母子協助
神様のみ旨の中で、弟が兄さんを屈服させることに誰が協助するかというと、お母さんです。母子協助です。お母さんのエバは、堕落の実であるカインを、アベルと一つになって復帰しなければならないのです。母子協助という言葉はここから出てくるのです。弟が兄さんを屈服させる摂理がいつ行われたかというと、ヤコブとエサウの時代です。エサウは外的な存在です。お母さんであるエバの立場は誰ですか? それはリベカなのです。堕落の種を蒔いたのはお母さんですが、復帰は息子にお母さんが手助けをし、また息子がお母さんを手助けしたのです。
エバが堕落する時、どのような事態が起きていたかというと、アダム、兄さんをだまし、神(父母)を偽り、堕落したのです。お父さんと息子の二人をだまして堕落したのですから、こちらからこちらに行くことで蕩減復帰ができるのです(黒板で説明される)。
エバが堕落することにより、カインが長子になりました。そこでヤコブは何をしたかというと、お父さんのイサクと兄さんのエサウをだましたのです。そして祝福を奪うのです。なぜこのようなことが聖書に記されているのでしょうか? これが聖書だろうかと考えてしまうのですが、しかしそれだから聖書なのです。祝福を奪い取ったのです。長子の祝福は、口で言って次子に与えられるものではないのです。ヤコブはその長子の祝福を要求したのです。ヤコブは知恵を使って言いました。「兄さん、おなかが空いているなら、パンとレンズ豆のあつものを上げますから、代わりに長子の嗣業を譲ってください」と。長子の嗣業は売り渡すべきものではないのです。それは自分の天国を売り渡したのと同じであり、自らを滅ぼすことになるからです。天国も神様もなくなってしまうのです。
エバの立場のリベカは、それほど重大な取り引きに対して、「お前たちが約束したとおりにしなさい」と言ったほかは何も触れていません。「お前たち、売れるものは売るし、買えるものは買えばよい」という調子です。リベカはヤコブに長子の嗣業を奪わせようと思いましたが、イサクが長子の嗣業をヤコブに譲らせるはずがないことははっきりしています。そこで思いついた方法が、兄弟で約束を交わさせることでした。
つまりヤコブはアベルの役割をしたのです。そしてヤコブはリベカに、「お母さん! 約束どおりになりました。兄さんはレンズ豆のあつものを食べて祝福を売りました」と言いながら、母子でこそこそと話し合ったのです。実は、こそこそしているのはエバでなく、アベルだったのです。そのようにしてヤコブが祝福を受けることになるのです。ヤコブを祝福したのち、イサクから「カインは祝福をすることができない」と言われたエサウは、ヤコブを殺そうという憤りを抑えることができなかったのです。それは何かというと、ヤコブがアベルの立場で、カインの脳みそを抜き取ったようなものです。何の話か分かりますか? もし統一教会がある村においてそうしたならば、統一教会は完全にその村のカインの福を占領することができるのです。祝福を奪ってくるということなのです。
ヤコブは二十一年間にカイン以上の基盤をつくる
ヤコブは祝福を受けてから二十一年間、天の側の身代わりとなって、ありとあらゆる苦労をしました。家を出て、二十一年間苦労をしたのです。しかし、祝福を受けたはずのヤコブは、両親にも親戚にも、「私は神から祝福された。私は勝利したのだ」と言うことができなかったのです。エサウを屈服させる前は、そのように言うことができないのです。それをはっきり知らなくてはなりません。
ヤコブは結婚をし、家庭をもったのですが、妻子たちにも神様の祝福を受けた話はしませんでした。祝福を公認する立場にないからです。「長子の嗣業を相続したのですから、あなたが天の祝福を受けなくてはならない」というサインを誰がするのかというと、カインなのです。それをカインが認定しなくてはならないというのです。カインがエサウが認定しなくては、ヤコブは祝福を受けられないという話なのです。
