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毎日新聞2026/7/5 東京朝刊有料記事2285文字
シベリアのブリャート共和国の首都ウランウデ創建360年記念式典の様子。第二次大戦当時のソ連を再現した寸劇などが披露され、モンゴル系のブリャート人とスラブ系ロシア人の団結をアピールしていた=ウランウデで6月13日、真野森作撮影
<Sunday Column>
「ここは静かすぎて耐えられない。全然眠れない」。ロシア軍の契約兵としてウクライナとの「特別軍事作戦」で戦う30代男性が、2週間ほどの休暇で帰省した際に漏らした言葉だ。男性は次のような思いも語った。「向こうで自分を見つけた。戦争こそが生きがいだ」
彼の故郷は、前線から4500キロ以上も離れたシベリアのブリャート共和国にある。首都ウランウデでこの話を教えてくれたのは、いとこにあたるタクシー運転手だ。弟のような存在の男性について「確かにあいつは変わった。以前より怒りっぽくなった」と明かす。彼らはモンゴル系民族のブリャート人だ。
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妻と4人の子育て中という運転手は、複数の仕事を掛け持ちしている。高給が約束される契約兵になった若い親族は何人もいるという。「もし動員令が出て招集されたら、私も行かざるを得ない。誰だって他者の命を奪いたくないし、自分の命を失いたくもないのだけれど……」
人口約100万人の共和国から多くの男性たちが出征し、遠い戦地で死傷しているのは周知の事実だ。ある住民は「無関係な家庭は一つもない」と言い切った。
コンサート一変
6月11日夜、首都中心部のオペラ・バレエ劇場では「諸民族団結の年」を記念したコンサートが開かれた。ロシア語とブリャート語による地域色豊かな声楽や民族楽器の演奏が披露されたが、中盤に雰囲気は一変した。
特別軍事作戦をテーマにした地元作曲家の組曲をオーケストラが奏で、背後の大型スクリーンには戦車や野戦病院の写真が映し出される。やがて戦死者たちの顔写真が流れると、聴衆は総立ちになり、すすり泣く声が響いた。
子供たちや男女が散策を楽しむ、ミニ遊園地付きの公園にも戦争の影は及ぶ。百数十本の若木が並ぶ一角があり、「あなたの勇気に感謝します」との言葉と氏名が書かれたプレートが1本ずつに添えられていた。戦死者の親族らが植樹したものだ。
通りすがりのロシア人女性(49)は軍人の夫が43歳で戦死したと明かし、「今でも彼を愛しています」と言った。民族を問わず、国策に巻き込まれている現実がある。
6月13日はウランウデ創建360年の記念日だ。ロシア帝国の先兵・コサックの越冬拠点として1666年に設けられ、やがて城塞(じょうさい)都市として発展した歴史がある。ロシアは17世紀末までに、ブリャート人が住む地域一帯を支配下に組み込んだ。ブリャート共和国は日本の総面積ほどの広さがあり、北にバイカル湖を擁し、大草原と山々が連なる。その景色は、南側で接するモンゴルと共通している。シベリア鉄道が走る交通の要衝で、ヘリコプターなどの製造工場もあり、露軍の第11空挺(くうてい)旅団などの基地が所在する。
共和国内ではスラブ系のロシア人が多数派で、ブリャート人の比率は約3割にとどまる。それでも民族色は顕著だ。首都近郊にはブリャート人の多くが信仰するチベット仏教のロシア総本山がある。
従軍僧侶派遣も
ソ連時代前期、無神論の下で宗教は激しく弾圧された。仏教も例外ではない。「大祖国戦争(第二次大戦)当時、この地域からの物品供出や出身部隊の活躍があり、(ソ連指導者の)スターリンは高く評価しました。そして、私たちは仏教を再び信仰することが許されたのです」。ガイドの女性はこう解説した。
宗教と戦争の密接な関係は今も存在する。地元の仏教最高指導者は昨年、国営ロシア通信のインタビューで「勝利を確信し、兵士たちの安全と健康、無事の帰還を祈る儀式を毎日続けている」と言及。従軍僧侶の派遣にも触れた。
ただ、寺院へ向かう道中で出会った、ある中年男性は「私たちは仏教徒なので戦うのは良いことではない。常に話し合うべきです」と語った。軍事作戦への協力に違和感を抱く信徒もいる。
ブリャート人、思い複雑
ブリャート人の間では、13世紀初頭にモンゴル帝国を打ち立てたチンギスハンを父祖と誇る感覚もある。50代の息子が志願して前線にいるという元教師の男性(78)はその安否を心配しつつ、「チンギスハンの子孫である我々は優れた戦士として有名だ」と胸を張った。
他方で、大勢の同胞が戦場へ駆り出されている現状への不満も存在する。複数の知り合いを亡くしたという自営業の女性(39)は「戦っているのはロシアの東の兵士ばかり。西からも送るべきです」と訴えた。米国や韓国に移住した人もいると話した。
長引く戦闘や地域経済の低迷を嘆く声は複数の住民から聞かれた。そのためか、当局側が不満のガス抜きや民族融和にある程度配慮している様子がうかがえる。
「偉大な歴史による団結を祝いましょう。大祖国戦争中、私たちの同胞は努力を惜しまず戦った。今日、若者たちが戦っている。彼らが必ず勝利して帰還すると確信しています」。ウランウデ創建記念日の式典では市長があいさつで訴えた。その前には、ロシア人とブリャート人がそれぞれの伝統衣装や軍服姿で歌や踊りを披露していた。
ロシア通信などによると、昨年7月の時点で、特別軍事作戦に参加した全国の軍人計460人が最高位の国家称号「ロシア英雄」を授与された。ブリャート共和国出身者は19人(約半数は死後追贈)と地域別で首位だった。
その一人であるブリャート人の中佐(35)は、9月の連邦下院選で地元選挙区から出馬予定だ。与党・統一ロシアからの立候補となり、当選確実とみられる。戦功を上げたエリート軍人を登用し、社会の模範としたいのだろう。
ウランウデ市内では、契約兵募集のラッピング広告をまとった路面電車が走っていた。