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尿に勢いがなくなった。しょっちゅうトイレに行くようになった――。中高年男性によくある悩みは、多くが前立腺肥大によるものです。70歳を超えたら、ほぼすべての男性が肥大症になるものですが、生活の質(QOL)に関わるゆえ、早めに手を打っておくのが賢明です。では、どう備えたらいいのか。前立腺がんとの違いや、治療法も含めて解説します。
前立腺はミカンである
50歳の声を聞くと、大半の男性は前立腺の肥大が始まります。腫れて大きくなるのです。70歳を超えたら、ほぼ全員が肥大していると考えて構いません。尿の出が悪くなって気付く人もいれば、巨大化しているのに自覚症状がない人もいます。
=ゲッティ
前立腺はぼうこうの下にある臓器で、尿道を取り囲むように存在しています。内腺と外腺の2層構造になっていて、果物にたとえるとミカンのようなものです。ミカンの身の部分が内腺で、皮の部分が外腺。身の部分が大きくなるのが前立腺肥大症になります。
尿道は身の真ん中にある空洞に当たりますから、身が膨らめば道が狭くなったり、すぐ上にあるぼうこうを圧迫したりして、排尿に問題が生じるわけです。残尿感があるとか、尿が少しずつしか出なくてトイレが近くなるとかするのは、そのため。最悪は尿閉といって、全く尿が出なくなることもあるのです。ここまで来ると腎臓で作られた尿がぼうこうから先へ流れていかず、次第に腎臓が腫れて、まれに腎不全に進むケースがあります。
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通常、ぼうこうに200㎖の尿がたまるとトイレに行きたいと感じるものですが、中には300㎖たまっていても尿意を感じない高齢者がいます。50歳を超えたら一度、排尿後のぼうこう内にどれぐらい尿が残っているかを調べておくのが賢明です。100㎖未満であれば大抵は投薬で改善します。
20gから250gまで、人それぞれのサイズ
では、なぜ年を重ねると前立腺が肥大するのでしょう? それには男性ホルモンの影響が否定できません。代表的なものがテストステロンで、加齢と共に分泌量が減ると、5α還元酵素によってジヒドロテストステロン(DHT)という「悪玉男性ホルモン」に変換するのです。DHTは薄毛や前立腺肥大に関わるもので、テストステロンの30倍の力価を持つと言われています。
とはいえ、前立腺の大きさというのは実に人それぞれです。先ほどミカンに似ていると言いましたが、大きさはそれほどもなく、栗の実ぐらいになります。
=ゲッティ
重さにして、通常は20g以下。一方で、250gにまで成長した巨大な前立腺を見たこともありました。女性の乳房にAカップやGカップといった幅があるように、前立腺にもさまざまなサイズが存在します。大きな人ほど排尿に困っているのかと言えばそうとも限らず、小さくても症状が出る人はいて、つくづく不思議な臓器です。
その役割はといえば、まず前立腺液を分泌することにあります。それが精液の一部(約3割)となって、精子を保護したり、精子の運動を活発にしたりする。また、射精時に収縮することで、精液を尿道に押し出して勢いをつけつつ、ぼうこうに近い側の尿道は狭くして、精液がぼうこうに逆流しないようにしてくれるのです。
肥大症とがんの違い
ところで、前立腺肥大症と診断された患者さんの中には、「そのうち前立腺がんになるんでしょうか?」と心配をあらわにする方が結構な割合でいます。実際、肥大症の検査を機にたまたま前立腺がんが見つかるケースは珍しくないものです。とはいえ、肥大症ががんを招くわけではありません。肥大症はミカンの身の問題でも、がんはミカンの皮にできるため、別物になるからです。
また先ほど述べた通り、前立腺肥大と男性ホルモンの因果関係は仮説にすぎなくても、前立腺がんと男性ホルモンには因果関係があります。前立腺がんの発生には男性ホルモンの存在が不可欠です。先天性の疾患で、生まれつき男性ホルモンが分泌されない男性は前立腺がんにならないことが明らかになっています。
前立腺がんかどうかを調べるには、まず前立腺特異抗原(PSA)検査が重要です。PSAはたんぱく質の一種で、前立腺にがんや炎症があると血中に漏れ出るため、血液採取で簡単に判定ができます。
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PSAの数値が高ければがんの疑いも上昇しますが、前立腺肥大や前立腺炎でも高く出ることがあります。PSAが50ng/mLを超えると、ほぼ100パーセントがんが認められ、4・0ng/mLを超えた場合で3割程度の発見率です。がんが疑われる場合は生検などの詳しい検査に進みます。