では、ヤコブは家を出てから二十一年の間、何をしたのでしょうか? 自分の枠を築いてその中に氏族をつくったのです。カインより優秀な基盤をつくり、カインを消化しようとする運動をしたのです。その努力する姿を見て、ヤコブを神様が祝福してくれたのです。お金も多く、羊も多く、すべてのものが豊かに恵まれていたのです。ヤコブは母方の叔父や両親との因縁を大切に思い、それで、故郷ははるか遠い地にあったのですが絶えず贈り物をして、家族とのつながりを保ち続けていました。分かりますか? (はい)。そうしているうちに、エサウが考えるのです。“弟がいない、ハランに逃げたのだ。長子の嗣業を売った私が悪かったのだ。そうだ、私が悪かったのだから、私のほうから先に弟に会いに行かなくてはならない”。そして、「もう今は反対しない」と言って歓迎してくるのです。エサウも自分の過ちに気がつくようになるというのです。
こうして二十一年後、故郷に戻る時にヤコブは最上の物を兄に捧げたのです。僕も動物も、そして財貨もです。それらの万物を僕たちに持たせて先に贈らせました。「このように、これらの物をすべて差し上げます」と言いながら。しかし一つだけ、長子の嗣業だけは手離さなかったのです。それは、長子の嗣業を返さなければ殺されることもあり得るのを知っての上です。そして、そのようなことがないように、すべてから解放される条件をつくるために、ヤコブは必死に二十一年間を働いたのです。その条件を供えれば、サタン世界を完全に越えることができるのです。それが何かといえば、財物です。何の話か分かりますか? (はい)。これが歩むべき伝統の道です。これが伝統なのです。この伝統の公式はどの時代にも通用するものです。
「怨讐を愛せよ」
先ほど説明した家庭基盤、氏族基盤、国家基盤、世界基盤にこの伝統を立てなくてはなりません。ヤコブは、イスラエルの氏族を中心にした国家編成までの伝統を立てたのです。ここにおいて民族交代をするのです。イスラエルの氏族が、エジプトに大移動しなければなりません。ヤコブの家庭基盤がそうなったためにエジプトに入るのです。エジプトという異邦の国に入って、受難の道を歩むことになるのです。
氏族から民族基盤をつくり、次にエジプトに向かって移動しましたが、エジプトの国は長子の国です。文化も長子の文化ですから、サタンの文化なのです。イスラエル民族は次子ですから、文化も次子の文化です。すなわちエジプト文化はカイン型文化であり、イスラエル文化はアベル型文化なのですが、エジプト圏内でイスラエル文化がつくられていくのです。分かりますか? エジプトで民族的試練を受けながら、国家的基盤を築かなくてはならないのです。
そうして四〇〇年の間、僕として過ごしたのです。それは迫害を受け続ける長い道程でした。その受難の中で信義のイスラエルの民族となり、また心情において天を愛することにより、彼らの前に、大いなる恵みが与えられることになりました。イスラエル民族を神様は祝福せざるを得なかったのです。
イスラエル民族は、エジプトの最下級以下の人たちと交流を深めており、高位の人ほどその間に隔りがありました。天の摂理圏にある、アベル圏の立場のイスラエル民族が親しくしたのは、社会からつまはじきにされた人たちでした。イスラエル民族を愛した下層のエジプトの家族たちです。しかし上流階級の人たちはイスラエル民族を蔑視したのです。そして、エジプトの地でイスラエル民族は次第に増えていったのです。
やがてエジプトの民は、このままではイスラエル民族のためにエジプトの民がいなくなり、エジプトの地がなくなるのではないかと恐れるようになり、国王は王権が奪われ、国中が侵害されてしまうと危惧したのです。国王が、「さては長子の嗣業を奪いに来たのか」と警戒するのです。これは公式なのです。
さあそこで、モーセがイエス様の仮の立場で現れ、カインがアベルを殺した歴史の、国家的基準を越えるのです。個人的犠牲を耐えなくてはならず、国家的犠牲を耐えなくてはならないのです。イスラエル民族は耐えること四〇〇年間、怨讐に対して耐え続けたのです。イエス様が言われた「怨讐を愛せよ」ということはここから生まれたのです。既成教会はこれを知りません。イエス様が何をもとにして、「怨讐を愛せよ」と言われたのかを知らないのです。ヤコブも怨讐であるエサウを愛したというのです。兄弟を愛するのも、神様を愛するのも、父母を愛するのも同じことなのです。そのように、神様を愛しているから兄さんを愛することができたのです。兄さんから見れば、自分がアベルの立場ですから、ヤコブがカインであり、ヤコブはまたイエス様の立場でもあったというのです。イエス様の兄弟なのです。この兄弟が一つにならなければ必ず神様の仕事が複雑になるのです。分かりますか?
