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天は韓国を呼んでいる
日付:一九九〇年七月六日
場所:韓国、ソウル、ヒルトンホテル
行事:対ソ、韓日経済使節団派遣説明会
今夜、私の招請でこの場に参加されました韓国の経済界の指導者の皆様。この場をお借りして、私が生涯を捧げて神様のみ旨を地上に具現するために尽力してきた内容とその目的について、お話しできることを喜ばしく思います。大変動が予想される今日の韓半島を中心とした世界の経済界が、今後どのように発展しなければならないかということについて、平素、私が抱いてきた根本的な考えの一端を披瀝したいと思います。
「天は韓国を呼んでいる」という題目でお話をさせていただきます。祖国の繁栄と統一のため、また人類と世界の福祉のために御苦労される皆様のお役に立つことがあれば幸いです。
人類は歴史を通し、「真」の根源を探し求めてきました。神様の存在の有無に対する問題もまだ解決できていません。哲学は、歴史を通して神様を探し出そうとしましたが失敗し、宗教の教祖である聖人たちは、神様のような基準で生活をしながら人類を教え導きましたが、現在の世界を見ると「神さえも死んだ」と言われる終末となってしまいました。
歴史的に重要な問題も神様に対する解決であり、人類の重要な問題も神様に対する解決なのです。神様をはっきりと知るようになれば、すべての問題が解決し、解放されるのです。人間に対する問題、万物に対する問題、世界と宇宙に対する問題なども、自ずと明らかになるのです。
そこで私は、神様を発見しようと千辛万苦の努力の末に、神様が存在することをはっきりと知るようになりました。その神様は、永遠、不変、唯一の方です。その方はまた、絶対的存在なので、その方を通してのみ、絶対的価値を見いだすことができるのです。
それでは、神様にとって絶対に必要な絶対的存在は果たして何でしょうか。物質、知識、権力でしょうか。それらは、願いさえすればいつでも創造できるものであり、神様御自身が自由に調節できるものです。しかし、真の愛だけは神様も自由にできません。
すなわち、真の愛は、相対圏を通してのみ探し出すことができ、顕現し、成立するものなので、一人ではその刺激を感じることができないのです。相対的創造世界が必要なのです。したがって、神様が被造世界を創造されたのは、真の愛の理想のためです。
被造世界の構造を観察してみると、鉱物世界、植物世界、動物世界は愛を中心として相応できるように、すべてペアシステムになっており、レベルによって低いレベルは高いレベルに吸収されるように創造されています。そして、結局は被造世界最高の存在である、神様の対象格である人間に到達するようになっているのです。
人間だけが神様の真の愛の相対となるように造られたというのです。それで人間について、「万物之衆唯人最貴(万物の中で人が最も貴い)」と言ったのです。その言葉は、理にかなった言葉です。人間がいなければ神様の真の愛も成立させることができません。絶対的な神様も、絶対的真の愛の前には絶対的に服従したいと思うのです。これは貴い言葉です。この言葉が成立しなければ、神様に喜怒哀楽という概念は見いだすことができないのです。神様はこのように最高の価値の位置に真の愛を立てておかれました。神様は、御自身が先に絶対服従して、初めて「人間と万物もその真の愛に絶対服従しなければならない」という命令ができるのです。
それでは、神様の真の愛の相対である人間をどれほど貴くお造りになったかを見てみましょう。若い男性と女性が結婚するとき、相手が自分よりも素晴らしく立派であってほしいと願わない人がいるでしょうか。また、子女をもった親なら、自分の子が自分よりも劣った人になることを願う人がいるでしょうか。絶対にいません。そのような心はどこから来たのでしょうか。すべて神様に由来しているのです。
それは言い換えれば、神様も、御自身の真の愛の対象である人間が、御自分よりも立派であることを願っておられるということになるのです。このように、人間の価値は神様の高貴な傑作です。皆様、そのようなことを考えたことがありますか。人間は神様の傑作なのです。
