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何がおかしい(2020 佐藤愛子)25
25 多民族時代
妻であり母であるけれど、女ではない自分そういう自分をどう考えればいいん でしょう? どうすればいいんでしょう? という質問を受けた。それがこの節の三十代の家庭の主婦の悩みであるという。
妻であり母であるけれど、女ではない? それはどういう意味ですか? とこちらの方でも質問したくなった。女であるから、妻であり母なのではないですか? 当今、 いくらヘナヘナ男が増加しているといっても、男が妻や母にはなれないでしょう?
そう問い返すと相手は、案の定わからないのねえ、 という失望を顔に漂わせて、し かしそれをあまりあからさまに見せて怒らせては面倒と思ったか、佐藤さんは多分、そうおっしゃるだろうと思いましたけど…といいみつつ、つまり何ですわ·····折角女に生れながら女としての楽しみ 女としての生活 生甲斐というのかしら、 そういうものがない......。
それを思うとイライラしてくるんです。 何かしたい! しきりに思うんですけど、どうすればいいのかわからなくて、ますますイライラするんです、という。 はあ、そうなの、と私はわかったようなわからぬような 生齧りの異国語でも聞く ような気持で、
「しつこいようだけど、妻としての自分、 母としての自分は、女としての自分じゃないんですか?」「ちがうと思います」 「じゃあ女としての自分はどういう自分なんですか?」
とくですからそれが、よくわからないんです。わからないけれど、そういう自 あいまい はず 分があっていい筈だと思うんですわ、といって彼女は曖昧に笑った。その笑いは自 ちょう の笑いのようでもあり、私の無知を笑うようでもあり、炊くようでもある。
日本は世界でも稀有な、国民の大部分が同一の民族であるからお互いにツーといえ ばカー。 沢山の言葉を費さなくても、お互い同士、 すぐにわかり合える共通の感性が 育っているからしよい、とよくいわれる。
十のうち八までいって、あとの二はわざ といわない。いわなくてもわかる、という信頼関係が暗黙のうちに成り立っていて、 あからさまにいうよりも、 むしろその方が含蓄があるとして喜ばれる。
だが例えばア メリカなんぞでは、イタリア系アメリカ人、 イギリス系、スペイン系などなど、多民 族で成り立っているので、さまざまな感性が集合していて、とてもツーといえばカーとはいかない。
すべて直截にハッキリ、単純な形でものをいわなければ、日本人の ように「含蓄」なんてものを大事にしていると理解され難いといわれている。ものいへば唇寒し秋の風という芭蕉の句にしても、とりたてて俳句にのある人でなくても、日本人なら うんちく ばだいたいの趣向を汲み取れるのである。
ただ秋の趣を感じるだけでなく、この句に籠められている寓意というものまで理解する人が少なくないのである---と、長い間私は思っていた。外国人の目から見ると異様にうつるという日本人の「ニヤニヤ笑 「い」も、言葉以外のアルファーを伝えているつもりの笑いであることも、私たちには わかるのである、と。
しかしこの頃、つくづく思うことは、日本も、最近に至って多民族国家の様相を呈 してきたということだ。同じ日本人同士だからわかる、という安心がなくなってきた。 日本人同士であるから「わかり合えた」ということは、感性や発想の土壌がひとつだ ったからである。
だが今、顔は同じだが、違う土壌に違う感性、違う価値観を育てて きた世代が台頭してきた。「母であり妻ではあるけれど、女でないからつまらない」 という花が咲きはじめたのだ。
古い土壌につつましい花を咲かせてきた老年組は、 母であり妻であること以上に何 かもっと、生き生きした自分の道がないものかとたとえ思ったとしても、その道を行 くには妻であり母であることを放棄しなければならないのだと思い決め、とてもその勇気がないままに、妻、母の位置に甘んじて一生を送った。
幸か不幸か私個人は、妻、 母の失格者となったがゆえに、自分の道を生きられたのだ。しかしそれとても、「自 分の道」生きたのであって、「女としての生甲斐」を堪能したわけではない。更に いうなれば「人間としての生甲斐」はあったかもしれないがそれは「女としての生甲 「愛」というものではない。