イスラエル民族はこれを解決したのでしょうか、できなかったのでしょうか? エジプトで兄弟のような立場を、国家的次元でイスラエル民族が解決しているのでしょうか、いないのでしょうか? (解決しています)。そのように解決したのならば、エジプトでは他にすることがなく、イスラエル民族はエジプトでの受難期を終えてカナンに復帰したでしょう。しかし、カナン復帰してから何をしたのかというと、メシヤを待つ間に、もっと大きなカインであるローマ帝国の国家圏内に入っていったのです。ローマ、それは世界圏なのです。もし、カインであるエジプトを屈服させて、一つになっていたならば、ローマは問題ではありませんでした。ローマは問題外だったのです。
カナンに復帰してから、イスラエル民族に大勢の優れた頭脳をもった人々が生まれました。それは神様が祝福したからです。次第にイスラエル民族が繁栄していくので、ローマ帝国は恐れ始めました。ローマ帝国は、イスラエル民族にはメシヤ思想があるということを知るようになったのです。イスラエル民族はメシヤの名を呼び、「我々はローマの兄弟ではなく、神様が送った人の兄弟だ」と叫んでいました。
そして、イスラエル民族はローマ帝国から打たれたのです。メシヤを信じる人たち全員がです。そうすることでローマ復帰が始まるのです。一方、ローマ帝国でもイスラエル民族と親しむ人々が増えていき、イスラエル民族の勢力が広い範囲に及びました。その時期にイスラエル民族がカナンの人々と一つになって、メシヤを迎えたならば、メシヤとイスラエル民族が完全に一つになることができ、カナンにいる十二支派も完全に一つになれたのです。
そして次はどこに行くかというと、アラブ圏を通って、インドへ通じる道が用意されていたのです。当時、ヨーロッパはローマ強国に直轄されていました。アジアを中心に世界が一つになるためにはまず、アラブ圏内でイスラエル民族が一つになった条件を立てるべきであったのです。それができたならば、インドと中国はイスラエル民族を応援し、受け入れたはずなのです。インドと中国はローマ帝国に圧力をかけ、イスラエルの政治的基盤を強力にしたに違いないのです。イエス様が血を流したのはなぜでしょうか? 本来イエス様はこの地点を通過して中国に渡ったに違いありません。中国とインドは宗教圏であり、ローマは純然たる人本主義圏です。キリスト教は絶対にローマでなく、インドから中国に渡ったはずでした。東洋にキリスト教が伝わるという結論です。それを知らなくてはなりません。
しかし、イスラエル民族がメシヤに反対したために、どこに行ってもキリスト教信者たちは打たれて歩くようになったのです。追われつつ、より大きな怨讐のいる、より大きな国に入って、より大きな蕩減をしなくてはならなくなったのです。
イスラエル民族はローマの中に入ってしまいましたが、本来の神様の計画は、東洋にキリスト教を迎えることでした。しかし、イスラエル民族が反対したためにアラブ圏の道がふさがれてしまいました。そしてローマ帝国に逃げて行ったために、ローマ帝国を相手に勝利しなければならないのです。そうしなければ、追われていくだけなのです。この世界が許さないのです。民族が離れ離れになってしまうのです。信義の人、心情の人、理想の人になるか、否かにかかっているのです。イスラエル民族も一つにならなければ、カナン復帰はできないのです。一つになることによってこそ、下水溝の底のような位置からはい上がって、ローマ帝国に勝利することができるのです。
ついにそのような底辺から立ち上がった大衆運動が、ローマ帝国をしてキリスト教を受け入れさせ、全世界はローマの支配下に集まったのです。この勝利が、イエス様が死なずして勝ち得たものであれば、イエス様は天下を統一したはずでした。しかしイエス様の死によって得たものなので、キリスト教は霊的キリスト教文化圏としてのみ世界に広まったのです。
ローマの世界制覇は、教皇を中心とした自由世界のローマ統治時代の幕明けとなったはずでしたし、その時の王がアベルに屈伏したならば世界は統一されていたのです。国民が知ろうと知るまいと、アベルが王に向かって、「王よ、あなたは私の言うことを聞きなさい」と言い、王が、「はい。絶対に服従します」と答えたならば、この世のすべては平安に治っていたはずなのです。
本来、イエス様は死なないで、元老院と折衝すべきであったのです。しかし十字架のために、キリスト教は、ローマを経て英国に渡り、アメリカを回って中国に向かい、再びローマに戻っていくのです。アジアを通ってローマに戻るという逆の道をたどっていくようになるのです。
