|
|
毎日新聞2025/4/29 東京朝刊有料記事1018文字
<ka-ron>
イスラエルが「テロ対策」として設けた「分離壁」。フランシスコ・ローマ教皇はこの壁に額を押し当てて祈った=ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムで2014年6月、大治朋子撮影
フランシスコ・ローマ教皇の葬儀が26日にバチカンで営まれた。世界160以上の国・地域の元首や首脳、王族らが参列した。日本からは岩屋毅外相が列席した。
教皇は最後まで、イスラム組織ハマスが統治するパレスチナ自治区ガザ地区の市民に心を寄せ、イスラエルとハマスの早期停戦を呼びかけた。
Advertisement
パレスチナ自治政府は即座に弔意を表し、葬儀には首相が参列した。一方、イスラエルは大統領が弔文を出したものの、首相府は逝去から3日以上たった24日夜にX(ツイッター)で、「哀悼の意を表します。安らかにお眠りください」などと短く投稿。通常なら同様の発信をするヘブライ語や首相個人のアカウントは沈黙を守った。葬儀に参列したのは、現地のイスラエル大使だけだった。
さらに不可解なのは外務省の対応だ。AP通信によると、死去が発表されて間もなく、「安らかにお眠りください。彼の思い出が、祝福となりますように」と投稿したが、数時間後に突然、削除した。
イスラエルメディア「Yネット」(22日電子版)によると、外務省は、在外公館の大使らにも教皇の死に関する投稿を削除するよう指示。世界各地のバチカン大使館の弔問簿にも署名しないよう命じた。
これにはさすがに内部からも批判が相次いだようだ。ある大使は省内の交流サイト(SNS)で、「我々は、哀悼の意を示すという無害でシンプルなツイートを削除した」「ガザ戦争で、教皇がイスラエルを批判したからだろう」と告発した。別の外交関係者は「弔意を示さなかっただけでなく、積極的に削除した。見苦しい」と恥じ入るように投稿したという。
フランシスコ・ローマ教皇の訪問を歓迎するポスターがあちこちに掲げられた=ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムで2014年5月22日、大治朋子撮影
教皇は2014年5月、イスラエル・パレスチナを訪ねた。米国による和平仲介が失敗した直後のタイミング。「(イスラエルによる占領が続く)現状は受け入れられない」として「パレスチナ国家」樹立の支持を表明した。
フランシスコ・ローマ教皇の訪問を歓迎するポスターを掲げる地元のキリスト教・カトリック神父ら=ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ベツレヘムで2014年5月22日、大治朋子撮影
さらにキリスト教聖地ベツレヘムを訪問した際には、「テロ対策」としてイスラエルが設けた分離壁の前で突然、車を降りて祈りをささげた。壁にはパレスチナ人がつづった英語の文字が躍る。「ようこそ教皇」「アパルトヘイト(人種隔離)の壁」。教皇の「祈り」に、イスラエルは猛反発した。
今回の対応について地元ハーレツ紙は27日の社説で、ネタニヤフ政権は批判者を「反ユダヤ主義者」とみなしていると非難した。
フランシスコ教皇は「地雷原」に分け入り、物言う聖職者として闘い続けた人だった。(専門記者)