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地球儀を回すと日本の裏側にあたるのが南米だが、その中でブラジルに次ぐ大国がアルゼンチンである。日本では「タンゴの国」として知られるが、石油や天然ガスなどの資源に恵まれた経済大国で、教育水準も高い。
そのアルゼンチンで「聖母」と慕われ、民衆の熱烈な支持を受けたのがマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンである。エビータの愛称で親しまれたファーストレディーの波乱の生涯はミュージカルや映画のモチーフになり、今なお同国では伝説になっているという。熱狂の背景には、若くして病に倒れたことも色濃くあるかもしれない。
日本にも向けられた慈愛行為
エビータことエバは1919年、アルゼンチンの田舎で裕福な農場を経営していたフアン・ドゥアルテと愛人フアナ・イバルグレンとの間に私生児として生まれた。フアンは妻子と別居しながら養育費を送っていたが、エバが7歳の時に急死。生活は一変し、母親は新たなパトロンを見つけて、居酒屋と売春宿を経営するようになる。
これを嫌ったエバは15歳で家出をし、南米随一の大都市ブエノスアイレスに向かう。女優を志願し、場末の劇場で端役を演じるものの演技の評価は低く、美貌は加味されなかった。他方、天性の声の良さからラジオドラマの主役に抜てきされ、一躍人気者となる。
1944年ごろ、副大統領であったフアン・ドミンゴ・ペロン大佐を紹介されると、親子ほどの年齢差をものともせず、たちまち熱烈な恋に落ちる。40代後半のペロン大佐は5年ほど前に妻を亡くしていた。
=ゲッティ
ムソリーニのファシスト党を理想とするペロン大佐は次々に無能な大統領たちを表に立たせ、自らは副大統領兼陸軍大臣として政治の実権を握る。46年にはついに総選挙で過半数を制して大統領に就任した。エバとは大統領選に先立ち正式に結婚していたため、彼女は晴れてアルゼンチンのファーストレディーになった。
ペロン大統領が、穀物や牛肉輸出で得ていた富を元手に鉄道の国有化や労働者の賃上げに踏み切る一方で、エバは、かつて貧しく無教養だった自分を排除した上流階級の「慈善」を憎悪し、自ら財団を設立して、国家予算から労働者や高齢者、孤児などに大盤振る舞いをする。そのまなざしは国境を越え、日本にも食料品や衣料品などの救援物資を送るほどであった。さらに教育コンプレックスもあったエバは、初等教育の無償化や女性の参政権確立を後押しした。
しかし、熱烈な支持を得て、順風満帆に見える一方で、病魔がしのび寄っていた。50年1月に虫垂炎の手術を受けるも貧血が改善せず、8月には子宮頸(けい)がんが発見される。11月には米国のメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターからジョージ・パック博士を招いて手術を受けた。手術自体は成功したが、翌年に再発し、52年7月26日、この世を去る。
=ゲッティ
33歳という若さの死を悼み、数十万人もの国民が葬儀に参列したが、ペロン大統領の人気は急落し、55年には職を追われてパラグアイ経由でスペインに亡命。73年に78歳の高齢で再び大統領に復帰するも、翌年に心臓発作で死去した。
アルゼンチン初のがん化学療法
現在でこそ子宮頸がんは、子宮頸部の細胞診検査(PAPスメア)や拡大鏡を使った精密検査(コルポスコピー)で早期診断が可能な疾患になったが、エバが亡くなる少し前の40年代後半では、子宮頸部にがんが限局するステージ1以前に見つかる患者は30%以下で、大部分は膣(ちつ)の上方や子宮周囲の組織にまでがんが浸潤しているステージ2以上であった。ギリシャの医師ゲオルギオス・エコラオス・パパ二コロウによる細胞診診断法は28年に発表され、欧米では広く診療に用いられていたが、アルゼンチンに普及したのは50年代以降のことである。
=ゲッティ
また、エバが受けた手術は当時としては最善の治療であったが、術後管理や補助治療は今日の比ではない。再発時にパック博士は局所病巣の切除を試みるが、ほどなく多数の肺転移が見つかる。最後の望みは抗がん剤を用いた化学療法であったが、当時手に入る抗がん剤は毒ガスから開発されたナイトロジェンマスタードしかなかった。エバはアルゼンチンで、がん化学療法を受けた最初の患者となったが、明らかな効果は見られなかった。
さらに気の毒なことに、エバ本人には最後まで病名が告げられず、政務や愛人との逢瀬(おうせ)に忙しいペロン大統領が見舞いにも来ない中、孤独のうちに病と向き合わねばならなかったのだ。
HPVワクチンの副反応報道がもたらしたもの
子宮頸がんが性交によって感染する可能性は古くから指摘されていたが、明らかになったのは1980年代に入ってからである。分子生物学的手法の発展により、ヒトパピローマウイルス(HPV)が子宮頸がんや前がん病変のほとんどすべてから検出されることが判明したのだ。
=ゲッティ