その過程で、霊的であるはずの教会が物質的な教会になり、西欧文明の外的なキリスト教になったのです。精神的文化のキリスト教がなぜ、実用主義の物質的なキリスト教になったのか、キリスト教自身も分からないでいるのです。キリスト教が物質的アメリカを導いていかなくてはならないのに、物質的アメリカがキリスト教を引っ張っているのです。逆になってしまったのです。これを逆転させなくてはならないのです。
アメリカの不信仰
アメリカにサタンが入ったのです。サタンとしては、キリスト教を滅ぼさなくてはならないのであり、家庭と倫理を滅ぼさなくてはならないのです。その的の中心は、二世の青年たちです。神様が入らなくてはならないのに、サタンが入って全部を堕落させています。若者たちは酒を飲み、ディスコ・ダンスに夢中です。二世たちは国がないと言い、宗教も必要ないと主張するのです。全く単純としか言いようがありません。父母を否定し、兄弟を否定し、家庭を否定し、国を否定し、宗教を否定しているのです。すべてが否定であり、ただあるのは自分一人の人生なのです。
愛についても、人が何と思おうと身勝手な愛に溺れているのです。サタンが若者たちに淫らな行いをさせるのです。日本女性を愛したあとで中国の女性も愛し、黒人の女性も愛して、十二種以上の女性たちを放蕩させているのです。サタンの所有物だからそうなるのです。自らを破滅させる者たちにはサタンがついているのです。
これらはみな、アメリカで起きていることです。アメリカの女性は、男性と簡単に結ばれているのです。これらの人たちは落伍者です。必要のない人たちです。今夜はどこへ行こうか、東に行こうか西に行こうかと考える、このふしだらな女たち。女が問題です。男よりも女が問題なのです。そのように女たちは、あのエジプトの時代も今も、村や町のあちらこちらで、時には路上で男の遊び相手となっているのです。アメリカの女性たち、どうですか、そうでないのですか?
これからアメリカの女性に何が起こると思いますか? 嫁にいきたくても、アメリカの女性はまず同じアメリカの男性から嫌われるようになります。嫁にいっても娼婦のような女たちです。パーティーなどと言って、家を回りながら、愛を売り歩く女たちです。そのように歩き回ったあとどうなるのでしょう。今に一人住いの女性のアパートが数十棟、ずらりと列をなして建つ日を、アメリカは目前に迎えているのです。このことゆえに世界中から打たれ、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と叫ばれ、追放される日が来るでしょう。これは、レバレンド・ムーンが作った話ではなく、神様が教えてくださったことです。アメリカはこのように不信仰に陥っています。カインがアベルを殺した不信の歴史は、殉教の形で受け継がれており、終末の最後の時まで天の人は卑しまれ、世界の果てまで及ぶということを知らなくてはなりません。
アメリカは韓国を犠牲にしようと陰謀をたくらみましたが、時を逸して失敗しています。どういうことかというと、この線がアメリカの行く道です(黒板で説明)。韓国を通過しなければなりません。このように、アメリカは韓国を切り離すことのできない運命にあるのです。加えて、キリスト教がアジアを通過しなくてはならないことを意味するのです。イエス様が死ななかったならば、アジアの東洋文化世界を中心にして、世界を指導し、その精神的基準はアジアにおいたはずでしたが、イエス様の死により、物質的世界が精神的世界を求めて行かなければならない立場に置かれてしまったのです。そのため、キリスト教文化は逆の道を回り、物質を根拠にしてきましたが、今度は物質世界の西欧から精神世界を捜して、世界を一周する役事をしなければならないのです。
レバレンド・ムーンの使命はアベル的歴史の収拾
現在アメリカは滅亡の危機に瀕しています。統一教会の我々は、このアメリカを救うために、韓半島を通過してこの地に集まってきて、二世たちに手術を施しているのです。
レバレンド・ムーンの使命は何でしょうか? それはアベル的歴史を収拾することだというのです。今日世界的に拡大した人類の数から見て、カイン・アベルの歴史も、二人の歴史ではなくなっています。それを一人の人が解決しなくてはならないのです。
