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薬で血圧を下げても脳卒中になる人も… エビデンスの「正しい見方」って?和田秀樹・和田秀樹こころと体のクリニック院長
2023年12月16日
現在、世界的にトレンドとなっている医療の方法論にEBMというものがある。
EBMとは、「Evidence-Based Medicine」の頭文字をとったもので、「(科学的)根拠に基づいた医療」と訳されることが多い。
科学的根拠というのはどういうものかというと、たとえば血圧や血糖値、コレステロール値などを薬で下げるのであれば、効果があったという確かな根拠が必要だということだ。
アメリカにおける有名な研究結果では、平均の最高血圧170mmHg、平均年齢72歳の人たちを、血圧を下げる薬を飲む群と偽薬を飲む群にわけて5年間のフォローアップを行い、5年間の脳卒中発症率を比べたところ、薬を飲んだ群では5.2%、飲まない群では8.2%だった。(JAMA, 1991;265(24):3255-3264)
これによって、血圧を下げると脳卒中の発症率を36%下げることがわかる。
つまり、ちゃんとしたエビデンス(根拠)があるということになる。
日本人のエビデンスは?
さて、この調査には4736人が参加しているが、日本では、血圧や血糖値などを下げる薬について、この手の飲んでいる人と飲まない人を長期間フォローアップした大規模比較調査は、ほとんどない。
日本人の体質や食生活が海外と違うので、私は海外のエビデンスが日本人にそのまま当てはまるとは考えていない。実際、海外で効くとされる薬でも日本人に本当に効くかわからないし、日本人にどんな副作用が出るかわからないという理由で、薬の認可の際には、日本人対象の治験が義務付けられている。
ということで、日本では「血圧は下げるが脳卒中を減らすエビデンスがない薬」や「血糖値は下げるが死亡率を下げるエビデンスのない薬」や「コレステロール値は下げるが心筋梗塞(こうそく)を減らすエビデンスのない薬」を当たり前のように飲まされているのだ。
ついでにいうと、3種類以上の薬を飲んで、それが飲まない人と比べてどのように体にいいのか、悪いのかのエビデンスは、世界中どこを探してもない。
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アメリカの場合、エビデンスのない薬については、保険会社が金を出してくれないから、いろいろな薬にこの手のエビデンスがあるのだが、日本の場合は、健康保険(健保)組合も国民健康保険(国保)組合も検査数値が正常になったり、正常に近づけば、先々の結果に関係なくお金がでるので、エビデンスを求める研究はほとんど行われないし、多剤併用も平気で行われる。
血圧が高ければ、血圧を下げる薬を半ば強制的に飲めと言われるが、本当に先々自分のためになるかどうかわからないのに飲まされているのが日本人の現状なのだ。
そういう意味では、日本でもこの手のエビデンスをしっかり求めるべきだし、健保組合や国保組合もエビデンスを出さないとお金を出さないというくらい強い態度をとってほしい。
そうすれば大幅に薬剤費が減るだろうし、それによって給料から引かれる健康保険料も下げられるはずだ。
「個人差が無視される」
さて、私が日本の薬にエビデンスがないことを批判すると、私がエビデンス万能論者のように思われることが多いようだ。
いっぽうで、EBMを勧めながら、いっぽうでエビデンスのないサプリや心臓ドック、脳ドックを勧めていることへの、医師などからの批判も多い。
心臓ドックや脳ドックにエビデンスがないのは、そこで冠動脈の狭窄(きょうさく)や脳動脈瘤(りゅう)が見つかった際、そこにステントやコイルを入れる術者の腕の個人差が大きいためだと私は考えている。だから検査して、その手のものが見つかった際は、真剣に腕のいい医者や施設を見つけることが大切で、それが見つかれば突然死を避けられるというメリットがあると言いたいのだ。
この意味では、心臓ドックや脳ドックを勧めるのは、名医とセットであることをきちんと説明しなかったのはまずかったとは反省する。
サプリについては、エビデンスはないが、個人差はあると信じている。
飲んでいて調子がよければ続けたらいいし、そうでないならやめればいいというスタンスだ。
要するにエビデンスのない治療がいけないというのでなく、個人差があるので、自らの長年の臨床経験や、その人の体質(長年診ている人のほうがつかみやすいが)などを考慮しながら、その人にとっていいと思われる治療や医療上のアドバイスは行うというスタンスなのだ。
実際、EBMの限界は個人差が無視されるということである。
前述の例でいくと、確かに脳卒中の発症率を8.2%から5.2%に下げるなら明らかにエビデンスがある。
しかしながら、別の見方をすれば薬を飲んでいても5.2%の人が脳卒中になってしまうのも事実だ。薬によって、いろいろな疾患になる確率を下げることはできても、ゼロにすることはできない。個人の体質によっては薬で血圧などのデータを正常にしても、脳卒中になる人はなってしまう。
もう一つ、別の見方をすると、血圧が170mmHgの人であっても、少なくとも5年放っておいても91.8%の人が脳卒中になっていない。
要するに、エビデンスがあるからこの薬を飲みなさいという話をする際に、薬を飲んでいたら脳卒中にならないというのもうそになるし、飲まなければ脳卒中になると脅すのはもっとうそになるということだ。
正直にいうなら「あなたは血圧が高いから、薬は飲んだほうがいい。すると5年間の脳卒中になる確率は36%下げることができます。ただ、飲んでいても5.2%は5年以内に脳卒中になるし、飲まなくても91.8%はなりません。それを考えた上で、薬を飲むかどうかを決めてください」ということだ。
人によってはいいケースも
エビデンスがもう一つあてにならないと考えるのは、身体に確率論としては悪いものが、人によってはいい働きをする可能性があることだ。
たとえば、教育心理学の実験で、ほめて育てると成績が上がる子が70%、叱ったほうが成績が上がる子が30%いたとすれば、エビデンスとしてはほめたほうがいいということになる。
しかしながら、エビデンスにしたがってほめて育てていたらちっとも成績が上がらず、逆に増長する傾向があったとしたら、親としてはどうすべきだろうか? 普通に考えたら、うちの子は例外の方に入るのだから、叱ってみようということにならないだろうか?
