私は神様に近くある事を幸いとする。<要約>
<詩篇73:22-28>2026.7.12.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
神様はアブラハムの子孫であるイスラエルの民たちを選ばれ、彼らを導かれ祝福されたのです。しかし、神様がイエス様としてこの地に来られたのだが、彼らがイエス様を十字架の上で釘付(くぎづ)け殺されたのです。それで、今は異邦人を選ばれたのだが、信じる者のみを祝福され、愛され、天国へ連れて行きたいと願われるのです。ですから、私たちはアブラハムを祝福され、イサクを祝福され、ヤコブを祝福され、イスラエルを祝福された神様を信じるべきなのです。
聖書は神様をこのように信じれば祝福が得られ天国へ入れると詳(くわ)しく記されているのです。今日の本文の御言葉を見ると、私は神様に近くある事を幸いとすると告白しているのです。ここで言う祝福は、救われ天国へ入る事と、富(とみ)の豊かさと、健康の祝福と、子孫たちが成功する事と、心に喜びと幸せに満ちる事を意味するのです。私たちはこのような祝福を得られるため、神様に近づけねばならないのです。私たちが神様に近づくと神様も私たちに近づいて来て下さるのです。ですから、神様に近くなる事が何よりも大事なのです。1>神様が共になされば神様が与えられた夢(ゆめ)が叶(かな)うのです。ヤコブは祝福を得られる事を切(せつ)に願われた者です。神様はヤコブに私があなたに約束したものを全て叶うまであなたから離(はな)れないと夢の中で約束されたのです。
ところで、私たちが夢を通して、または預言を通して祝福が得られたとしても、無条件に全てが成し遂げられるわけではないのです。神様が離れずに共(とも)にして下さらなければならないのです。ですから、神様が離れないように 悔い改めて信仰生活をせねばならないのです。神様が離れると全ての事が叶えなくなるのです。ヨセブは神様が共にいて下さるように神様を恐れ敬(うやま)いました。神様が常(つね)に見守っておられるという信仰を持って悔い改めながら罪を犯さず誠実に歩みました。罪は私たちと神様の間を遠ざけるようにするのです。
ですから、悔い改めないと神様が離れるのです。ヨセブは多くの苦難(くなん)を受け悔しく牢に閉じ込められたのだが、最後まで神様とお供する人生を歩んだため、多くの人々から神様が共におられる人として認められ他国でも総理になったのです。しかし、サウル王は神様から王として召されたのです。ヨセブのように苦難を受けなかったのです。それで、神様を恐れ敬う事ができず、たやすく高慢になり、神様に不従順する者になったのです。サウル王が神様から離れたため、神様もサウル王を捨てられたのです。その結果、王の夢がすべて壊(こわ)れて戦争中に惨めに殺されたのです。王の座を守ろうと頑張ったにも関わらず、神様が共におられなかったため、全てのものを失ってしまいました。ですから、神様とお供(とも)する人生を歩まないと祝福が得られ祝福を守れないのです。2>神様が共にされると祝福が得られるのです。
ダビデは王になって神様の臨在に該当する神様の契約の箱をダビデの城にお迎え入れる事を願ったのです。ところで、契約の箱を運ぶ途中で契約の箱が揺(ゆ)れ動(うご)いて落ちる事を防ぐために手で触(ふ)れたウッサという人が殺されたのです。そうしたら、ダビデは恐れて契約の箱をオベド・エドムという人の家に預けたのです。オベド・エドムは誠実に契約の箱に仕えた結果、三ヶ月間の間に祝福が得られたのです。このように、神様が共におられると祝福が得られるのです。オベド・エドムは祝福されたにも関わらず、契約の箱を守る門番になる事を自ら願ったのです。3>神様が共におられると全ての事がうまくいくのです。神様が共におられたため、ヨセブは万時がうまく行ったのです。神様とお供する人生を歩む時、塞がった門が開かれうまくいくのです。神様を恐れ敬い神様の御言葉に 悔い改めて 従えば、うまくいく祝福が得られるのです。
4>神様が共にすれば勝利は私たちのものなのです。神様と共にしたダビデはますます盛(さか)んになり、神様に不従順したサウロはますます弱くなったのです。ダニエルは神様と共にする人生を歩んだため、ふいごの火の中からも生き残ったのです。神様を恐れ敬い神様と共にする人生を歩まねばならないのです。
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私が神様に近づくと神様も私に近づいて来て下さり感謝しますアーメン、