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毎日新聞2026/7/24 東京朝刊有料記事4399文字
将来の出産に備える「卵子凍結」。健康な女性が仕事などと両立して選ぶ場合は「社会的適応」と呼ばれ、女性の活躍を後押しすると期待されている。2026年度にはこども家庭庁がモデル事業を始めた。一方、個人の努力に頼り、女性に身体的負担を強いるとの指摘もある。社会全体でどのように向き合うべきか。
奈良女子大専任講師の岡田玖美子さん
個人の努力に委ねないで 岡田玖美子・奈良女子大専任講師
社会的適応の卵子凍結のニーズは、女性の社会進出や会社でのキャリア形成、晩婚化だけでは語れません。婚活やマッチングアプリでのパートナー探しに疲れ、そちらを急ぐよりも、女性一人でもできることとして選択しているケースが多いとみています。
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ただし、卵子凍結をした女性に話を聞くと、子どもが明確に欲しいと考えているケースは意外に少ないです。自身の仕事や夢に打ち込みつつも、将来の妊活に備えて「心のお守り」や「未来への投資」として希望する人が一定数います。高学歴や留学経験のある女性が多い印象もあります。
そうした女性は、選択肢や可能性を広げるため、幼少期から勉強をし、社会人になってからも仕事で努力をしてきた傾向があります。妊娠や子育ても努力で何とかしなければならないと考え、技術があるなら使おうという意思が働いているのかもしれません。キャリア形成の陰で、加齢やパートナー不在に伴う漠然とした不安を解消しようとする姿が浮かびます。
本来はこうした不安を持たないようにするため、安心して出産と育児ができるサポートや、産後も他の人と遜色なくキャリア形成できる仕組みが必要です。
女性の人生の自己実現を可能にする企業風土や社会を醸成する必要があります。それをせずに、卵子凍結があるから何とかなると体や金銭面でのコストを強いる現状は間違っています。
近年のビジネス界は、アントレプレナーシップ(起業家精神)を重視する傾向が強いです。この発想が生殖にも入り、自分で自分の体をコントロールし、より良い成果を生み出さなければいけないという精神が、卵子凍結と合致していると指摘する研究があります。
こうした風潮は女性活躍推進を掲げ、女性を後押ししているように捉えられます。しかし、子どもも産めるし、仕事もバリバリ頑張れる女性を求め、そうでない女性を排除しているとも言えます。
もちろん、「仕事も子どもも」と願う女性の気持ちを否定するものではありません。ただし今の社会はそれを個人の努力に委ねていて、その一環として卵子凍結などの選択肢を与えているという構図を問題視します。
世の中の制度や身体の変化には、個人の努力だけではどうにもならないことがたくさんあります。男性サラリーマン的な人生設計に女性も合わせましょうという流れを変え、育児だけでなく介護や病気などライフイベントに合わせた多様な働き方を推進しなければ本質的な解決にはなりません。
卵子凍結はともすれば、出産圧力を強める可能性もあります。出産のための努力をしている人が素晴らしく、していない人はダメだという発想につながらないとも限りません。男性が直接的には関与しないため、女性の問題として落とし込まれる可能性もあります。
生殖は本来、男女ともに関係する話です。男性も含めて生殖や育児、働き方について、じっくりと考える機会や意識の醸成が必要になります。【聞き手・渡辺諒】
パリ五輪柔道金メダリストの角田夏実さん
柔道の次は…焦りが余裕に 角田夏実・パリ五輪金メダリスト
自分の家族は仲が良く、20代のうちに結婚して子どもを産みたいとずっと思っていました。でも、試合で成績が出始めたのは20代後半で、気づくと30歳を過ぎていました。
2024年のパリ五輪の前、女性コーチと「子どもをどうするか」と話していたとき、卵子凍結のことを聞き、興味を持ちました。ただ柔道はオフシーズンがなく、減量が必要なスポーツです。そのときは排卵誘発剤によって体形などに影響が出るのではないかと心配で、五輪後に考えようと思いました。
試合への出場が一段落した25年夏、婦人科を受診しました。卵子凍結のカウンセリングでは、メリットやデメリットを聞きました。自分の足でいろいろな場所に行きたい時期だったので、正直「今じゃなくていいかも」と思っていました。
でも、卵巣の中に残る卵子の数の目安などを調べる血液検査を受けてみたところ、思ったより数値が悪かったんです。妊娠できる時間は限られている可能性もあるという医師の説明を聞き、その場で卵子凍結を決めました。卵子を11個採取して、10個を凍結しました。
凍結を通じて卵子がダメージを受ける可能性もあることや、将来の妊娠を保証するものではないことは理解しています。それでも何もしないよりは、少し安心できました。
自費診療でお金はかかりましたが、すぐに結婚して子どもを持つ予定があったわけではなかったので、投資だと感じました。この先1~2年は、もう少しバリバリ仕事できるかなと。一種の保険のようなものだと思います。
30代の女性は、子どもを持つことと仕事を、てんびんにかけるようなところがあると思います。「どちらかを選ばなければいけない」という考えから少し抜け出せて、選択肢が増えました。焦りが余裕に変わり、同時並行で考えられるようになった気がします。