いや、「女としての生甲斐」とはどういうものか、 それす 私にはわかりかねるのである。観念的にもわからないし、実感としてもわからない。 同年輩の旧友にこのことを話すと、彼女は一言のもとにいってのけた。「そんなの、ふざけてるわよ! ナニが女としての人生、よ!」
マジメだといって怒るのである。彼女の察では、 「女としての人生を生きたい」 というのは、多分、結婚しながら独身時代のように好きな時に好きな所へ遊びに行き、 おしゃれをし、浮気か擬似恋愛か、そんなものをして楽しくんでみたい・・・・・・その 度のことよ、と頭から決めつける。例えばね、と彼女はいった。
原宿あたりのカフェテラスで足を組んでタバコをくゆらせていると、向うのテーブルにいる紳士とふと視線が合い、「いい陽気になりましたね」「そうですわ。 そよ風が、なんてキモチいい・・・」「おひとり?」「え?ええ……」「こうしているとバリを思い出しましてね」「ま、パリを・・・・・・」「マロニエが美しい頃ですよ……」
などと、いってもいわなくてもいいような会話を気どって交し、「またいつかお目にかかりたいですね」「え?でも、きっともう、お会いすることってないんじゃありません? 偶然って、そうありませんもの」 「いや、それはね、簡単ですよ。意志を持てばいいんです」「まあ......」---てなこといって嬉しがってる。
そしてそれがやがて擬似恋愛に発展して、 浮き 浮きしたり、悩んだり、幸福感に浸ったり、急に色っぽくキレイになったり、人にそ ういわれて喜んだり... そんな他愛のないことなのよ。そうね、そんなところね---と勝手に決めて我々は憤然とする。低俗といわれても、我々の世代はせいぜいそんな そんたく忖度しか出来ないのである。
「妻であり母であることがつまらない? つまらなくたって、自分にそれだけの力しなかったらしょうがないじゃないの!」と急に怒気が籠る。 そういわれてみればつまらない人生を送ってきて、もう取り返 しのつかないところまで来てしまった自分に気がつくのである。
引き返すことも出来ず、かといって先もない。そんな自分の一生を考えると、バカバカしくなって絶望的になるから、なるべくそういうことは考えまいとして、
「妻として母として一所懸命に生きてきたんだわ。 夫は私がいなければ何も出来ない。空威張りしているけれど、あれで内心は私に先に死なれたらどうしようかと、暗澹と しているのよ。けれど私の方は夫が先に死ぬことを考えても、べつに暗澹とはならな いわ。生活の基礎さえ固まっていれば、夫がいなくなった方がむしろせいせいする。とにかく、私は妻として母として、 するべきことはきちんとしてきましたからね! その満足感はありますよ!」
と心の中でひとりで啖呵を切って不満を押しつぶし、満足に切り替える。我々の世 代はその日その日を一心不乱に生きなければならない条件下に置かれていたから、 「妻として母としての生活だけしかないなんて!ああ! これでいいのか!」など と不満を感じるヒマがなかったのだ。
寸刻のヒマもなく、ただひたすら家族のために働いてきた世代と、ヒマがありすぎ て、女としての自分はいったいどこにあるのか、と悩んでいる世代とが今、一つの時 代を生きている。
それだけではない。その上にもうひとつ、 妻として母として生きる のはことのなりゆき、いうならばついでであって、一番大切なのは仕事よ、といい切って悩まない新世代が参加してきている。 その世代は悩める主婦たちに向っていうだ ろう。
「そんなこといってないで、どんどんしたいことをすればいいじゃないですか」と。 めいりょう 実に簡単明瞭である。しかし、 「どんどんすればいい」といわれても、何をどんどん すればいいのかわからない。
したいことをすることにしたわ、と決然と宣言して、そ うしてしたことというのが、 パートタイムで一日働いてくること、というのも考えて みれば「女として生きる」こととはほど遠いのである。よしんば職場でちょっとした 恋愛沙汰があったとしても。
それを見て、老年組は、「夫も子もあるのに、なんてことでしょう!」と怒るが、 「いいじゃない、楽しければ何したって」 と若年層はこともなげ。
そうして、「悩める中年主婦」たちはもっと楽しいこと、もっと燃えることを夢見 いらだ て苛立っている。同じ時代を生きる女同士だが、今は決してツーカーでわかり合えないのである。