家庭を中心にして見る時、家庭には必ずカイン・アベルがいて反対し合うのです。家庭的時代から氏族的時代に移ると、加重された十字架がカイン・アベルに負わされることになるのです。氏族的反対があってそれを越えると、より大きな民族的カイン・アベル圏に入り、国家的、世界的へと広がっていくのです。そのように役事をしなければならないのです。そして、今日の全世界的カイン圏は何かというと、天の前に一番近いキリスト教です。来られる主の前にはキリスト教がカイン圏なのです。ユダヤ教がイエス様の前にカイン圏であったことと同じ立場に立つのです。
ユダヤ教のすべての祭司長や祭司たちがイエス様に、「この世のすべてが、あなたのためのものですから、ユダヤ教もあなたのためのものです。すべての財産とこの身を捧げますので、どうぞ指導してください」と言ったならば、「分かりました」と言うイエス様の一言で、アベル圏ユダヤ教としての大きな恵みを受けることができたのです。そうすれば、ユダヤ版図を中心にして、ユダヤの国王と一つになることができたのです。
そこで国王が、「私はあなたの絶対カイン圏として服従します」と誓ったなら、国家的アベル世界が広がったのです。次は、もっと大きな国ローマを、そしてインドや中国を屈服させれば、世界的版図の世界統一が成就したのです。その日に、世界は完全に一つになれたのです。
英国が世界的な支配力をもった時代には、アジアもインドもその支配下にありました。国土を擬人化した場合、半島は息子であり、島はお母さんです。それを知らなくてはなりません。キリスト教はどの道を通ったかといえば、ローマの国を中心にして、ヨーロッパを過ぎ、英国を経て、次は大陸に、お父さんである大陸に行くのです。そのようにしてアメリカ大陸に入ったのです。
アメリカは男性です。そして天の側の女性の国家は島国です。ですから、島国の日本を通過してアジアを回らなくてはなりません。島の次は半島です。半島は息子です。韓国は息子です。必ず、日本から韓国への過程を通らなくてはならないのです。物質的なものが、精神的な世界に入っていくのです。アメリカも、日本についていくようになるのです。
最近は一つになる道しかないのです。韓国の統一教会もキリスト教と一つになるならば、アメリカとも自然に一つになれるのです。世界を代表した立場でアメリカの宣教師がみな韓国に入っているではないですか。
二〇〇〇年間、繁栄し発展してきたキリスト教は、約二十年前に力を失ってしまいました。罪のない統一教会に反対したからです。我々統一教会は底辺の位置にありましたが、今やはい上がって世界的キリスト教に勝利したのです。全世界のキリスト教が、レバレンド・ムーンをどうすることもできないのです。統一教会をどうすることもできないのです。
ヤコブは七年で終わらせることを、二十一年かかりました。キリスト教が七年の間で統一教会と一つになったならば、七年以内に世界的統一をして余りあったのですが、その責任を果たせなかったのです。統一教会は、一週間以内で思想を変えることができます。たったの七時間で思想が変わることもあります。皆さんがそうであったからです。それは本当ですか? (はい)。皆さんがそうであるのに統一教会に反対し、レバレンド・ムーンを踏みにじり、「レバレンド・ムーンはブレーン・ウォッシュをして、搾取した」と悪口を言った世界中のキリスト教も、七時間でその思想を変えることができるのです。七時間です。そういうことを可能にしたレバレンド・ムーンが罪人になるとしたら、悪いことで罪人になるのでしょうか、良いことで罪人になるのでしょうか? (良いことでです)。
それでは、レバレンド・ムーンが個人的カイン・アベルの蕩減復帰を瞬間的に果たし、家庭的カイン・アベルの蕩減復帰も瞬間的に果たせるならば、すべてのカイン・アベルの蕩減復帰も瞬間に終えることができ、キリスト教会の世界的版図も瞬間的に乗り越えることができるのです。
その機会は、私がアイゼンハワー大統領に会った時にあったのです。そのころは韓国動乱が起きていた最中でした。アイゼンハワー大統領が私の考えを受け入れたならば、キリスト教が反対したものを蕩減復帰できたのです。私は間違いを指摘してあげましたが、彼のアジア政策はことごとく反対に回っていったのです。何の話か分かりますか? 彼はキリスト教が反対したことを蕩減復帰しなくてはならなかったのです。ですから、世界史的カイン圏の蕩減条件を立てなくてはなりません。それで七年の間にアメリカで、世界中の動きを正す運動を展開することになったのです。そのような目的で私はアメリカに来たのです。
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