加えてHPVに有効なワクチンが開発され、初交前に接種することで、発がんをほぼ完全に予防できることから、世界的に子宮頸がん患者は激減している。しかしながらわが国では、2013年の定期接種化直後から、多くのマスコミが副反応問題を報道したため、厚生労働省は接種勧奨を中止した。
その後、各国で接種の効果が報告されたことなどを受け、22年には積極的接種勧奨が再開されるも、被接種者は回復していない。この間に子宮頸がんで命を落とした女性や、子宮の切除によって妊娠能力を失った女性が多数存在することから、我々産婦人科医と感染症科医は、マスコミに科学的検証を基にした報道を強くお願いしてきた。その結果、昨今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐっては、一部週刊誌やSNSに見られるようなセンセーショナルな反ワクチン報道が大手の新聞では影を潜めたことは、大変にありがたい。
男性にも接種勧奨する理由
あまり知られていないが、現行の4価と9価のHPVワクチンでは、子宮頸部の悪性新生物だけでなく、尖圭(せんけい)コンジローマの発生も抑えることができる。コンジローマ自体は良性で、女性の命を脅かすことはないが、これに感染した母体から出生した赤ちゃんが再発性喉頭乳頭腫という喉のおできで窒息し、気管切開が必要になったり、最悪の場合、死に至ったりすることがある。
さらに諸外国で男児にも接種を勧めるようになったのは、男性においても陰茎や肛門、口腔(こうくう)、咽頭(いんとう)、喉頭などのがんを減らすことが明らかになってきた背景がある。人のあらゆるがんの20~30%はHPVが関与するとの報告もあり、今後、世界的にHPV関連がんは減少してゆくと期待されているだけに、日本も取り残されないようにしたいものである。
さて、HPVワクチンが開発される前の年代や、不幸にして接種のチャンスを逸した人はどうしたらよいか。基本的に無症状でも、定期的にがん検診を受け続けるしかないし、現在HPVに潜伏感染している人にも有効なワクチンが開発段階にある。
もう一つは禁煙である。喫煙がHPV発がんの危険因子なので、もし検査でHPV陽性が出た場合、すぐにも禁煙をお願いしたい。
子宮頸がん患者への偏見
もしエバが現代に生きていたなら、早期発見も予防も十分に可能であったと思う。アルゼンチンでは日和見大統領として人気凋落(ちょうらく)した夫とは対照的に、聖女のようにたたえられたエバは映画やミュージカルの題材にもなった。
劇団四季のミュージカル「エビータ」主役の久野綾希子さん=東京都千代田区有楽町の日生劇場で1982年5月撮影
しかし、一方では「淫らな娼婦(しょうふ)」という悪口も絶えず、根拠の一つになったのが、彼女の子宮頸がんであった。近年では、1度でも性交経験のある女性の大半が、生涯のうちに1度は子宮頸部にHPV感染を受けることが分かっているから、エバへの批判は偏見の類いである。HPV感染を受けても、多くの場合は数年のうちに免疫が成立して排除されるが、エバの場合は感染が持続したのだろう。
しかも、ペロン大統領の最初の妻アウレリアも36歳で子宮頸がんにより命を落としたことを考えると、若いころから女性関係が華やかだった大統領こそ感染源であった可能性は否定できない。エバの伝記を読むと、ヨーロッパから宝石やブランドの洋服、毛皮を取り寄せるという浪費癖や無教養を隠すための虚栄心が見え隠れするが、貧しい人々への教育と福祉の普及に最大の努力をしたという点については誰も異議はないであろう。
21年には10%を超えた経済成長率が23年にマイナスに転じても、再び5%に回復するなど変動の著しいアルゼンチンでも国際的信用がある程度、維持されている背景には、南米最高の教育水準と、ラテン文化の国ながら比較的、勤勉な国民性があると思われる。その意味では、今もエビータの功績は受け継がれ、息づいていると言えるのではないだろうか。
<参考文献>
・Lerner BH.The illness and death of Eva Perón: cancer, politics, and secrecy.Lancet. 2000 Jun 3;355(9219):1988-91.
・Johnston C. Galloping rumours, beautiful dictators: Eva Perón and the London, Ont., cancer clinic. CMAJ. 1990 Feb 15;142(4):388-9.
・錫谷達夫・松本哲哉編集「標準微生物学」第15版(医学書院)
・日本産科婦人科学会「子宮頸がんとHPVワクチンに関する正しい理解のために」
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早川智
日本大総合科学研究所教授
はやかわ・さとし 1983年日本大医学部卒。同大産婦人科講師、感染制御科学部門助教授、病態病理学系微生物学分野教授などを経て現職。日本産婦人科感染症学会理事長。著書に「戦国武将を診る」「ミューズの病跡学」ほか。