20代で子どもを産む計画とは違う形になりましたが、長く競技を続けたからこそ得られたものはあります。金メダルの夢を諦めなくて良かったです。
現役選手に、やりたいことは最後までやりきった方が良いと伝えたいですが、競技引退後のセカンドキャリアに困っている人が多いのも事実です。そこにもっと選択肢があれば、悔いなく競技に打ち込めると思います。ライフプランもより考えやすくなるのではないでしょうか。
私は卵子凍結で視野が広がり、柔道の次に何をやりたいかを考えて、新しいステージに立つことができました。それが、前向きな現役引退につながった部分はあります。
今は日本発祥の柔道を、世界に普及させたいと思っています。道場を建てる夢もあり、柔道がもっと身近になるよう活動していきたいです。卵子凍結をするかは人それぞれですが、まずは自分の体を知ることから始めてみてもよいのではないでしょうか。【聞き手・寺町六花】
東邦大医療センター大森病院教授の片桐由起子さん=荒木涼子撮影
体への負担大きく慎重に 片桐由起子・東邦大医療センター大森病院教授
社会的適応の卵子凍結は、女性にとって選択肢が広がるという意味では良いことだと思います。しかし、医師として推奨はしていません。卵子の採取は長い針を卵巣に刺すため、体への負担が大きい行為で、慎重であるべきです。
10年ほど前と比べ、卵子凍結の認知度はかなり上がったと感じています。啓発活動によって技術そのもののメリットやデメリットも当事者には伝わってきています。
ですが、医療従事者側からは、これまでの統計データなどを当事者向けに伝えるなど、発信できることは限られています。助成制度も広がりつつありますが、本当に少子化対策や女性活躍につながるのか。今後は社会全体をみる広い視野からの情報発信が大事なのではないでしょうか。
卵子の凍結を利用する理由として「今は仕事が面白いから」という意見も多くあります。なぜ、妊娠・出産の先送りがデフォルトなのでしょうか。子育てをしながらではキャリアは形成できないという前提で卵子凍結を考えるのは間違いです。子どもを持つことと仕事の両立を目指せる支援があってこその、卵子凍結の助成制度とすべきです。
医学的観点からいえば、卵子凍結が選択肢の一つとして有効な年齢層があるのは確かです。ただ、35歳未満であれば卵子の要因による妊娠の確率はそれほど変わりません。出産を希望する年齢も併せて考えると、卵子凍結が必要ない人も多く含まれてきてしまいます。
例えば、25歳の人が27~28歳くらいで結婚や出産を望むのであれば、大抵は不要です。卵巣に残る卵子の数の目安となる数値が低かったり、妊娠適齢期を過ぎた40歳での妊娠を希望したりする場合は別ですが、出産したい時期が適齢期であれば卵子凍結ではなく、望んでも妊娠しなかった時から不妊治療を始めた方がいいと思います。
卵子を凍結しても実際の利用率は低いというデータもあります。海外の例では、妊娠・出産における凍結した卵子の利用率は10~30%とされています。つまり、リスクを負って採卵・凍結しても使わないことの方が多いのです。
また、医療機関によっては民間企業に凍結卵子の保管を委託する場合もあります。最終的に使われなかった卵子について、民間企業の売買を禁止する法律は現状ではなく、学会として危惧しています。
さらに言えば、卵子凍結の先にある不妊治療で重要なのは、夫婦の妊孕性(にんようせい)(妊娠する能力)の総和です。卵子を採るまでの治療にふさわしい医療機関が、夫婦の不妊治療にも適しているとは限りません。さらに不妊原因の有無によっても変わってきます。採卵と不妊治療を別の医療機関で行う場合、卵子の移送や受け入れが難しい場合もあり、注意が必要です。卵子凍結での妊娠は、パートナーがいる(通常の)不妊治療と同等のことをすることになります。妊娠を希望する際に、不妊かどうかによっても治療方法が変わります。子を持つということは、女性だけで完結する出来事ではないのです。【聞き手・荒木涼子】
自治体や企業が助成
薬剤で卵巣を刺激し、採取した卵子を液体窒素の中で凍結保存する。将来、解凍して体外受精に進める。がんなどの病気に伴い行われるだけでなく、加齢で妊娠しにくくなることに備えようと関心が高まっている。自治体や企業が助成する制度がある。こども家庭庁は、原則18~35歳の未婚女性を対象に1回あたり最大20万円を助成。データを収集し、課題を検証する。
「論点」は原則として毎週水、金曜日に掲載します。ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp
■人物略歴
岡田玖美子(おかだ・くみこ)氏
1995年、三重県生まれ。大阪大大学院博士後期課程修了。博士(人間科学)。大阪大大学院助教を経て、2025年より現職。専門は家族社会学、ジェンダー研究。
■人物略歴
角田夏実(つのだ・なつみ)氏
1992年、千葉県生まれ。東京学芸大卒。柔道女子48キロ級で2021~23年に世界選手権を3連覇。24年パリ・オリンピックで金メダルを獲得した。26年1月に現役引退を表明。
■人物略歴
片桐由起子(かたぎり・ゆきこ)氏
1967年、東京都生まれ。92年東邦大医学部卒業。医学博士。2016年から現職。専門は不妊症や生殖遺伝学。日本産科婦人科学会産婦人科専門医、日本生殖医学会生殖医療専門医。