それを医学に当てはめると血圧を下げることが絶対の正義とは限らない。
血圧を下げなくても9割の人が脳卒中にならないとすれば、その中には血圧が高めのほうが元気で、頭もシャキッとして長生きできる人もいるはずだ。実際、私自身もそうだが、血圧を下げると頭がぼんやりとして体がだるくなる人は確実にいる。低血圧の人が頭がシャキッとしなかったり、体がだるいということが多いのだから、人工的に低血圧状態を作るとそういうことになり得るのだ。
また、血圧の薬に限らず、薬には必ず一定の割合で副作用が出るので、それによって寿命を縮める人もいるだろう。
つまり、血圧の薬を飲むことによってメリットを得る人が多数派であったとしても、デメリットのほうが大きい人は必ずいるということになる。少なくとも全員がメリットの方が大きいとは言えないのは間違いない。
血圧の薬を飲んでから体調が悪いという人は、ほめて育てたらかえって成績が下がったという子どもと同じく、少数派に入っている可能性が高い。
エビデンスというのは、あくまでもある種の病気になる確率を下げたり、死亡率という確率を下げるものであって、全員について当てはまるものでない以上、個人差についてはカバーできない。
AI時代に求められる医師とは
人工知能(AI)の時代になれば、どんな病気でもエビデンスのある治療を(エビデンスがあればの話だが)AIが選んでくれる。
しかし、これからの時代は、経験則による医者の勘のようなものでそれに当てはまらない人を見分ける医者が、AIに勝てる名医と言われるかもしれない。
AIが選んだ治療でかえって調子が悪くなった人に、思い切って薬をやめてみたらと言えたり、では生活のほうを変えてみましょうとか言える医者ということだ。
もう一つは、ほとんどのエビデンスが、一般人口に対するもので、高齢者に当てはまるかどうかは、調べられていることが極めて少ないし、とくに日本ではそうだということだ。
私が浴風会という老人ホームを併設する高齢者専門の総合病院に長年勤務していた際に、ホームの入居者に対する長期のフォローアップの比較調査がいくつか行われた。
すると、血糖値については、糖尿病群と境界群と正常群で、生存曲線はまったく変わらなかった。そのため、浴風会では高齢者については血糖値を無理に下げる必要がないと論じられていた。
それどころか、喫煙者と非喫煙者の生存曲線を比較すると、まったく変わらなかった。
この論文の考察のところには、喫煙によって有害事象や死に至る病気になる人はホームに入居する前に亡くなっているのだろうとされていた。たばこを吸っていて70歳くらいまで生き延びた人はやめる必要がないということだ。
これらは小規模なデータなのだが、日本でも高齢者について大規模比較調査を行えば意外な結果が出るかもしれない。
それによって、薬の量を減らせるかもしれないし、無理な、そして高齢者の残りの人生にとって楽しくない(塩分を控えろとか甘いものを控えろとか酒を控えろといった類の)生活指導もしなくて済むようになるかもしれない。
つい先日も、80過ぎて血圧がかなり高いことがわかって下げろと言われたが、老い先短いので、塩分も控えず薬を飲まなかった人が100まで元気だったという話を聞いた。100歳を過ぎてたばこをスパスパという人の話は枚挙にいとまがない。
もちろん、医療の指針として、エビデンスは必要だし、高齢者のエビデンスがあれば、もっと安心して治療ができると思うが、一方でそれには限界があるし、個人差もある。また、エビデンスどおりの治療をすると体調が悪いとか、好きなものを禁じられたりすれば生活の質(QOL)にも影響するとか、それを考えて治療をするのがAI時代の医者の仕事だと思えてならない。
そのうちゲノム(遺伝子を含む遺伝情報の全体)が十分に解析されるようになれば、「この人はたばこを吸っていてもがんにならない」「この人は血圧を下げないと脳卒中になる」というようなことが個人レベルでわかるようになることだろう。
それまではエビデンスを参考にしながら、自分の身体にあった治療を選ぶしかない。
あくまでもEBMはそれまでのつなぎの医療のように私には思えてならない。
写真はゲッティ
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わだ・ひでき 1960年大阪府大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒。同大学医学部付属病院精神神経科、老人科、神経内科で研修したと、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデントを経て、当時、日本に三つしかなかった高齢者専門の総合病院「浴風会病院」で精神科医として勤務した。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻教授を経て現職。一橋大学・東京医科歯科大学で20年以上にわたって医療経済学の非常勤講師も務めている。また、東日本大震災以降、原発の廃炉作業を行う職員のメンタルヘルスのボランティアと産業医を現在も続けている。主な著書に「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)、「80歳の壁」「70歳の正解」(いずれも幻冬舎新書)、「『がまん』するから老化する」「老いの品格」(いずれもPHP新書)、「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」(マガジンハウス新書)などがある。和田秀樹こころと体のクリニックウェブサイト、有料メルマガ<和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」>