創造当時、神様は一〇〇パーセント、御自身を完全投入され、無限に投入されて忘れる、そのようなところで循環運動を始められることによって、永生の起源を備えてくださったのです。投入して、また投入するところから、循環運動が続くのです。ここで、永生の論理を見いだすことができます。真の愛は、このように与えても記憶しないところから始まるのです。真の愛とはいったい何かというとき、正にそうだというのです。すなわち、神様の創造理想は、ために生きる愛から始まり、ために生きては、またために生きる愛から真の愛が成立するのです。
宇宙創造の目的は、神様を縦的父母として侍り、堕落していない人類始祖を横的父母として、ために生きては、またために生きる真の愛の存在として、永遠の生命を存続させる真の愛の圏内でのみ成就されるのです。真の愛でのみ完全一体と統一が成立し、また相続権と同居権、同参権を得ることが可能になるのです。
それでこそ、人間にとっては神様の愛が私の愛となり、神様の生命が私の生命となり、神様の血統が私の血統となり、神様のみ旨が私のみ旨となるのです。すなわち、神様の理想が私の理想となり、私たちは永存される神様の子女として永生する理想家庭と理想世界を築くのです。
しかし、今日の世界を見ると神様が理想とされた本然の世界ではなく、罪悪が氾濫し、戦争の歴史を繰り返しながら、疾病と苦痛に満ちた地獄世界となってしまいました。人間を除いた自然界は何の罪もないのに、人間世界のために害を被っているという事実を考えるとき、人間世界が病んでいることは否定できません。
このように、病んで故障した人間世界のことを、宗教的には「堕落世界」と表現するのです。神様は、このような世界を原状に戻そうと救援摂理をされるようになったのです。救援摂理は復帰摂理です。救援摂理は再び帰る復帰の摂理です。それで、復帰摂理は再創造摂理だというのです。故障したので、元の青写真を中心として、再び制作しなければならないということです。すなわち、本然の世界で、ために生きる真の愛を中心として、永生の世界で利他主義を実現して生きるようになっている人間が、偽りの愛の中で死亡の世界に向かう、自分を中心とした堕落世界に転換されてしまったというのです。本然の世界の主人である神様と堕落した世界の主人であるサタンが対立するようになった理由も、闘争の歴史を経てくるようになった理由も、ここにあるのです。
また、人類歴史は善悪の闘争史です。共産党のいう唯物史観的闘争史ではありません。神様は、真の愛を中心とした真の父母、真の子女、真の家庭、真の国家、真の世界、そして真の宇宙を立てて、真の愛の理想で主管しようとされたのですが、サタンが偽りの愛を中心として、偽りの父母、偽りの子女、偽りの家庭、偽りの国家、偽りの世界、そして偽りの天宙を立てて主管してきたのです。
これを取り戻すために、人類歴史は善悪の闘争史として反復してきたのです。すなわち、個人から永遠の世界に至るまで、サタンは神様の原理的歴史発展に従いながら、原理的世界を真似て、真のものが来る前に、あたかも真のものであるかように振る舞い、先手を打って原理の世界を破壊しようとするので、善悪の闘争が不可避になるのです。
したがって、私たちが知らなければならないことは、神様が利他主義の立場に立って再創造摂理をされながら、ために生き、またために生きながら、打たれて取り戻してくる作戦を取られる反面、サタンは自分を中心とした立場に立って、先に打って損害賠償までする道を歩んできているのです。神様の作戦は打たれて取り戻してくる作戦であり、サタンは打って滅びるのです。このように善の側は、打たれ、迫害と犠牲を払いながら発展していくのですが、サタンはその反対なのです。
世界の戦争史を見てみましょう。第一次世界大戦もサタン側から先に打って滅び、第二次世界大戦も悪の側から先制攻撃をしましたが、かえって敗北してしまい、第三次世界大戦である思想戦でも、共産主義が民主主義を先に打ってきましたが、ソ連は滅びてしまったではないですか。このように、善の天の側は、迫害を受けながら発展してきました。したがって、迫害は、サタン側、あるいは怨讐側のものを相続させてくれる一つの方法になるのです。迫害されるのはただ苦痛を受けることではありません。迫害は、怨讐世界の所有権を相続する一つの手段なのです。
