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毎日新聞2026/7/13 東京夕刊有料記事926文字
幼い日、打ち上げ花火を泣きながら見た記憶がある。時間を置いて、1発ずつ上がってゆく夏祭りのささやかな花火だったが、火の粉が降ってくるようで怖かった。
花火は中国・唐代に発明された火薬に起源を持つ。錬丹術師が不老不死の薬を求め、硝石や硫黄、木炭を混ぜ合わせる中で発明されたという。やがて花火の原形ともされる「爆竹」が使われ始める。
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一方、火薬はイスラム世界を経て13世紀には欧州へ伝わり、花火が誕生する。祝祭時の観賞用として技術は発展していった。日本へはポルトガル人やオランダ人による朝廷への献上品として伝わったという。種子島に火薬と鉄砲が伝わった半世紀あまり後のことだ。
だが、日本における花火は祝祭より、追悼や慰霊と深く結び付いていく。享保の飢饉(ききん)(1732年)で多くの死者が出た翌年、徳川吉宗は餓死者の慰霊や悪疫退散を祈願し、水神祭として川岸から花火を打ち上げた。今の隅田川花火大会(東京)の前身である「両国川開き花火」だ。その後、江戸庶民の楽しみとしても定着していったが、昭和に入り、戦争が激しくなると、火薬は軍用優先となり、花火大会は開催されなくなった。
戦後、花火は復活する。新潟県長岡市の「長岡まつり大花火大会」は戦災犠牲者を弔い、復興を誓う目的で1946年8月1日に始まった。45年8月1日夜、長岡市は米軍爆撃機の大規模空襲に見舞われ、少なくとも1489人が死亡、旧市街は焼け野原となった。今も花火大会の初めには、純白の花火を打ち上げて追悼する。04年の中越地震後は、地震犠牲者を慰霊する花火も加わった。
私の郷里でもお盆の時期、花火を打ち上げる前に「○○様の御献発でございます」と、主催者が紹介する声がよく響いていた。日本での花火は、迎え火や送り火などと同様に、死者を鎮魂し、向き合う時間だった。
戦に役立てるための火薬を起源とする花火が、平和的な性格を帯び、庶民の楽しみとして広がったのは興味深い。米独立記念日にあわせ、ワシントンであった建国250年を祝う花火大会では約85万発が打ち上げられたという。示威的な印象が強い。トランプ大統領は独立戦争で犠牲となった兵士や市民らに対し、少しでも思いをはせたのだろうか。(専門記者)