前立腺に複数回、針を刺して行う生検については近年、多くの医療機関が麻酔をした上で行うようになったので、痛みについて過度な心配をする必要はなくなりました。昔は「診断をつけるためなら痛いのも当たり前」とばかりに、患者さんに我慢を強いる風潮がありましたが、今は随分変わっています。
PSA検査でがんの疑いをキャッチ
その結果、がんが確定すると、大抵、患者さんはショックを受けて、落ち込みます。でも僕は「早く見つかってよかったじゃないですか。治りますよ」と、声をかけるんです。前立腺がんの5年、10年生存率はステージによっては100%。予後がいいので、治療をすれば10年以上の命は保証されているようなものです。だから患者さんには、治療の機会に恵まれたこと自体がラッキーだと伝えるようにしています。
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ただ、転移が見られる場合は、そういうわけにもいきません。前立腺がんは最終的に骨転移して、かなりの痛みが生じる上、生存率も下がってきます。
それだけにPSA検査を受けて、早期発見、早期治療をすることが肝心になります。もちろんPSAも完璧とは言えず、検査によって前立腺がんで亡くなる人が減ったという十分な証明はありません。治療によって性機能に支障が出ることも報告されており、受診には慎重な検討が必要です。ただ他のがん種検査と違って、血液だけで効率よくがんの疑いをキャッチしやすいと言うことはできます。
男性ホルモン遮断治療によるダメージ
もし、前立腺がんの診断が確定したとしても、手術や放射線など複数の治療法があります。僕の場合、手術は基本的に手術支援ロボット「ダビンチ」で行うため、開腹の必要はありません。
離れた場所の操作機器でアームを稼働させる市立病院のダビンチ=福岡県大牟田市立病院で2023年6月7日午後4時半ごろ、降旗英峰撮影
また前述したように、男性ホルモンが前立腺がんのエサになることから、ホルモンを遮断する治療も行われています。この遮断療法をすると、患者さんの顔つきはふっくらと女性的になるのが一般的です。治療効果が目に見えることから、患者さんにも医師にも好まれる傾向があります。
でも僕自身は、遮断にはためらいがある。男性ホルモンの分泌を抑えると筋肉がみるみる落ちて脂肪がつく上、糖尿病や心臓病、認知症になるリスクが上昇するからです。また、骨粗しょう症にもなりやすくなるため、転倒するなどして骨折した場合は、寝たきりになる恐れも高まります。極力したくないというのが本音です。
前立腺がんになっても結構長生きをしますから、10年、20年先のことを考えると男性ホルモンは温存しておきたい。最近は米国のガイドラインでも、遮断は期間限定とする方向に変わってきました。日本ではまだ珍しいかもしれませんが、僕は患者さんの前で、遮断によって生じ得る副作用を羅列し、事細かに説明するようにしています。
それだけ男性ホルモンの働きは万能で、健康長寿の鍵になっているということ。2007年に英ケンブリッジ大のケイ・ティー・カウ氏らが発表した論文では、代表的な男性ホルモンであるテストステロン値の高い人の方が長生きをすることが明らかになっています。
もし、あなたが前立腺がんと診断され、治療法に複数の選択肢があって迷う場合は、遠慮なく主治医に質問してください。人生において何を優先するのか、納得した上で治療を始めてほしいと思っています。
<参考文献>
Kay-Tee Khaw,et.al Endogenous Testosterone and Mortality Due to All Causes, Cardiovascular Disease, and Cancer in Men:European Prospective Investigation Into Cancer in Norfolk (EPIC-Norfolk) Prospective Population Study Circulation Volume116,Number23,2007.
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久末伸一
恵佑会札幌病院泌尿器科部長
ひさすえ・しんいち 1995年、札幌医大卒。同大助教、帝京大講師、順天堂大准教授、千葉西総合病院泌尿器科部長、国際医療福祉大教授などを経て現職。日本泌尿器科学会指導医・専門医。泌尿器ロボット支援手術プロクター認定医。