善の神様は先に打つことができません。神様は先に打つことができないので、打たれて取り戻してくるのです。このような神様の作戦法を通して見るとき、神様の側に立った善の主流は宗教にならざるを得ないのです。そのような主流宗教として歴史路程を通し、血を流しながら成長してきたのがユダヤ教でした。選民思想をもった民族だという理由で、追われ、追い込まれながら、犠牲の血を流し、その代わりに打たれる蕩減条件を立ててきたのです。
旧約時代には、供え物を通して子女たちが行く道を築いてきました。そして、四千年後、メシヤであるイエス様を送られ、子女たちが信じて侍るようにし、サタン世界であるローマを復帰し、サタンを追い出して、神様だけが主管する世界にしようとされました。
このように、善主権を復帰するのがイエス様の使命であり、イスラエルを中心としたユダヤ教の使命だったのです。ユダヤ教とイスラエルが一つとなり、全世界のために投入し、また投入する原理を実践していたなら、イスラエルが世界へと出ていく道が開かれたはずでした。しかし反対にイスラエルとユダヤ教は、かえって世界のほうが彼らのために生きなければならないという思想で、「怨讐を愛せよ」と言われたイエス様までも十字架にかけました。それで、キリスト教は血を流す二千年間の受難の歴史を通して、父母であられる再臨主の時を待ってきたのです。
迫害の歴史を経ながら、キリスト教が第二イスラエルの立場に立ち、イエス様が果たし得なかったみ旨を果たすために、世界的天側のローマ型であるプロテスタント独立国家アメリカを中心として、第二次世界大戦後、世界統一圏として国連を立てて自由世界に復帰しようと限りなく血を流してきたのです。
アメリカを中心として再臨主であられる真の父母が現れ、神様の統一圏が形成されれば、全世界は統一世界へと前進したのであり、キリスト教を中心とした世界の文化圏が形成されたのです。すなわち、真の父母思想を中心とした成約時代を完成できたはずでした。
しかし、キリスト教とアメリカ、さらには自由世界が、自らを投入して他のために生きる生き方を実践することができず、アメリカはアメリカ自体を中心として世界を主管しようとする立場に立つことにより、統一教会は迫害と苦難の道を歩まざるを得なくなりました。韓国を中心とした統一教会は、血を流す迫害の道を歩んできましたが、これからは世界の頂上の位置にまで上がるようになったのであり、「頭翼思想」で左翼と右翼を共に収拾できる時代に来ているのです。
真の父母様は、血を流す道を通して、地上に神様をお迎えする使命を遂行しているのです。真の父母様が十字架を背負うのは、神様を地上にお迎えするためです。旧約時代に万物を犠牲にしたのは、子女を迎えるためであり、新約時代に子女たちが血を流したのは、父母が来る道を準備するためです。そして、父母が来て血を流すのは、神様をお迎えするためなのです。歴史はそのような過程を通して発展するのです。
今や「頭翼思想」は民主と共産、左翼と右翼を横的な立場で収拾し、「神主義」を通して縦的に霊界まで統一して、天地父母時代である統一時代を迎えるようになりました。そうして、サタンの反対がない本然の世界、神様と真の父母様の真の愛を中心としてために生きる世界から、私だけのために生きてほしいという、そのような利己主義的世界を越え、天上天国、地上天国世界へと前進するのです。その世界は、真の愛を中心とした利他主義世界となるので、謀略、中傷、不信の風潮などが蔓延する、死亡の世界とは関係がない世界になるのです。こうして、全世界的に真の父母を中心として、真の家庭の基盤の上に人類を接ぎ木する理念を通して、新しい復帰家庭と新しい秩序を確立し、神様を中心とした永遠の理想世界になっていかなければなりません。
韓国は、統一教会を中心とした第三イスラエル選民国となり、サタンに勝利した勝利国家となるのです。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを勝利圏に立て、神様のみ前に奉献しなければならないのです。第一イスラエルはユダヤ教、第二イスラエルはキリスト教、第三イスラエルは統一教会ですが、統一教会がこの全体の歴史を蕩減し、この宇宙を神様のみ前にお捧げする使命を果たさなければならないということです。
