐え忍び、忍耐する事が愛なのです。神様の品性、イエス様の品性は忍耐強い事なのです。もし、神様が耐え忍ばなかったのなら私たちは救いを受けられませんでした。神様が忍耐して待ち望んで下さったため、私たちが救いを得られたのです。それで、聖書は忍耐によって救いを成し遂げられると言われたのです。
二つ目は情け深さなのです。愛していれば柔和な者になるのです。
三つ目は妬まない事であり、
四つ目は自慢(じまん)しない事であり、
五つ目は無礼に行動しない事であり、
六つ目は自分の利益のみを求めない事であり。
七つ目はいらだたず事なのです。結論は、
私たちが神様を信じ 神様を愛し、人を愛すると決心すれば、神様の愛が私たちの内に注がれるのです。
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ユーチューブ日本語映像https://youtu.be/lfsTDw_CzCU?si=E2FGFx9E7zjYyeog
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毎週ありがとうございます👍
たくさんの愛をいただいたにもかかわらず、愛の部屋を広げる工事をしてこなかったことを悔い改めます。これからは他の人々にも、キリストの愛を伝えていきたいです!!
霊の結ぶ実は愛と、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制
頑張りますアーメン、