2>私たちが死ぬまで忘れてはいけない大事な真理の御言葉。<要約
<マタイ23:25-26>2026.8.9.<主日>大阪愛する教会、金好日牧師。
私たちが死ぬまで忘れてはいけない大事な真理の御言葉は四つあるのです。
1>悔い改め、
2>聖なる心<心の清さ>即ち、聖霊の実、
3>赦し、
4>イエス様を愛する事です。
1>悔い改めとは、自分の過ちを悟り神様の元に立ち返る事なのです。そして、イエス様を受け入れ救われた者たちは、悔い改めながら罪と戦い打ち勝つ事なのです。罪を軽(かろ)んじる事なく罪を犯したのなら、早く悔い改め赦しを得る事なのです。2>聖なる心<心の清さ>即ち、聖霊の実です。イエス様の時代に律法学者やファリサイ派の人々は外側は聖なる人生を歩んだのだが、心は臭う墓のようで偽善者(ぎぜんしゃ)であるとイエス様から叱(しか)られたのです。神様は私が聖なる神なので、あなたたちも聖なる者になりなさいと言われたのです。神様は聖なる方なので聖なる心<心の清さ>即ち聖霊の実を結ぶ事を願わねばならないのです。
聖霊の実とはイエス様に似て行く事なのです。神様は救われた者たちがイエス様に似て行く事を願われるのです。
神様は私たちの言葉と行いと心まで見抜(みぬ)かれる方なのです。そのような神様を信じ仕えるためには、必ず聖なる心<心の清さ>即ち聖霊の実を結ぶ者になろうと祈らねばならないのです。神様は私たちが献身(けんしん)や奉仕するからとして満足される方ではなく、神様の子らになったのなら、イエス様に似た聖なる者になる事を願われるのです。それで、イエス様は先に8つの祝福を伝えられた後、律法学者やファリサイ派の人々の偽りの信仰を叱られ、あなたたちに災(わざわ)いがあるだろう。即ち、地獄の火の池に投げ込まれると言われたのです。
彼らの言葉と行いより、心と思いがもっと大事であるという事なのです。ところが、堕落(だらく)した人間には聖なる者になる事がたやすい事ではないのです。
ですから、悔い改め祈りをして聖霊の助けによって聖霊の実を結ぶ事を願う聖徒たちになるように願わねばならないのです。
事実、聖なる心、<心の清さ>即ち、聖霊の実は私たちの力と決心によって出来る事ではなく、ただ聖霊の力のみで可能なのです。聖霊は悔い改め慕い求める者のみに聖霊の実を結ばせるのです。心の罪に打ち勝つためには常に祈りながら目覚(めざ)めているべきなのです。そうでなければ、罪に打ち勝つ事が出来ないとイエス様が言われたのです。神様を信頼し生きておられる事を信じ、神様の力を信じる者は祈るのです。信じ祈れば叶う事を信じるべきなのです。
神様が私を助けて下さると信じ、私を祝福されると信じ、私を癒されると信じ祈り宣布(せんぷ)すれば信仰の通り叶うのです。それで、信仰が大事であり信じる者は祈るのです。神様は祈る者を助けられるのです。祈れば罪に打ち勝つ事が出来ないため、常(つね)に祈りながら目覚めていなさいと言われたのです。祈りをすれば聖霊様の助けによって聖霊の実を結ぶ事が出来るため、心が清い者になるのです。聖霊様は私たちの内で九つの聖霊の実を結ぶように助けて下さるのです。
これで、聖なる者になりイエス様に似て行く事なのです。3>赦す事なのです。大勢の者が赦さなければ赦されないというイエス様の御言葉を軽んじるのです。<マタイ6:15>あなた方が人を赦さないのなら、あなた方の天の父もあなた方の過(あやま)ちをお赦しにならない。<マルコ11:25>誰かに対して何か恨みに思う事があれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなた方の天の父も、あなた方の過ちを赦して下さる。<ルカ6:37>赦しなさい、そうすれば、あなた方も赦される。
この御言葉は、私たちが神様に自分の罪が赦されるために赦さねばならないという事なのです。赦しを得なければ自分自身が罪の対価(たいか)を支払うべきなのです。罪の対価は死なのです。即ち、地獄へ入る事なのです。私が 他人の罪を 赦さなければ赦されないため、地獄へ行く事を知らねばならないのです。私たちが 他人の罪を 赦さないと自分の罪も赦されないのです。自分自身のために赦す者にならねばならないのです。
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聖霊様、聖なる者になりイエス様に似て行く事を求めますアーメン、