文総裁と韓国は、天の作戦を中心として見ると、歴史的な善を代表する人と国です。それで、文総裁は悪の側から世界史上、個人的な立場で最も多くの迫害を受けた代表です。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界的にも、そのように迫害を受けた代表です。さらには、霊界から最も多くの迫害を受けた代表ですが、打たれながらも、すべての面で勝利的結果を獲得し、世界的に発展したのは、神様が保護してくださったからなのです。これが、文総裁の築いた世界的基盤です。
しかし、これからは迫害から解放され、誰一人として行く道を遮る者がいない時代に入ったので、すべての勝利的世界の時代へ進出することだけが残っているのです。韓国の歴史において数多くの忠臣、烈女たちが、あれほど多くの血を流した悲痛な歴史を残したのも、天の作戦によるものであり、单一民族として「東方礼儀之国」の面目を守りながら、歴史上類例を見ない九百回以上の侵略を受けながらも、その血統を守らせてきたのも、福を与えるための天の作戦だったのです。
また、白衣民族として、純潔で高尚な敬天思想を固守してきたのも、天の選民へと向かう道のためだったことを知らなければなりません。六二五動乱のときも神様がお守りになり、人類の祖国回復のために国連の旗幟(きし)のもと、世界十六ヵ国の若者たちが韓国の地で血を流しました。祖国光復のためにです。
皆様。このようなことは、天理を知らなければ分からないことです。それが事実だとすれば、韓国はどのようになるのかということが問題です。韓国は、善悪の闘争史を清算しなければならない最終的対決の地です。北朝鮮はサタン側に代わる最悪の地なので、金日成主席のことを「父母なる首領」と呼んでおり、四十年以上の間、金日成主席が全権を行使しているではありませんか。四十年前に韓国とキリスト教が、神様に侍り、文総裁と統一教会を天の側の父母の位置に立てていたなら、今日の韓国は世界的父の国となっていたはずです。
しかし、キリスト教と韓国の反対にぶつかり、真の父母の立場を世界的に立てることができないまま追い出され、金日成主席は偽りの父母の位置を占有し、天の側に反対しながら、共産圏の先頭走者として悪の父母となって振る舞ってきたのです。それは、蕩減法によってそのようになったのです。今や最後です。真の父母というものがサタン世界に立ったのは初めてです。
しかし、文総裁と統一教会は、全世界の反対を受けながら最悪の立場から、天の作戦によって、打たれながらも世界的基盤を築き、世界共産圏を屈服させる勝利的な立場を確立したのであり、中国とソ連を越えて怨讐格であるゴルバチョフ大統領に会い、歓迎されることによって、摂理的新起源の世界が始まったのです。これは、旧約時代のエサウとヤコブの出会いのようなものです。
ヤコブの立場にあるアメリカ、日本、韓国を代表した文総裁が、エサウの立場にあるソ連、中国、北朝鮮を代表したゴルバチョフ大統領に会い、彼の心の中に天の真の愛を植えてあげたということは、サタンを自然屈伏させるヤコブの還故郷となるのです。これから、エサウには兄弟と一つとなり、天の父母に侍る道だけが残っているのです。兄弟である自由世界と一つとなり、天の父母に侍ることだけが、共産圏が生きる道なのです。
これは、有史以来、最大の事件であり、天の側の勝利をもたらす新起源となるのです。ですから、文総裁は、直ちに帰国し、大韓民国の国民と民族に真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布したのです。そうして初めて天は、金日成主席の基盤、悪のサタンが退くように陣を張るのです。今後どのようになるか、今後の道を見ていてください。
真の父母歓迎大会を全国でしましたが、真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布することによって、北朝鮮と金日成主席の集団に対峙できる天の側の基盤を確立したのです。金日成主席を中心としたサタンを愛し、救ってあげなければならないのです。金日成を中心としたサタンを愛し、救ってあげようと、天の側の立場にいる文総裁と統一教会は走っているのです。
