真の愛の復活体は燃えない
2010年5月3日(月) 韓国京畿道加平郡 天正宮
これを読もう!整理したのを聞いてみなさい。(‘アベルUNの定着と天一国の完成は韓国’と言う題目の講演文を訓読を始める。
『・・・・・・今日ここのその46人の写真とアイチで殉職したUN平和奉仕隊員たちの写真を共に陳列しておきました。我々は共に彼らの冥福を祈ってあげます。』
真の愛の復活体は燃えない
アイチの大地震の惨事で殉職した100余人の写真をここに添付して入れておかなければなりません。写真たちを入れておく。どのようなことがあってもそれをして事実と知らなければなりません。世界的な事件たちを中心にこの時がそのような時です。3か月以内にすべてのことがすべて連結されているのだ。これを見れば実に驚くべき事実です。天がそのような時をつくって我々の時と合わせてしたために偶然の一致ではありません。
家庭的に一致された内容だと明らかにするためには両大事件を神様の摂理と先生が終結づける昇華式から抜くことができません。重要な事件であるためにそうです。誰でも人間としてそのような惨事の運命を経ずして限命通り生きたとしても昇華の家庭を経なければなりません。
誰であれ経なければならない公式的な峠を越えるのにおいて犠牲になったその人たちを記憶すると同時にどのようにしなければならないのか?それが悪いことではありません。万民が祝賀できるし、万世の歴史に記念できるそのような峠を越える最後の歓送時間において残っている地球星の人たちと霊界に行っている数千億の祝福された真の父母の後孫たちが共にこのことを祝賀しなければなりません。そのような重要なことたらざるを得ないために祝福するのです。
それではこれがこの時代のひと時のことでなく昇華祝祭と言うのです。どこの誰でも真の父母が経て行った峠を越えて同じ祝祭の昇華式をすることによって同じ世界の主人であられた創造主、夜と昼の創造主である神様とともに我々が永存できます。真の愛の復活体は燃えません。今までこの地の上に存在したすべてのことはすべて燃えるが、真の愛で結実された昇華体は数億万度の場に行っても燃えないのです。
そのために神様の本体を中心にエデンにおいてアダムエバが脱いで生きたことと同様に燃えるその場に行って永遠に生きるのです。すべての創造された物は黒い煙と白い煙そして金の煙を漂わせてなくなるが、真の愛を燃やすことはありません。真の愛は永存する生命の根源であり、生死の中で必勝の安息基地として残ります。そこで燃えず永生の行路を守る主人と息子娘が存続するのです。
この宇宙が天地創造の神様に侍る福祉天国に我々の本郷の地たらざるをえません、アージュ!億万歳讃美します。こうでなければなりません。燃える物はなくなります。燃えることができるのは黒い雲が出て来なければならないし、白い雲が出て来なければならないし、その次に金の雲が出て来なければならない。金は見えないが冷たい世界に上がればどのようになる?
熱いものと冷たいものが合うようになれば爆発が繰り広げられ、そこで水が生じます。水が生じてその水を中心に植物が生じ、空気が生じます。空気が生じることができる太陽の光から根源になって永遠に太陽が燃えないことと同様に万物と人間も燃えません。そこで燃えない世界の主人とその家庭の族属たらざるをえません。そのような所が我々の本郷の地であり永遠な理想天国たらざるを得ない、アージュ!
文総裁が塞がる話をしない
文総裁は塞がる話をしません。順理の上で話すので順理に合うために解放も自動的になされます。じーっとしていてもなります。統一教徒たちが出て伝道する必要がありません。これが『平和神経』であるが目に見えない神様の文章です。見える神様の文章ではない。見えるものが同じだがこれを知りません。いくら学んだところでここにあるのは見える目をもっては知らないようになっています。97%までそうだし、わかるのは3%以外にありません。
その3%を中心に心の袋を育てて100%になってこそ完全に神様のように燃えない永遠な主人の場に行くのです。警戒線を下上に行き来できる能力がない人間たちであるが、私がそれをすべて教えて上げます。文総裁は霊界に行っても瞬く間に戻って来ることができます。見る目を持っても見ることができ、見ない目を持っても見ることができます。警戒線がどこにあるのかを自分たちは知らないが、私は警戒線を越えて来たり行ったりするが、見ることができないのでどのようになるのか?見えないのでわかりません。
そのように種子が異なるために改種しなければなりません。イエスの所にニコデモが来て、‘天国に行こうとすればどのようにしなければなりませんか?’と言う時、‘重生しなければだめだ。’と言いました。‘重生、お母さんのお腹の中にどのように入って再び出ることができますか?’と言う時‘あんたがユダヤ人の先生になって、救いとか天国とか何とか論議する先生になってそれも知らないのか?’と言ったのです。
統一教会にプラスになりうるように残しておいて、残ることができるようにして感謝しながら生きなければならないのだが、統一教会から奪っていって生きると言う人は盗人です。私のものでないものを私のものとして消化することが盗人だ。また私のものでないが、その物を中心に私が来たり行ったりしながら利用して食べてその元金と利子を返すことを知りません。元金と利子を返さなければならないが取って食べては永生がありません。商売をする人と同様の公式で運営をかけていることを知らない輩たちです。
夜中になったのが昼になって生きると言って、昼になったのが夜中になって生きると言います。人間は本心があるためにその本心の言葉を聞けば目を閉じて‘合います。’と言う。目を閉じて、耳も塞いで、鼻も塞ぎ、口も塞いで、手も身動きができずこうなのです。カリスマ的な力があっててもだめで身動きできないように作ります。
文総裁はカリスマ的な気運が濃厚です。じーっとしている所もその前に行くようになれば、私の体心がわなわなと震える。じーっと座る時、手がだめだったとすれば踊るがこのようにだけ踊りません。このように踊りを踊っています。女たちが文総裁の前にバタバタとひっくり返って倒れれば、そこに浮かされてふらふらしません。
世の中に女と言う女は文先生を自分の愛の力をもって消化して思い通りすると言ったが、そのようにできる文先生としてつくれませんでした。サタンも作れなかったし、神様も作れなかった。神様もそうして私に屈服しました。だから私が神様を解放するのです。神様が‘‘私を解放できる方は文総裁以外にいない。”と言います。何故そうか?神様をこのようにつくったその風呂敷包みを全部作り直せるので解放できます。
先生は女たちがすることたちの中でできないことがありません。編み物もよくし、針仕事もよくします。6親等の文昇龍(ムン・スンニョン)と文成均(ムン・ソンギュン)兄弟は今も針仕事で儲けて食べることができます。私が模範とするがモデルのような人です。洋服も作ろうとすればモデルがいるが、そのモデルの模範の形態を私が持っています。見ればわかる。このようにこのようになったと言うのです。
監獄で針もなく服地もなかったが風呂敷一つをもってどのようにしたのか?針は私が手の才幹があるので研いで作ることができました。何で作ったのか?ガラスで作りました。ガラスが鎖も切ることがわかるか?ガラスをぴたりとして置いて力を入れるなと言うのだ。熱を受けないようにごしごしすれば切れます。鋼鉄を切る。これでそうして傷ついた歯で生きていました。
何であれ手を出して私が改造します。できないことがありません。二性式空気銃も私が修理して売りました。散弾空気銃を文成均が作ったのでなく文総裁がつくったことがわかるか?バルブをひっくり返して作ったのは文成均でな文総裁でした。散弾空気銃が強いです。そこに鋼線を打つのに従って異なります。