先頃、私は某婦人誌からインタビューを申し込まれた。この頃、インタビューのた ぐいはお断りすることが多くなっているのだが(というのも前述のような 「多民族社 会」では、意見を呑み込んでもらう自信がなくなってきている)、たっての依頼に仕 方なく承知をしかけたが、その時に写真も撮るといわれてためらった。
この数ヵ月、 体調が勝れない日が多く、寝たり起きたり、一日中、部屋着のままで過している。写 真を、といわれると頭のセットくらいはしなければならないし、着物も着なければな おっくう らない。それが億劫であるだから写真撮影を伴う取材はたいてい逃げているのである。
しかしその時は、相手の熱意に負けて(強く断るだけのエネルギーがなくて)、承 ゆううつ 知してしまった。 承知したものの、約束の日が近づいてくるにつれて憂鬱である。負 担感が日に日に強まってくる。 (これは病弱の者でなければわからない負担感である)
すると約束の日の前日の日曜日、担当の青年から電話がかかってきた。 「えーとですね。明日、お伺いすることになっている××ですが」 と彼はいった。
「明日は先生は着物ですか、洋服ですか?」 返事の言葉を見つけるのに時間がかかったのは、その質問の意味目的がわからなか ったからである。何のためにそういう質問をされるのか。インタビューで写真を撮る 場合は、記事の添え物として掲載されるためだ。
だから着物か洋服かとわざわざ前日 めんくら に電話をかけて問い合わせてこられると、そんなに大問題なのかと面喰うのである。 は、記事の添物の写真だと思うから承知したのだが、話の様子では、まるでカラーグラビアの撮影でもするようではないか。
しかしとりあえず、質問には答えなけ ればならないから、「寒いうちは着物を着ています」 といった。 すると相手は重ねて訊いた。「着物の色は何色ですか?」
「何色かって・・・なんでそんなことを今いわなければならないんです? 私は女優じゃないんですから……こんなパアサンの写真なんか、どうだっていいじゃないの」
私の見幕に相手は這々の体で電話を切った。私の中では怒りがくすぶっている。 そ の怒りは相手の真意がわからぬことと、わからぬままに怒ってしまったことへの後ろ めたさのためである。
翌日、私は後ろめたさを抱えてカメラマンとインタビュアーを迎えた。 「昨日は激昂したりしてすみませんでした」 と謝る。 てれかくしにアハハと笑ってみせて、どうにかインタビューは順調に終ったのであったが、さて、写真を撮るだんになってカメラマンがこういった。
「この前の篠山紀信さんが撮られた写真、とてもよかったですね。今日はあれに負けないような写真を撮りたいと思いましてね」 「あっ」と思った。その言葉ですべてがわかった。カメラマンは仕事熱心の人だったのだ。
彼は篠山さんよりもいい写真を撮りたいと念願した。そのため着物か洋服か どんな色かを聞いておいて、あらかじめあれこれ工夫を凝らしておくつもりだったのだ。 それならそうと担当者はその旨を私に説明するべきだと私は思う。
カメラマンがいかにいい写真をうと情熱を燃やしているかそのために着物は何かを訊いてく れといっているのだという説明を聞けば、私は怒らずに納得しただろう。 「仕事熱心」 ということを、何よりも第とする私は、喜んで何色の着物を着ます、羽織はこうで 帯はこれで、と答えたであろう。
いくら日本人はツーといえばカーでわかる、十のうち、八をいうだけでいい、とい っても、一しかいわずに十はわからないのである。ある日の雑談でそんなことを話していると、若い世代に属する男性がいった。
「いやあ、ミミが痛いですなあ。しかしそれは○×式で育った世代の特色なんですね。 表現したり説明したりすることを教わっていないのですから、そうなってしまうのです。戦後の国語教育の欠陥です」
「ふーん、そうなの.....そういうもんなの」と私は元気を失った。○×式で育った世代の特色なんです、といわれれば、認めるしかない。それは彼の過失ではなく、教育の責任なのである。
「何だ、そのもののいい方は!」と、同世代同士ならいえる。いわれた方は、なるほどと思って改める。 しかし今は○×式教育でそう育ったのだから、それでよいとすましている。文句をいう方がおかしいと、向うは向うで困っている。
この断絶を何によって埋めればいいのか、 私にはわからない。そのうち、我々の世代が死に絶えた時には、○×式時代を生きた者同士、○×式民族国家にもどって○× 式で仲よくおやりになるのがよろしいわ、と半ばヤケクソで、私は呟く。