金日成主席は「神はいない」というサタン側の共産主義世界の代表者である反面、文総裁は「絶対的に神は存在する」という民主世界の代表です。韓国を中心として北朝鮮を消化し、吸収することによって、一つの父母である真の父母の心情をもち、歴史的な善悪闘争を越えて平和世界を創建しなければならない宿命的な課題の前に、今回「世界平和連合」を創設し、摂理史的なみ旨に合わせようとするのです。これから「世界平和連合」という言葉が出てくるでしょう。
結論的に、これからは文総裁と統一教会と韓国が一つとなり、北朝鮮を消化する時代へと入るのです。私たちがソ連と中国と北朝鮮を中心として平壌で大会を開催しようとするのも、摂理史的な意義をもっているのです。
天の側であるアメリカ、日本、韓国は、力を合わせ、物質万能のユートピアを慕いながら物質的地獄世界に落ちた共産世界を救うために、放蕩息子を歓迎して迎える兄弟の立場に立たなければなりません。この道こそが、サタンを自然屈伏させる道となるのです。神様は悪を打って屈伏させてはいけません。自然屈伏させなければなりません。
このようになれば、サタンも天の側に屈服し、天上と地上に闘うことのできる基盤がなくなるので、自動的に世界平和は成就されるのです。そうして韓国は、神様を中心とした祖国となり、神様の創造以後、初めて理想の基盤を築くようになるのです。創世以後から始まったサタンとの闘いが、ついに終わります。六二五動乱とともに始まった世界的冷戦時代は、八八年のソウルオリンピック大会を起点として、その幕を降ろすようになり、これからは文総裁の思想を精神的な支柱として、韓国は新しい太平洋時代の中心国として世界を領導していく道が大きく開かれるようになったのです。
この先、太平洋時代が来ることが、世界の学者たちの研究結果であることは、皆様も御存じのはずです。それがどのようになるのかということが問題です。神様がこのように文総裁と韓国を祝福してくださったのです。
皆様。これから私たちは、経済人でも誰でも、すべての人たちが、心を合わせて、北朝鮮を解放し、世界の統一に向かって進んでいかなければなりません。地球家庭時代を迎え、「天の真の父母様に侍って千年、万年暮らしたい」と言うことのできる基盤を築かなければなりません。この文総裁と統一教会は、摂理史的使命を完遂する中心である心的な立場に立っており、体的な立場には、物質的なものを追求する経済的分野が立っているのです。
皆様。ここで一つお話ししたいと思います。どうして統一運動が経済行為をするのでしょうか。心と体が分かれています。天と人間、真の中心と偽りが対峙しているので、これを統一しなければなりません。ですから、このような心の中心である天の完成のみ旨を中心として、体の中心が相対にならなければなりません。これが反発してはいけないのです。ですから、統一運動は経済的行為をするのです。また、共産主義と闘争せずにはいられません。そのようなすべての摂理史的内容をもって始めるのです。
物質的立場を追求する経済的分野は、体の立場に立っています。本来は、心と体が一つにならなければならなかったその理想が、今ここでも成就されなければならないのです。心のような天のみ旨に、体のような経済界が従わなければなりません。一体となって、地球家庭を形成し、平和世界をこの地に創建するためにも、北朝鮮をはじめとする共産世界を支援しなければならない義務があるのです。
それで、韓国、日本、アメリカが共に努力し、兄弟を助ける、そのような真の愛の精神で団結しようという崇高な志をもって、きょうこのように皆様をこの場所にお招きした次第です。天意に従い、この文総裁と共に世界を中心とした経済観をもって進んでいくならば、天が助け、万事が意のままになるでしょう。ぜひ世界の選民の経済観をもって、祝福を受ける韓国と世界に向かって進んでいきましょう。神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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